ギャラリー解説蛟蛟
書画
黄虎洞手習い、陰刻自用印一顆(現代、AD2024、9、22) |
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縦横・5.8x5.8cm 遂に駄馬印千個を突破した。多く彫れば善いと言うもの では無く、彫るだけ技術が進歩しりと言うものでも無い。 其れは百も承知の上で、彫り續けて來た。令和二年四 月に河西先生門下となり、印稿から指導を受けた所謂 作品的なものは、僅か三十點彊に過ぎないが、八月か ら練習の爲と稱した習作は、日記代わりに其の日其の 日に感じた事を、即興的に刻すると言う愚行を重ねて、 實質四年で千個に到達した。問題は、千個を刻して己自 身が何を感得し、何を思ったかであるが、其の感慨を印 篆で刻した、「千個駄印、不如一石精刻、噫悲夫、雖然 刀樂未盡焉、是亦善也哉」(千個駄印は、一石の精刻 に如かず。噫《ああ》悲しいかな。然りと雖も刀樂は未だ 盡きず。是れ亦た善きかな)である。では次はと問われ れば、目指せ駄印二千個であり、其の次は三千個であ る。其れが病苦を抱えた老人の、生きる爲の道程でも あれば、今後も樂しみ事としての石彫りを續けて行くつ もりである。不遜にも些かでも己が篆刻家などと思った 瞬間に、此の樂しみは霧散する、故にこそ樂事としての 筋目を踏み外さぬ様、心懸けねばならない。 |