ギャラリー解説
書画
爲、外山人安達常正、寄せ書十五氏(近代、AD1830〜1901) |
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紙本肉筆・・縦23cm、横12.8cm これは、教育者安達常正が明治40年に栃木県師範学校長に赴任した時、その歓迎の宴を 開いた文人・知友十五氏に因る、漢詩文の寄せ書きである。安達常正は富山の人で、名は常 正、号を外山人と称し、大日本教育会・帝国教育会の会員で、可成り熱烈な国家主義的教育 者である。彼は、富山師範学校の訓導を務めた後、上京して東京高等師範学校理化学科を 卒業(明治22年)後、23年に広島師範学校教諭となり、31年に広島県師範学校長、32年に 鳥取県師範学校長、35年に北海道師範学校長、40年に栃木県師範学校長に、その後奈良 師範学校長に赴任している。島崎藤村の小説『破戒』のモデルだと言われている、飯田市出 身の教育者大江磯吉に休職命令を下したのが、鳥取県師範学校長時代の安達である。また 彼は、『南海の尚友』(明治23年)『漢字の研究』(明治42年)等の著作も公刊しているが、生卒 等詳細は不明である。 因みに、寄せ書きの十五氏は北溟池田敦・百道朝・加陽山田文・塚本鞆矢・黙淵小川宏・児 玉弥三郎・撫松山人・勤斎永井習・吉村彰・桜城学・兪天根・孫美鴻・湘香敦・永ホウ勇司・巽軒 学人の15人であるが、彼等の詳細は殆ど不明である。ただ、湘香敦とは、幕末の徳島藩儒で あった新居水竹の子供で、明治38年頃北大予科漢文助教授であった新居敦二郎のことで、 彼は「哭池田北溟」なる文を書いている。また巽軒学人とは、東京帝大哲学教授の井上哲次 郎のことであろうか、更に黙淵小川宏がジャーナリストであったことは、石川啄木の日誌の明 治41年2月21日に、「タイムスの小川君・・・小川黙淵君と築港問題について談る」と言う一節 が見られる。 |