〜授業用備忘録〜 |
《卷 之 下》 16、假定形の代表的パターン 17、限定形の代表的パターン 18、比較形の代表的パターン 19、抑揚形の代表的パターン 20、詠嘆形の代表的パターン C表現上は、疑問・否定・反語の形を取るも、前後の文脈や内容から詠嘆に讀むもの。 21、倒置形の代表的パターン C疑問代名詞が目的語となる時や、他動詞が否定詞を伴い、代名詞を目的語とする時のもの。 22、累加形の代表的パターン
○假定形の種類 假定形とは、「假にある条件を設けて、その結果を豫想する」語法で、大きく分けて「五種類」が有ります。假定形は、原則として文末を推量の助動詞「ン」で結びます。 @假定を表す副詞を用いるもの。 A否定詞を用いるもの。 B使役を表す助動詞として動詞を用い、假定を表すもの。 C接続詞を用い、假定を表すもの。 D前後の文脈や内容から假定に讀むもの。 以下、此等を順次説明致します。 ★「如(若・設・即・脱・儻・若使・假令・向使)〜」 もシ〜ラ(レ)バ(讀み・・「もシ」は、必ず「バ」で受けます。)、もしも〜ならば・かりに〜だとすると(意味) 如シ不ンバ(レ)可カラ(レ)求ム、從(二)ハン吾ガ所(一)ニ(レ)好ム。(如し求む可からずんば、吾が好む所に從はん) 若シ失(二)却セバ真心(一)ヲ、便チ失(二)却セン真人(一)ヲ。(若し真心を失却せば、便ち真心を失却せん。) 設シ未ダ・レバ(レ)得(二)其ノ當(一)ヲ、雖(二)モ十タビ易(一)フト(レ)之ヲ不(レ)爲サ(レ)病ト。(設し未だ其の當を得ざれば、十たび之を易ふと雖も病と爲さず。) 儻シ不シテ(レ)得(レ)已ムヲ而遂ニ至(二)ラバ於用(一)フルニ(レ)兵ヲ、豈ニ遽ゾ出(二)デン虜人ノ下(一)ニ哉。(儻し已むを得ずして遂に兵を用ふるに至らば、豈に遽ぞ虜人の下に出でんや。) 吾即シ没セバ、若必ズ師トセヨ(レ)之ヲ。(吾即し没せば、若必ず之を師とせよ。) 脱シ至尊有ラバ(レ)問フコト、但ダ依リテ(レ)吾ニ語ゲヨ。(脱し至尊問ふこと有らば、但だ吾に依りて語げよ。) 若使シ天下兼愛セバ、愛スルコト(レ)人ヲ若シ(レ)愛(二)スルガ其ノ身(一)ヲ。(若使し天下兼愛せば、人を愛すること其の身を愛するが若し。) 假令シ韓信學ビテ(レ)道ヲ謙譲シ、不レバ(レ)矜(二)ラ其ノ能(一)ニ、則チ庶幾カラン哉。(假令し韓信道を學びて謙譲し、其の能を矜らざれば、則ち庶幾からんかな。) ★「苟〜」 いやしクモ〜ラ(レ)バ(讀み・・「いやしクモ」は、必ず「バ」で受けます。)、もしも〜ならば・かりに〜だとすると(意味) 苟クモ無ケレバ(レ)良、雖モ(レ)謂フト(レ)無シト(レ)馬不(レ)爲(二)サ虚語(一)ト。(苟くも良無ければ、馬無しと謂ふと雖も虚語と爲さず。) 天運苟クモ如クンバ(レ)此ノ、且ク進(二)メン杯中ノ物(一)ヲ。(天運苟くも此の如くんば、且く杯中の物を進めん。) ★「縦(縦令・縦使・縦遣・就令・就使・假令・假使・假如・假設)〜」 たとヒ〜(ト)モ(讀み・・「たとヒ」は、必ず「モ・トモ」で受けます。)、もしも〜だとしても・かりに〜だとしても(意味) 縦ヒ江東ノ父兄憐ミテ而王トストモ(レ)我ヲ、我何ノ面目アリテカ見ン(レ)之ヲ。(縦ひ江東の父兄憐みて我を王とすとも、我何の面目ありてか之を見ん。) 縦令ヒ然諾シテ暫ク相許ストモ、終ニハ是レ悠悠タル行路ノ心。(縦令ひ然諾して暫く相許すとも、終には是れ悠悠たる行路の心。) 假令ヒ我保ツコト(レ)壽ヲ百年ナリトモ、亦タ一呼吸ノ間耳。(假令ひ我壽を保つこと百年なりとも、亦た一呼吸の間のみ。) ★「雖〜」 〜(ト)いえどモ(讀み・・「いえどモ」に返る前の字の送り假名には、必ず「ト」が就きます。)、もし〜だとしたら・もし〜ならば・たとえ〜ではあっても・たとえ〜ではあるが(意味・・「もし〜だとしたら・もし〜ならば」の時は假定を表し、「たとえ〜ではあってもたとえ・〜ではあるが」の時は確定を表します。) 雖モ(レ)有(二)リト千里之馬(一)、食不レバ(レ)飽カ力不(レ)足ラ。(千里の馬有りと雖も、食飽かざれば力足らず。)・・假定 自ラ反ミテ而縮クンバ、雖(二)モ千萬人(一)ト吾往カン矣。(自ら反みて縮くんば、千萬人と雖も吾往かん。)・・假定 若ハ雖(二)モ長大ニシテ好ミテ帯(一)ブト(レ)劍ヲ、中情ハ怯ナル耳ヲ。(若は長大にして好みて劍を帯ぶと雖も、中情は怯なるのみ。)・・確定 孔子之時、周室雖モ(レ)微ナリト、天下猶ホ知(二)ル尊ブ(レ)周ヲ之爲(一)ルヲ(レ)義。(孔子の時、周室微なりと雖も、天下猶ほ周を尊ぶの義爲るを知る。)・・確定 ★「今〜・誠〜」 いま〜ラ(レ)バ・まことニ〜ラ(レ)バ(讀み)、もしも〜であれば・今〜であれば・誠に〜であれば(意味) 今人乍チ見(二)レバ孺子ノ將(一)ニ・ルヲ(レ)入(二)ラント於井(一)ニ、皆有(二)リ怵タ惻隱之心(一)。