ギャラリー解説
書画
虎足庵釋岳輅・井上士朗、俳句讃・鶴圖(江戸時代、AD1750〜1821) |
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紙本肉筆・・縦117cm、横29cm 「享和改元(1801)五月五日鶴士朗夕や岳輅写」の下に、陽刻象形 印(雙鶴)の落款が押されている。 井上枇杷園(AD1742〜1812)は尾張の人で、名は士朗、号を枇杷園 ・朱樹叟などと称し、町医井上家の養子となり、俳諧を加藤暁台に、 国学を本居宣長に、絵画を藤野茫古に、平曲を荻野検校に学んだ 多芸多才な俳人で、俗謡には「尾張名古屋は士朗(城)で持つ」と歌 われているが、医者としても「城下一」との評判を得ている。 釋岳輅源恵(AD1750〜1821)は尾張の人で、法名は源恵、法号は岳 輅、号を虎足庵と称し、俳諧の加藤暁台の門下で五老と称され、井 上士朗を助けて尾張俳壇の重鎮となった人である。 本品は、鶴の図を井上士朗が描き、岳輅が俳句の贊を書いている。 |