〜封 泥〜・石川又一氏寄贈

休題7

 封泥とは、文書や物を送った時の封印の一種で、主に秦・漢時代に盛んに行われ、書物や荷物を紐で縛りその結び目に粘土を置き、その上から発信者の印を押して封印するが、その印影が残った粘土の塊を指す。受信者は、送られた品物を結ぶ紐をき切って開封し、封泥は証拠として保管しておくのが一般的である。当然のことであるが、紐の上に置かれたため封泥の裏面には紐を交差させた跡が残っている。この封泥は、紙の発達に伴い使用されなくなるが、当時の文字形態や官公庁の名称や地名などを考える上で、貴重な直接資料を提供するものである。一般的に封泥の出土は清朝の道光2年(1822)と言われているが、その種類は、単なる陽文の文字である官印・私印のみならず鳥虫書印や肖形印も有り、現在、戦国時代から後漢時代まで系統的に尤も多く所蔵しているのは、恐らく上海博物館であろう。尚、この字面を影印した書籍が封泥譜録であり、それに関しては、閑話17のNO、93を参照されたし。
 ここに提示する五點は、上段が、ほぼ縦3cm横2.5cmの大きさの黒色粘土を使用した「武庫中丞」と「洛陽令印」の二種類で、下段が赤色粘土を使用したほぼ縦横3.5cmの大きさの「李得」と「千乗丞印」と「邯鄲丞印」の三種類である。また下段左端の「李得」は、官名印ではなく人名であれば私印と言うことになるが、私印としては明らかに大きすぎる。問題は、これらの封泥が本物か否かと言うことである。字面を影印したNO、93と比べて頂ければ判然とするが、官印の泥印は当然役所が管理するものであり、規格もほぼ一定しており、大概2.5cm前後の方印が普通であり、大きいものは見当たらない。上段の2点は大きさ的には問題無いが、「丞」「令」「印」等の字が、当時の字体とは明らかに異なる。下段の3点中の官印2点は大きすぎるし文字面も異なる。これらは一見漢篆の様に見受けられるが、実際に当時使用された字体とは微妙に異なるのである。とすればこの5点は・・・、博雅の士の指教を切に請う次第である。

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