(今人乍ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵タ惻隱の心有り。) 誠ニ如(二)クセバ父ノ言(一)ノ、不(二)敢テ忘(一)スレ(レ)コヲ。(誠に父の言の如くせば、敢てコを忘れず。) *「今」と「誠」は「いま」や「まことに」の意味ではなく、「假定の辭」として使われた時には、「もし〜であれば・あるいは〜であれば」と言う、假定の意味を表します。故に、文脈に因っては「もシ」と訓讀する場合も有ります。 今シ人乍チ見(二)レバ孺子ノ將(一)ニ・ルヲ(レ)入(二)ラント於井(一)ニ、皆有(二)リ怵タ惻隱之心(一)。(今し人乍ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵タ惻隱の心有り。) ★「微〜」 〜なカリセバ(讀み)、〜がなかったならば・〜がいなかったならば(意味) 微(二)カリセバ管仲(一)、吾其レ被髪左衽セン矣。(管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん。) 噫微(二)カリセバ斯ノ人(一)、吾誰ト與ニカ歸セン。(噫《ああ》斯の人微かりせば、吾誰と與にか歸せん。) ★「不(否)者(不然・不則・否則)〜」 〜しからざ(ず)レ(ン)バ・〜しかラざ(ず)レ(ン)バ・〜しからざ(ず)レ(ン)バすなはチ(讀み)、そうでなければ・そうしなければ・そうでないと(意味) 否者ンバ是レ貽(一)ス敵ノ笑(一)ヲ也。(否者んば是れ敵の笑ひを貽すなり。) 不レバ(レ)然ラ臣有(下)ラン赴(一)キテ東海(一)ニ而死(上)スルコト耳。(然らざれば臣東海に赴きて死すること有らんのみ。) 不ンバ則チ百タビ悔ユルトモ亦タ竟ニ無カラン(レ)益。(不んば則ち百たび悔ゆるとも亦た竟に益無からん。) 可ナラバ則チ立(レ)テヨ之ヲ、否ンバ則チ已メヨ。(可ならば則ち之を立てよ、否んば則ち已めよ。) ★「自非〜」 〜二あらザルよリハ(讀み)、〜でなかったならば・〜でない限りは(意味) 常林ハ自リハ(レ)非(二)ザル手力(一)ニ、不(レ)取(二)ラ之ヲ於人(一)ニ。(常林は手力に非ざるよりは、之を人に取らず。) *尚、「自非〜」の時の「自」は、「苟」と同様に扱い、「いやしクモ〜ニあらザレバ」と讀む事が有ります。 常林ハ自クモ非(二)ザレバ手力(一)ニ、不(レ)取(二)ラ之ヲ於人(一)ニ。(常林は自くも手力に非ざれば、之を人に取らず。) ★「使(令・教・遣・俾)〜」 〜ヲシテ〜(セ)しメバ(讀み・・使役の假定の場合は、多く未然形の「しメバ」と讀み、あまり已然形の「しムレバ」とは讀みません。), 〜に〜させたならば・〜を〜としたならば(意味) 使(三)メバ我ヲシテ有(二)ラ洛陽負郭ノ田二頃(一)、豈ニ能ク佩(二)ビン六國ノ相印(一)ヲ乎。(我をして洛陽負郭の田二頃有らしめば、豈に能く六國の相印を佩びんや。) 令(二)メバ公主之禮ヲシテ有(一)ラ(レ)過(二)グルコト長公主(一)ニ、理ハ恐ラクハ不可ナラン。 (公主の禮をして長公主に過ぐること有らしめば、理は恐らくは不可ならん。) ★「〜則(即・乃・便・就・輒・而)〜」 〜レバすなはチ〜(讀み)、〜であれば(意味) 思ヒテ而不レバ(レ)學バ則チ殆シ。 (思ひて學ばざれば則ち殆し。) 先ンズレバ即チ制ス(レ)人ヲ。(先んずれば即ち人を制す。) 非ザレバ(レ)有(二)ルニ疾病故事(一)輒チ不(レ)許サ(レ)出ヅルヲ。(疾病故事有るに非ざれば輒ち出づるを許さず。) 子欲スレバ(レ)善ヲ而チ民善ナリ矣。 (子善を欲すれば而ち民善なり。) 〜バ〜(讀み)、〜したならば・〜であれば(意味) 并セ(レ)力ヲ西ニ嚮ヒテ而攻ムレバ(レ)秦ヲ、秦必ズ破レン矣。 (力を并せ西に嚮ひて秦を攻むれば、秦必ず破れん。) 不ンバ(レ)有(二)ラ佳作(一)、何ゾ申(二)ベン雅懐(一)ヲ。 (佳作有らずんば、何ぞ雅懐を申べん。) 非(二)ズンバ其ノ君(一)ニ不(レ)事ヘ、非(二)ズンバ其ノ民(一)ニ不(レ)使ハ。 (其の君に非ずんば事へず、其の民に非ずんば使はず。) ◆参 考◆ 仮定の送り仮名「ば」に就いては、本来基本的には、仮定条件を表す(〜ならば・〜なら)表記は、「未然形+ば」であり、確定条件を表す(〜なので・〜なのに)表記は、「已然形+ば」です。しかし、江戸時代の中頃から仮定条件に応ずる結果が「必然性や真実性」を持っている場合は、確定条件の「已然形+ば」で訓読しながらも、仮定の意味を表す用法が広く使われ出す様になります。