〜掃葉山房〜

閑話5

  掃葉山房とは、清朝時代の代表的版元の一つであり、その名を一躍知らしめたのは、光緒31(1905)年に科挙の制度が廃止された後、職の無い読書人を救済すべく、彼らを筆工に使って大量に出版した廉価な石印本の流布に因ってである。清末から民国初期にかけて陸続として出版されている『荀子』『韓非子』『荘子』『文心雕龍』『世説新語』『百子全書』『唐宋八家文読本』等々、その数は枚挙に暇が無い程であり、「掃葉山房」と言えば「石印本」、「石印本」と言えば「掃葉山房」の感無きにしも非ずである。そのため「石印本は安いけれどもテキストとしてあまり校訂が宜しくない(安物は悪い)」との風評と相俟って、「何だ掃葉山房本か」とか「それは石印本だろ」とか言い、内容を吟味しないまま蔑視する傾向が生じて来ていることは否めない。しかしこれは「生兵法は云々」であって、掃葉山房は決していい加減な版元ではない。たまたま清末の石印本が知れ渡ったに過ぎず、掃葉山房自体は清初の康煕年刊から木版本で種々貴重な本を出版している、由緒正しい真面目な版元なのである。例えば、明版を覆刊した乾隆59年の『容斎隨筆』・乾隆60年の『元史類編』・嘉慶4年の『銭塘遺事』・同治8年の『秘伝花鏡』等がそれである。
 ここに提示する掃葉山房本は、乾隆60年に武英殿聚珍版に依拠して重刊した『東観漢記』である。『東観漢記』は原本が既に元代に散逸し、乾隆年刊に『四庫全書』を制作するに当たり、『永楽大典』等から断片を拾い集めて編集したものである。故に現在見ることの出来るまともな『東観漢記』の版本は、乾隆39年の原装原刊聚珍版『東観漢記』と言うことになる。しかしこの原本は、現在では殆どお目にかかれない。一方本来木活字を組み合わせた聚珍版を、整版として覆刊した聚珍版叢書なる本は多々存在し、例えば、乾隆年刊の浙江覆刊本・道光年刊の福建逓修本・同治年刊の江西覆刊本・光緒年刊の広東広雅書局覆刊本等がそれである。所がこの中で『東観漢記』を含んでいるのは、道光年刊の福建逓修本だけである。とすれば掃葉山房の乾隆60年本はそれより古く、原刊聚珍版に次ぐ版本と言うことになるのである。尚、聚珍版については、〜聚珍本と袖珍本〜を参照。

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