ギャラリー解説
書画
蓄堂結城琢、行書七律(近代、AD1865〜1924) |
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紙本肉筆・・縦148cm、横37cm 「蓄堂結城琢」の下に、陰刻「琢字治リン」と陽 刻「蓄堂仙信」の落款が押されている。結城蓄 堂は但馬の人で、名は琢、字は治リン(燐の火 が王)、号を蓄堂と称し、初め三宅竹隠や久保 田捐窓に漢学・詩文を学び、次いで大阪の藤 沢南岳に師事し、漢詩を小野湖山に学んだ漢 学者・漢詩人で、明治34年には清國に遊び、 兪越に詩を問うている。三重県鈴鹿市の鼓ケ浦 海岸には、彼の七絶の碑文が有る。亦彼は、 漢学振興の為の「大東文化協会」設立の第2 回協議会参加者である。 |