しかし、現在では可能な限り古典文法(花咲カバ・・咲いたなら、花咲ケバ・・咲いたので、君来ラバ・・来たなら、君来レバ・・来たので)に従った方が、分かり易いと思われます。 子行(二)ラバ三軍(一)ヲ、・・・(子三軍を行らば)・・未然形+ば(意味・・行ったならば) 出(二)デナバ陽関(一)ヲ、・・・(陽関を出でなば)・・連用形(下二段)+な(完了)の未然形+ば(意味・・出たならば) 出(二)ヅレバ陽関(一)ヲ、・・・(陽関を出づれば)・・已然形+ば(意味・・出たならば) 朝ニ聞(二)カバ(レ)道ヲ、・・・(朝に道を聞かば)・・未然形+ば(意味・・聞いたならば) 朝ニ聞(二)ケバ(レ)道ヲ、・・・(朝に道を聞けば)・・已然形+ば(意味・・聞いたならば) これらは、「未然形+ば」であれ「已然形+ば」であれ、前後の文脈的意味内容から、共に仮定の意味を表現する読み方として通用しています。 ○限定形の種類 限定形とは、「物事の程度や分量を限定する」語法で、大きく分けて「三種類」が有ります。限定形には、「〜だけである」と譯す平常限定と、「〜にほかならない」と譯す彊意限定とが有りますが、其の違いは、前後の文脈から判斷します。亦た限定形の部分否定形や反語の場合は、「ただ〜だけではなく〜だ」と言う意味(累加形)を表します。 @限定副詞を用いるもの。 A限定終尾詞を用いるもの。 B限定副詞と限定終尾詞を併用するもの。 以下、此等を順次説明致します。 限定副詞を用いる文章は、文末に終尾詞が無くても、副詞の「たダ」や「ひとリ」が係っていく所に「ノミ」を付けますが、漢詩等では、語調の關係で付けない場合も有ります。 ★「唯(惟・但・只・徒・特・祇・直・止・第・啻)〜」 たダ〜ノミ(讀み)、ただ〜だけ・ただ〜ばかり・ただ〜にすぎない(意味) 無(二)クシテ恒産(一)而有(二)ル恒心(一)者ハ、惟ダ士ノミ爲ス(レ)能クスト。(恒産無くして恒心有る者は、惟だ士のみ能くすと爲す。) 相如徒ダ以(二)テ口舌(一)ヲ爲スノミ(レ)勞ヲ。(相如は徒だ口舌を以て勞を爲すのみ。) 但ダ聞(二)クノミ人語ノ響(一)ヲ。(但だ人語の響を聞くのみ。) 特ダ取(三)リテ凡ソ聖賢ノ所(二)以ヲ教(一)フル(レ)人ニ、爲(二)スノミ學之大端(一)ト。(特だ凡そ聖賢の人に教ふる所以を取りて、學の大端と爲すのみ。) 止ダ可キノミ(レ)看(下)ル看(二)ル七月半(一)ヲ之人(上)ヲ。(止だ七月半を看るの人を看る可きのみ。) ★「獨〜」 ひとリ〜ノミ(讀み)、ただ〜だけ(意味) 今獨リ臣ノミ有リ(レ)船、漢軍至ルモ以テ無ケン(レ)渡ルコト。(今獨り臣のみ船有り、漢軍至るも以て渡ること無けん。) ★「纔〜」 わづカニ〜ノミ(讀み)、ただ〜だけ(意味) 初メハ極メテ狭ク纔カニ通ズルノミ(レ)人ヲ。(初めは極めて狭く纔かに人を通ずるのみ。) 限定終尾詞は、文末に在って體言・副詞・活用語の連體形等の後に付きます。 ★「〜耳(已・爾・而已・焉爾・也已・已矣・而已矣・焉耳矣・也已矣)」 〜のみ(讀み)、〜だけ・〜ばかり・〜にすぎない(意味) 堯舜モ與(レ)人同ジキ耳。(堯舜も人と同じきのみ。) 放辟邪侈無キ(レ)不ル(レ)爲サ已。(放辟邪侈爲さざる無きのみ。) 能ク順(二)ヒ木之天(一)ニ以テ致(二)ス其ノ性(一)ヲ焉爾。(能く木の天に順ひ以て其の性を致すのみ。) 斯レ亦タ不ル(レ)足ラ(レ)畏ルルニ也已。(斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。) 寡人之於ケル(レ)國ニ也、盡クス(レ)心ヲ焉耳矣。(寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。) 夫子之道ハ忠恕而已矣。(夫子の道は忠恕のみ。) ★「唯(惟・但・只・徒・特・祇・直・止・第・啻)獨〜耳(而已)」 たダ〜のみ・ひとリ〜のみ(讀み)、ただ〜だけ・ただ〜ばかり・ただ〜にすぎない(意味) 孟嘗君ハ特ダ雞鳴狗盗之雄ナル耳。(孟嘗君は特だ雞鳴狗盗の雄なるのみ。) 無ク(レ)師無ケレバ(レ)法、則チ唯ダ利ヲ之レ見ル耳。(師無く法無ければ、則ち唯だ利を之れ見るのみ。) 獨リ其ノ言在ル耳。(獨り其の言在るのみ。) 惟ダ幸(三)フ人君ノ辨(二)ズルヲ其ノ君子小人(一)ヲ而已。(惟だ人君の其の君子小人を辨ずるを幸ふのみ。) *限定形の部分否定(否定詞の下に限定副詞が在る)形や反語の場合は、「ただ〜だけではなく〜だ」と言う意味(累加形)を表し、「ノミナラ」と言う獨特な送り假名が付きます。 古之立(二)ツル大事(一)ヲ者ハ、不(三)惟ダニ有(二)ルノミナラ超世之才(一)、亦タ必ズ有(二)リ堅忍不抜之志(一)。