〜時憲書(時憲暦)〜

零話7

 中国の大衆社会における暦、所謂通書(アルマナック)については零話8で説明したが、これに対して国家が発布した公用の暦が「時憲書」である。本来は「時憲暦」と称していたが、1736年以後は乾隆帝の諱である弘暦の「暦」の字を避けて「時憲書」と称している。時憲書が国家の公用暦(カレンダー)である以上、通書が種々雑多な習俗的・土俗的なものを含むのとは異なり、その内容は略365日の具注暦と該当年月の星神表及び天宮図とに限定され、厚さも0.5cmに満たない。しかし、同じ具注暦を伴うとは雖も、通書と時憲書とではその具注内容に微妙な差異が認められる。
ここに提示する時憲書二点は、上段が大清光緒十八年のものであり、下段が大清宣統二年のものである。

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