ギャラリー解説
書画
溪琴菊池保定 、隷書五絶(江戸時代、AD1799〜1881) |
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紙本肉筆・・縦65cm、横31cm 「海叟」の下に、陽刻「明治丙子七十九翁」と陰刻「海迂 叟」・「藤海荘」及び陽刻「明治丙子七十九翁」の落款 が押され、更に「海叟」の上には、陰刻「乾坤正氣」の 落款も押されている。菊池溪琴は紀州の人で、名は保 定、字は子固・士固、号を溪琴・海叟・海荘・海迂・蓮峰 ・生石・琴渚・慈庵などと称し、本姓は藤原系の垣内氏 であるが、南朝の忠臣菊池武光の子孫であるため、菊 池氏を名乗っている。父親は商売を生業としていたが、 彼は十三歳で江戸に出て大窪詩仏に就いて学び、齋 藤拙堂・羽倉簡堂・広瀬淡窓・広瀬旭荘らと交遊した儒 で特に詩に長じているが、勤皇の志も篤く私財を投じて 郷里の貧民を救済したり、兵農隊を組織したり国政に 関する意見書を建白したりもしている。尚、晩年は郷里 で「古碧吟社」を起こして吟詠嘯傲の生活を送り、作詩 に関しては、詩仏の門から出て出藍の誉れ高く、紀州 の生んだ祇園南海以後の第一人者と称されている。 |