(古の大事を立つる者は、惟だに超世の才有るのみならず、亦た必ず堅忍不抜の志有り。) 故郷何ゾ獨リ在(二)ルノミナランヤ長安(一)ニ。(故郷何ぞ獨り長安に在るのみならんや。) ○比較形の種類 比較形とは、「複數の物事を比べたり、あるいは喩えたりする」語法で、大きく分けて「二種類」が有ります。 @比較や選擇を表すもの。 A單なる比喩を表すもの。 以下、此等を順次説明致します。 ★「寧〜」 むしロ〜(讀み)、〜を願う・〜の方がましだ(意味) 寧ロ赴(二)キテ湘流(一)ニ葬(二)ラレン於江魚之腹中(一)ニ。(寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬られん。) 寧ロ爲(二)ルトモ雞口(一)ト、無カレ(レ)爲(二)ル牛後(一)ト。(寧ろ雞口と爲るとも、牛後と爲る無かれ。) ★「不(莫)如(若)〜」 〜ニしカず・〜ニしクハなシ(讀み)、〜におよばない・〜におよびものはない(意味) *「しカず」や「しクハなシ」に返る前の字の送り假名には、必ず「ニ」が付きます。又た「〜ニしカず」は「〜は〜におよばない」と言う比較の意味ですので、「〜よりも〜の方が良い」とも譯せます。「〜ニしクハなシ」は「〜におよびものはない」と言う最上級の意味ですので、「〜が一番である」とも譯せます。 百聞ハ不(レ)如(二)カ一見(一)ニ。(百聞は一見に如かず。) 莫シ(レ)若(二)クハ六國從親シテ以テ擯(一)クルニ(レ)秦ヲ。(六國從親して以て秦を擯くるに若くは莫し。) ★「與〜寧〜」 〜よリハむしロ〜(讀み)、〜よりは〜の方がよい・〜よりは〜だ(意味) 禮ハ與(二)リハ其ノ奢(一)ナラン也、寧ロ儉ナレ。(禮は其の奢ならんよりは寧ろ儉なれ。) ★「與〜不如(若)〜」 〜よリハ〜ニしカず(讀み)、〜よりは〜の方がよい・〜よりは〜の方がましだ(意味) 與(二)リハ富ミテ而畏(一)レン(レ)人ヲ、不(レ)若(二)カ貧ニシテ而無(一)キニ(レ)屈スル。(富みて人を畏れんよりは、貧にして屈する無きに若かず。) ★「孰〜」 いづレカ〜(讀み)、どちらが〜か(意味) 吾子ト與(二)子路(一)孰レカ賢ナル。(吾子と子路と孰れか賢なる。) 凡ソ有(二)ルト季孫(一)與(レ)無(二)キ季孫(一)、於イテ(レ)我ニ孰レカ利ナル。(凡そ季孫有ると季孫無きと、我に於いて孰れか利なる。) ★「〜孰與(孰若)〜」 〜ハ〜ニいづレゾ〜(讀み)、〜は〜にくらべてどうですか、の方が〜でしょう(意味) 公之視(二)ルニ廉將軍(一)ヲ、孰(二)與レゾ秦王(一)ニ。(公の廉將軍を視るに、秦王に孰與れぞ。) ★「與〜孰與(孰若)〜」 〜よリハ〜ニいづレゾ〜(讀み)、〜よりは〜の方が〜でしょう(意味) 與(二)リハ其ノ有(一)ラン(レ)誉(二)於前(一)ニ、孰(二)若レゾ無(一)キニ(レ)毀(二)於其ノ後(一)ニ。(其の前に誉有らんよりは、其の後に毀無きに孰若れぞ。) ★「〜於(于・乎)〜」(置き字を用いた比較で、「於」の前には形容詞がきます) 〜ヨリ(モ)〜(讀み)、〜よりも〜だ(意味) 霜葉ハ紅(二)ナリ於二月ノ花(一)ヨリモ。(霜葉は二月の花よりも紅なり。) 苛政ハ猛(二)於虎(一)ヨリモ也。(苛政は虎よりも猛なり。) 天下莫(三)シ柔(二)弱ナルハ于水(一)ヨリ。(天下水より柔弱なるは莫し。) ★「〜莫〜焉」(終尾詞を用いた比較) 〜これヨリ〜ハなシ(讀み)、これより〜なものはない(意味) 反ミテ(レ)身二而誠ナラバ、樂シミ莫シ(レ)大ナルハ(レ)焉ヨリ。(身に反みて誠ならば、樂しみ焉より大なるは莫し。) ★「如(若)〜」 〜ノ(ガ)ごとシ(讀み)、〜のようだ(意味) *「ごとシ」への接續が「ノ」か「ガ」かの違いは、體言(名詞)から返る時が「〜ノごとシ」で、動詞の連體形から返る時が「ガごとシ」です。 如(三)キ七十子之服(二)スルガ孔子(一)ニ也。(七十子の孔子に服するが如きなり。)・・動詞連體形+ガ 峩峩トシテ兮若(二)シ泰山(一)ノ。(峩峩として泰山の若し。)・・体言+ノ ★「猶(由)〜」(再讀文字を用いた比較) なホ〜ノごとシ(讀み)、ちょうど〜のようだ・ちょうど〜のようなものである・〜とおなじである(意味) 理勢之攸ハ召ス、猶ホ・シ(二)影響之相歸(一)スルガ。(理勢の召す攸は、猶ほ影響の相歸するがごとし。) 孤之有(二)ルハ孔明(一)、猶(二)ホ・キ魚之有(一)ルガ(レ)水也。(孤の孔明有るは、猶ほ魚の水有るがごときなり。) 由ホ・キ(レ)射二)ルガ於百歩之外(一)ニ也。(由ほ百歩の外に射るがごときなり。) ★如此(若是・如斯・若茲・似箇)〜」 かくノごとシ・かくノごとキ(讀み)、〜はこのようである・このような〜(意味) 逝ク者ハ如キ(レ)斯ノ夫、不(レ)舎(二)カ晝夜(一)ヲ。