ギャラリー解説
書画
鳳陽上田繼明等六氏、書畫四君子圖寄書(江戸時代、AD1769〜1853) |
|
|
|
紙本肉筆・・縦131.5cm、横51cm 幕末から維新の時代を駆け抜けた文人六人に因る書画の寄せ書きで ある。 中央左が江戸時代の上田鳳陽で、行書五絶の下に陰刻「鳳陽詩畫印」 の落款が押されている。鳳陽は萩の人で、名は継明、字は恭述、号を 鳳陽と称し、萩藩士宮崎在政の三男で、上田清房の養子となり、上田 姓を名乗っている。幼時より学問を好み、藩校明倫館で学んで日夜読 書に励み、山口に学舎の無いのを愁え、文化十二年(1815)に山口講 堂を創立するが、これが後の山口大学であり、彼は、山口大学経済学 部の創立者である。 他の五人は、幕末維新の人々で、 梁川紅蘭(1804〜1879)・・中央右、梅圖の横に陰刻「紅蘭老嫗」と、 圖の左上の署名の下に陽刻「梁張」の落款が押されている。美濃の人 で名は景婉・芸香、字は玉書・月華・道華、梁川星巌の妻で女流漢詩人 である。 山中信天翁(1822〜1885)・・下段右、行書五絶の横に陰刻「静逸」 と陽刻「二川」の落款が押されている。三河の人で、名は献、教育者で ある。 江馬天江(1825〜1901)・・上段右、行書五絶の横に陰刻「欽聖翰墨 」の落款が押されている。美濃の人で、名は正人・欽聖、字は弼、漢詩 人である。 村田香谷(1831〜1912)・・上段左、菊圖の横に陽刻丸印「香谷」の 落款が押されている。筑前の人で、南画家である。 前田半田(1816〜1878)・・下段中央、蘭圖の横に「半田」の署名と 陽刻「不知子」の落款が押されている。名は碩、花鳥を得意とした画家 である。 紅蘭の落款に「紅蘭老嫗」とあれば、五十歳(1853)以上と考えられ、 また鳳陽の死去が1853年であることなどから推測すれば、本品は、 嘉永六年(1853年)の作と言うことになる。 |