ギャラリー解説蛟蛟

書画

黄虎洞手習い、陰陽刻自用遊印二顆(現代、AD2024、10、12)

縦横・3.2x0.88cm

『春秋左氏傳』襄公八年の一句を、金文で刻した「俟河清」(河

の清を俟つ)と、『宋史』卷三百六十五岳飛傳の一節を、甲骨

文で刻した「莫須有」(須く有るべきこと莫からんや)とである。

「俟云々」は、當てにならない事を當てにする事であり、『左傳

』には、「周詩に之れ有りて曰く、河の清を俟たば、人壽幾何

ぞ」と有り、所謂「百年河清を俟つ」である。「莫云々」は、有

るかも知れないと言う意味で、でっち上げの罪名を指す様にな

る。此の言葉は、遼に敵對して宋に忠節報國を盡していた岳

飛に對し、其れを鬱陶しく邪魔に思った秦檜が、岳飛を陥れる

可く適當に理由を作り上げ謀反の罪で獄に入れ、其れに異議

を唱えた韓世忠が秦檜に詰問し、檜は「其の事體は須く有る

べきこと莫からんや」と答え、世忠は「莫須有の三字、何を以て

天下を服せんや」と言っている。岳飛最後の場面は、あくまで

テレビの中國ドラマに過ぎないが、名場面である。岳飛は粛々

と處刑に赴き、南宋の皇帝高宗は、天を仰ぎ見て「お前が不

忠だからでは無い、忠だからこそこうなった」と呟き、高宗の

母親は「二度とお前の顔など見たくない」と言って高宗を拒絶

する。


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