(逝く者は斯の如きか、晝夜を舎かず。) 其レ言(二)フ若キ(レ)茲ノ人之儔(一)ヲ乎。(其れ茲の若き人の儔を言ふか。) ○抑揚形の種類 抑揚形とは、「彊意を表す」語法で、大きく分けて「三種類」が有ります。基本的に下の句が上の句の彊意を増幅します。 @抑揚の副詞を用いるもの。 A抑揚の副詞に反語を併用したもの。 B「且」「猶」に抑揚の副詞や反語を併用したもの。 以下、此等を順次説明致します。 ★「況〜(乎)」 いはンヤ〜ヲや(讀み・・「いはンヤ」は、必ず「ヲや」で受けます。)、まして〜なら、なおさら〜だ(意味) 古人秉リ(レ)燭ヲ夜游ブ、良ニ有ル(レ)以也。況ンヤ陽春召クニ(レ)我ヲ以(二)テシ煙景(一)ヲ、大塊假スニ(レ)我ニ以(二)テスルヲヤ文章(一)ヲ。(古人燭を秉り夜游ぶ、良に以有るなり。況んや陽春我を召くに煙景を以てし、大塊我に假すに文章を以てするをや。) ★「況〜、豈〜哉」 いはンヤ〜、あニ〜ンや(讀み・・この場合、「ヲや」は省略されます。)、まして〜なら、どうして〜であろうか(意味) 況ンヤ賢(二)ナル於隗(一)ヨリ者、豈ニ遠(二)シトセン千里(一)ヲ哉。(況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや。) ★「〜且(猶)〜、況〜(乎)」 〜スラかツ(なホ)〜、いはンヤ〜ヲや(讀み)、〜でさえ〜だ、まして〜なら、なおさら〜だ(意味) 庸夫スラ且ツ知(二)ル其ノ不(一)ルヲ(レ)可ナラ、況ンヤ賢人ヲ乎。(庸夫すら且つ其の可ならざるを知る、況んや賢人をや。) 平地スラ猶ホ難シ(レ)見、況ンヤ隔(二)ツヲヤ山川(一)ヲ。(平地すら猶ほ見難し、況んや山川を隔つをや。) ★「〜且(猶)〜、安(何)〜(乎・哉)」 〜スラかツ(なホ)〜、いずクンゾ(なんゾ)〜ンや(讀み)、〜でさえ〜であれば、どうして〜であろうか(意味)。 臣死スラ且ツ不(レ)避ケ、巵酒安クンゾ足ランヤ(レ)辭スルニ。(臣死すら且つ避けず、巵酒安くんぞ辭するに足らんや。) 吾求(二)ムルコトスラ吾ガ失(一)ヲ且ツ不(レ)暇アラ、何ゾ暇アラン(レ)論ズルニ(レ)人ヲ哉。(吾吾が失を求むることすら且つ暇あらず、何ぞ人を論ずるに暇あらんや。) ★「〜且(猶)〜、況〜、何〜」 〜スラかツ(なホ)〜、いはンヤ〜、なんゾ〜ン(や)(讀み・・この場合、「ヲや」は省略されます。)、〜でさえ〜だ、まして〜なら、どうして〜であろうか(意味) 先帝毎ニ稱シテ(レ)操ヲ爲ススラ(レ)能アリト猶ホ有(二)リ此ノ失(一)。況ンヤ臣ノ駑下ナル、何ゾ能ク必勝センヤ。(先帝毎に操を稱して能ありと爲すすら猶ほ此の失有り。況んや臣の駑下なる、何ぞ能く必勝せんや。) ○詠嘆形の種類 詠嘆形とは、褒めたり嘆いたりする、「詠嘆・感動を表す」語法で、大きく分けて「四種類」が有ります。 @感嘆詞を用いるもの。 A詠嘆・感動の終尾詞を用いるもの。 B感嘆詞と詠嘆・感動の終尾詞を併用するもの。 C表現上は、疑問・否定・反語の形を取るも、前後の文脈や内容から詠嘆に讀むもの。 以下、此等を順次説明致します。 @感嘆詞を用いるもの。(句頭に置きます) ★「噫(唉・嗟・嗚呼・嗟夫・嗟乎・于嗟)〜」 ああ(讀み)、ああ(意味) 子曰ク、噫、天喪ボセリ(レ)予ヲ、天喪ボセリト(レ)予ヲ。(子曰く、噫《ああ》、天予を喪ぼせり、天予を喪ぼせりと。) 唉、豎子不(レ)足(二)ラ與ニ謀(一)ルニ。(唉《ああ》、豎子與に謀るに足らず。) 嗟乎、士ハ爲(二)ニ知ル(レ)己ヲ者(一)ノ死ス。(嗟乎《ああ》、士は己を知る者の爲に死す。) 嗚呼、公ハ絶大ノ豪傑、其ノ名震フ(レ)世ニ。(嗚呼《ああ》、公は絶大の豪傑、其の名世に震ふ。) ★「〜乎(哉・夫・與・也・也夫・也哉・矣哉・矣乎・哉乎)」 〜かな・〜か(讀み)、〜だなあ(意味) 牡丹ヲ之レ愛ス、宜ナル乎衆キコト矣。(牡丹を之れ愛す、宜なるかな衆きこと。) 史之記載不(レ)備ハラ、惜シイ哉。(史の記載備わらず、惜しいかな。) 亦タ猶(二)ホ・シ今之視(一)ルガ(レ)昔ヲ、悲シキ夫。(亦た猶ほ今の昔を視るがごとし、悲しきかな。) 子曰ク、已ンヌル矣乎。(子曰く。已んぬるかな。) 怨毒之於ケル(レ)人ニ、甚ダシキ矣哉。(怨毒の人に於ける、甚だしきかな。) ★「噫(唉・嗟・嗚呼・嗟夫・嗟乎・于嗟)〜乎(也・哉・夫・與・也夫・也哉・矣哉・矣乎・哉乎)」 ああ〜かな(讀み)、ああ〜だなあ(意味) 噫、吾ト與(レ)爾猶ホ・キ(レ)彼ノ也。(噫《ああ》、吾と爾と猶ほ彼のごときかな。) 嗚呼、増モ亦タ人傑ナル也哉。(嗚呼《ああ》、増も亦た人傑なるかな。) C表現上は、疑問・否定・反語の形を取るも、前後の文脈や内容から詠嘆に讀むもの。 ★「何〜(也)」 なんゾ〜ヤ(や)(讀み)、なんと〜なことよ・なんと〜か(意味) 漢皆已ニ得タル(レ)楚ヲ乎、是レ何ゾ楚人之多キ也。(漢皆已に楚を得たるか、是れ何ぞ楚人の多きや。) ★「不亦〜乎(夫)」 まタ〜ずや(讀み)、何とまあ〜ではないか(意味) 比スニ(レ)之ヲ匪ズトハ(レ)人ニ、不(二)亦タ傷(一)マシカラ 乎。(之を比すに人に匪ずとは、亦た傷ましからずや。) 不(二)亦タ善(一)ナラ夫、吾問イテ(レ)養フヲ(レ)樹ヲ得(二)タリ養フノ(レ)人ヲ術(一)ヲ。(亦た善ならずや、吾樹を養ふを問いて人を養ふの術を得たり。) ★「豈不(非)〜哉」 あニ〜ずや・あニ〜あらズや(讀み)、何とまあ〜ではないか(意味) 以テ(レ)此ヲ爲ス(レ)治ヲ、豈ニ不(レ)難カラ哉。(此を以て治を爲す、豈に難からずや。) 吾悔(下)ユ不(レ)用(二)ヒ蒯通之計(一)ヲ、乃チ爲(中)ルヲ兒女子ノ所(上)ト(レ)詐ル、豈ニ非ズ(レ)天ニ哉。(吾蒯通の計を用ひず、乃ち兒女子の詐る所と爲るを悔ゆ、豈に天に非ずや。) ★「無寧(無乃)〜乎」 むしロ〜か・むしロ〜なカランや・すなはチ〜なカランや(讀み)、いっそ〜ではないか・むしろ〜ではないか(意味) *これらの二字は、文脈に因っては、「寧ろ・・・無からんや」とか「乃ち・・・無からんや」とも讀みます 無寧(むし)ロ死(二)セン於二三子之手(一)ニ乎。(無寧ろ二三子の手に死せんか。)・・詠嘆或いは願望 無(三)カラン寧ロ死(二)スルコト於二三子之手(一)ニ乎。(寧ろ二三子之の手に死すること無からんや。) ・・反語 居リテ(レ)簡ニ而行フハ(レ)簡ヲ無乃(むし)ロ大簡ナラン乎。(簡に居りて簡を行ふは無乃ろ大簡ならんか。)・・詠嘆或いは願望 居リテ(レ)簡ニ而行フハ(レ)簡ヲ無(二)カラン乃チ大簡(一)ナルコト乎。(簡に居りて簡を行ふは乃ち大簡なること無からんや。)・・反語 ◆参 考◆ 「兮」は、一般的に韻文(詩・辭・賦・歌)等の中間や末尾に置き、音調を助ける助辞として使用されていますが、時たま「や・か」と読んで、感嘆(詠嘆)の意を表すことがあります。「音調を助ける助辞としての用例」 力抜キ(レ)山ヲ兮、氣ハ蓋フ(レ)世ヲ。(力山を抜き、氣は世を蓋ふ。)大風起コリ兮、雲飛揚ス。(大風起こり、雲飛揚す。) 夫レ維レ聖哲之茂行兮。(夫れ維れ聖哲の茂行。) 啓ニ九辨ト與(二)アリ九歌(一)兮。(啓に九辨と九歌とあり。) 卿雲爛タリ兮、糺縵縵タリ兮。(卿雲爛たり、糺縵縵たり。) 南風之薫レルハ兮、可(三)シ以テ解(二)ク吾ガ民之慍(一)ヲ兮。(南風の薫れるは、以て吾が民の慍を解く可し。) 「感嘆の助辞としての用例」 子兮子兮、如(二)此ノ邂逅(一)ヲ何セン。(子や子や、此の邂逅を如何せん。) 猗ラン兮違ラン兮、心ニ之レ哀メリ兮。(猗らんか違らんか、心に之れ哀めり。) *蛇足 今でも「兮」は、小説やドラマの中の韻文でよく使われますが、その一例として現代武侠小説やドラマで使用されている挿入歌の一節から江山美人 揺揺タリ 兮、花ハ落ツル兮 水ハ流ルル兮、雲ハ飛ブ兮 風ハ光レル兮。(江山美人 揺揺たり、花は落つるや 水は流るるか、雲は飛ぶや 風は光れるか。) 莽莽蒼蒼兮、群山巍峨。日月光照兮、紛紜錯落。行雲流水兮、用心無多。(莽莽蒼蒼、群山巍峨たり。日月光照、紛紜錯落す。行雲流水、用心多無し。) ○倒置形の種類 倒置形とは、ある事柄を彊調する爲に、「語句を轉倒させる」語法で、大きく分けて「四種類」が有ります。其の時に使用される「之」は、「こレ」と讀みますが、此は代名詞ではなく、「語調を整えたり彊調を表す助字」とみなします。 @主語と述語とが倒置するもの。(詠嘆形に多く見られる) A目的語と述語とが倒置するもの。(此の場合「之」を入れて意味を彊める) B反語の倒置形を取るもの。(此の場合「之」を入れて意味を彊める) C疑問代名詞が目的語となる時や、他動詞が否定詞を伴い、代名詞を目的語とする時のもの。(此れは、あくまで原則としてです) 以下、此等を順次説明致します。 @主語と述語とが倒置するもの。(詠嘆形に多く見られる) ★「〜哉〜」 〜ナルかな〜(や)(讀み)、〜だなあ〜は(意味) 有ル(レ)是レ哉、子之迂ナル也。(是れ有るかな、子の迂なるや。) *本來の形は、「子之迂也、有是哉。」です。 賢ナル哉回也。(賢なるかな回や。) *本來の形は、「回也賢哉。」です。 美ナル哉水、洋洋乎タリ。(美なるかな水、洋洋乎たり。) *本來の形は、「水美哉、洋洋乎。」です。 ★「噫嘻〜(也)」 ああ〜(や)(讀み)、ああ〜だなあ〜は(意味) 噫嘻、亦タ太甚ダシ矣、先生之言也。