ギャラリー解説
書画
堵庵手島信、行草書文(江戸時代、AD1718〜1786) |
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紙本肉筆・・縦100cm、横55cm 「信書」の下に、陰刻回印の「河喬房印」と陽刻「應元 氏」の落款が押されている。手島堵庵は京の人で、 名は信、字は應元、通称は近江屋嘉右衛門、号を堵 庵・東郭などと称し、商家上河氏の出であるが、十八 歳で石田梅巌の門に入って心学に志し、四十四歳で 家業を子に譲り、梅巌没後は『中庸』や『徒然草』など を論じて講説に従事した心学者で、京の朝倉町に五 楽舎と修正舎を、西陣に時習舎を、河原町に明倫舎 を建てて民衆の教化に尽力し、梅巌の創めた心学 は、堵庵に至って社会を動かす程の力を持つ様にな り、その門下から中沢道二や柴田鳩翁らが現れてい る。 |