ギャラリー解説
書画
柳塢島崎又輔、梅圖併草書七絶讃(近代、AD1865〜1937) |
|
|
|
紙本肉筆・・縦132.5cm、横57.4cm 七言絶句の讃末の「馬溪逸人酔書」の下に、陰刻「子揚氏」 と「馬溪」の落款が、梅図の横の「栩栩亭僞人 柳塢」の下 には、陽刻「柳塢」の落款が押されている。島崎柳塢は東 京の人で、名は又輔、字は子揚・子文、号を柳塢・馬溪・栩 栩山人・湘湘亭・墨水漁史などと称し、江戸の大田蜀山人 の実弟の家系で、清水侯の儒臣であった島崎酔山の子で ある。幼児より父から漢学・漢詩を学び、高田竹山に書を 、植村蘆洲に詩を学び、次いで櫻井謙吉に洋画を学ぶも、 日本画に転じて竹本石亭に南画を、松本楓湖や川端玉章 らに南北合派を学び、川端画学校の教授を務めた日本画 家で、「東都第一の美人画家」と称され、漢詩人としても良 く知られている。 |