(噫嘻《ああ》、亦た太甚だし、先生の言や。) *本來の形は、「噫嘻、先生之言也、亦太甚矣。」です。 A目的語と述語とが倒置するもの。(此の場合「之」を入れて意味を彊める) ★「〜之〜」 〜ヲこレ〜(讀み)、〜こそが〜である(意味) 父母ハ唯ダ其ノ疾ヲバ之レ憂フ。(父母は唯だ其の疾をば之れ憂ふ。) *本來の形は、「父母唯憂其疾。」です。(尚、この場合の「唯」は、限定の「たダ」ではなく、強調を表す「たダ」と思われますので、「ノミ」では受けません) 徳ヲ之レ不(レ)脩メ、學ヲ之レ不(レ)講ゼ。(徳を之れ脩めず、學を之れ講ぜず。) *本來の形は、「不脩徳、不講學。」です。 専ラ知識才藝ヲ之レ務メバ、則チ殞(二)シ徳性(一)ヲ傷(二)リ教化(一)ヲ、其ノ害不(レ)可カラ(レ)勝フ(レ)言フニ。(専ら知識才藝を之れ務めば、則ち徳性を殞し教化を傷り、其の害言ふに勝ふ可からず。) *本來の形は、「専務知識才藝、則〜。」です。 ★「此之謂〜」 これヲこレ〜トいフ(讀み)、これこそ〜というのである・これこそ〜の意味である(意味) 富貴モ不(レ)能ハ(レ)淫ス、貧賤モ不(レ)能ハ(レ)移ス、威武モ不(レ)能ハ(レ)屈スル、此ヲ之レ謂(二)フ大丈夫(一)ト。(富貴も淫す能はず、貧賤も移す能はず、威武も屈する能はず、此を之れ大丈夫と謂ふ。) *本來の形は、「〜、謂此大丈夫。」です。 ★「〜、未之〜」 〜、いまダこレ〜ず(讀み)、いままでに〜したことがない・いままでに〜したためしがない(意味) 不シテ(レ)好マ(レ)犯スヲ(レ)上ヲ而好ム(レ)作スヲ(レ)亂ヲ者ハ、未(二)ダ・ル之レ有(一)ラ也。(上を犯すを好まずして亂を作すを好む者は、未だ之れ有らざるなり。) *本來の形は、「未有不好犯上而好作亂者也。」です。 B反語の倒置形を取るもの。(此の場合「之」を入れて意味を彊める) ★「何〜之有)」 なんノ〜カこレあラン(讀み)、どんな〜があろうか(いや、どんな〜もない)(意味) 愁苦如シ(レ)此ノ、何ノ樂カ之レ有ラン。(愁苦此の如し、何の樂か之れ有らん。) *本來の形は、「愁苦如此、有何樂。」です。 不仁ニシテ而可(二)クンバ與ニ言(一)フ、則チ何ノ亡ボシ(レ)國ヲ敗ルコトカ(レ)家ヲ之レ有ラン。(不仁にして與に言ふ可くんば、則ち何の國を亡ぼし家を敗ることか之れ有らん。) *本来の形は、「〜、則有何亡國敗家。」です。 C疑問代名詞が目的語となる時や、他動詞が否定詞を伴い、代名詞を目的語とする時のもの。(此れは、あくまで原則としてです) 我ハ則チ誰ト與ニセン。(我は則ち誰と與にせん。) *本來の形は、「我則與誰。」です。 賓客不(二)我ヲ内(一)レ。(賓客我を内れず。) *本來の形は、「賓客不内我。」です。 ○累加形の種類 累加形とは、ある事柄を加上する爲に、「ただそれだけではなく・更にその上に等の意味を表す」語法で、大きく分けて「三種類」が有ります。 @否定詞の下に限定の副詞を置くもの。(部分否定の形) A疑問詞の下に限定の副詞を置くもの。(反語形) B「加之」(しかのみならず)を用いるもの。 以下、此等を順次説明致します。 @否定詞の下に限定の副詞を置くもの。(部分否定の形) ★「不(非)唯(惟・但・徒・直・只・第・啻・止・特・祇)〜、〜」 たダニ〜ノミナラず(ノミニあらズ)、〜(讀み)、「ただ〜だけではなく、そのうえ〜だ」(意味) 不(二)唯ダニ忘(一)ルルノミナラ(レ)歸ルヲ、可(二)シ以テ終(一)フ(レ)老ヲ。(唯だに歸るを忘るるのみならず、以て老を終ふ可し。) 非(二)ズ徒ダニ無(一)キノミニ(レ)益、而モ又害ス(レ)之ヲ。 (徒だに益無きのみに非ず、而も又之を害す。) 非(二)ザル惟ダニ百乗之家ノミ爲(一)スニ(レ)然リト也。 (徒だに百乗の家のみ然りと爲すに非ざるなり。) ★「不獨〜、〜」 ひとリ〜ノミナラず、〜(讀み)、「ただ〜だけではなく、そのうえ〜だ」(意味) 不(二)獨リ漢朝(一)ノミナラ、今モ亦タ有リ。(獨り漢朝のみならず、今も亦た有り。) ★「不終〜、〜」 ついニハ〜ノミナラず、〜(讀み)、「結局は(とどのつまりは)〜だけではなく、そのうえ〜だ」(意味) 不(三)終ニハ招(二)來スルノミナラ我ガ民族ノ滅亡(一)ヲ、延キテ可(三)シ破(二)却ス人類ノ文明(一)ヲ。(終には我が民族の滅亡を招來するのみならず、延きて人類の文明を破却す可し。) A疑問詞の下に限定の副詞を置くもの。(反語形) ★「豈唯〜」 あニたダニ〜ノミナランヤ(や)(讀み)、「どうしてただ〜だけであろうか、いやそれだけではなく〜」(意味) 豈ニ唯ダニ予ノミナラン哉。(豈に唯だに予のみならんや。) ★「何獨〜」 なんゾひとリ〜ノミナランヤ(や)(讀み)、「どうしてただ〜だけであろうか、いやそれだけではなく〜」(意味) 何ゾ獨リ怪(二)シムノミナランヤ仙者之異(一)ナルヲ。(何ぞ獨り仙者の異なるを怪しむのみならんや。) ★「〜、加之〜」 しかのみならず〜(讀み)、そればかりではなく・あまつさえ・その上に・加うるに(意味) 其ノ間ニ接(二)─ 納シ賓客ヲ、加之博奕モ不(レ)廢サ。(其の間に賓客を接納し、加之《しかのみならず》博奕も廢さず。) 世界ノ大勢亦タ不(レ)利アラ(レ)我ニ、加之敵ハ新タニ使(二)用シテ殘虐ナル爆彈(一)ヲ而頻ニ殺(二)傷ス無辜(一)ヲ。(世界の大勢亦た我に利あらず、加之《しかのみならず》敵は新たに殘虐なる爆彈を使用して頻に無辜を殺傷す。) *但し、今では一般的に「之に加ふるに」と讀みます。文脈に因っては「しかのみならず」と讀むより、「之に加ふるに」と讀んだ方が良い時も有ります。 千乘之國、攝(二)シ大國之間(一)ニ、加フルニ(レ)之ニ以(二)テシ師旅(一)ヲ、因ルニ(レ)之ニ以(二)テス饑饉(一)ヲ。(千乘の國、大國の間に攝し、之に加ふるに師旅以てし、之に因るに饑饉を以てす。) 千乘之國、攝(二)シ大國之間(一)ニ、加フルニ(レ)之ニ以(二)テシ師旅(一)ヲ、因ルニ(レ)之ニ以(二)テス饑饉(一)ヲ。(千乘の國、大國の間に攝し、加之《しかのみならず》師旅以てし、之に因るに饑饉を以てす。) 中國の文獻を見ると、多種多様な官職が登場しますが、歴代の王朝間で官名や職責等は大きく異なります。其処で、漢代と唐代の中央官職の代表的一部を簡單に説明します。 *漢代の代表的中央官職は、「三公九卿」と言われるものです。 三師・・・太師・太傅・太保(天子の教育係で非常置で、行政的實務は無い) ☆三公(天子の補佐役) 丞相(司徒)(行政擔當)・太尉(司馬)(軍事擔當)・御史大夫(司空)(司法擔當) ☆九卿 太常(宗廟や儀禮擔當)・光禄勲(宮殿の門戸擔當)・衛尉(宮門内の警衛擔當) 太僕(天子の車馬擔當)・廷尉(刑罰擔當)・大鴻臚(外國の客や蕃族擔當) 宗正(天子の宗室擔當)・大司農(穀物や貨幣擔當)・少府(産物の税や天子の給養擔當) 以上(☆印)が、「三公九卿」で、此の他には、 將作大匠(建築擔當)・大長秋(皇后擔當)・執金吾(京都の巡邏擔當) 水衡都尉(上林苑の監督擔當)・司隷校尉(京都の警察擔當)・城門校尉(京都城門守備擔當) 等が有ります。 地方官 刺史・牧(州の長官)・太守(郡の長官)・令・長(県の長官) *唐代の代表的中央官職は、「三公六省九寺五監」と言われるものですが、實際に政治權力の中樞に位置したのは、六省中の三省と尚書省中の六部で、「三省六部」と稱されています。 三師・・・太師・太傅・太保(天子の教育係で、贈官用で行政的實務は無い) 三公(天子の補佐役) 司徒(行政擔當)・太尉(軍事擔當)・司空(司法擔當) 六省 ☆尚書省(詔勅を施行) ☆尚書六部 吏部(官吏の選授擔當)・戸部(戸籍や年貢擔當)・禮部(儀禮や祭司擔當) 兵部(軍事や武官擔當)・刑部(刑罰擔當)・工部(百工や水利等擔當) ☆門下省(詔勅の内容吟味) ☆中書省(詔勅の起草) 以上(☆印)が、「三省六部」で、残りの三省は、 秘書省(圖書や經籍擔當)・殿中省(服御や乗輿擔當)・内侍省(後宮擔當) 九寺 太常寺(宗廟や儀禮擔當)・光禄寺(宮殿の宴會擔當)・衛尉寺(宮門の警衛擔當) 太僕寺(車馬や厩牧擔當)・大理寺(刑罰擔當)・鴻臚寺(賓客の接待や葬儀擔當) 宗正寺(皇室の簿籍擔當)・司農寺(穀物や貨幣担擔當・太府寺(財貨や度量衡擔當) 五監 國子監(大學擔當)・少府監(天使の服御や百官の儀制擔當)・將作監(土木や建築擔當) 軍器監(武器や武具の製造修繕擔當)・都水監(河川の船や橋擔當) 地方官 節度使(道の長官)・牧(府の長官)・刺史(州の長官)・太守(郡の長官)・令(県の長官) 同字異訓の一つである「自」は、「みずかラ・おのずかラ・よリ・よル・よっテ・もっテ・いやしクモ」等々、多様な讀み方を致しますが、極めて特殊な例として、置き字(前置詞・介詞)の「于・於」と同じ働きで使われる事が有ります。其の代表的な例は「出自」と言う言葉です。 *出自・・・出于(於)〜に同じ 「出自東方」と言う句であれば、一般的には「出(レ)自(二)東方(一)」と返り點を付けて「東方より出づ」と訓じていますが、本來は、「出(二)自東方(一)」と付けて「東方より出づ」と訓ずるのが正しい讀み方と言えるでしょう。さもなくば、「出(二)自東方(一)」と付けて「東方より出自す」と讀むか、「出自(二)東方(一)」と付けて「出づること東方よりす」と讀む可きでしょう。 文法的に言えば、「自」を起點を表す「より」と讀む時は、元來「出」と言う動詞は、「自東方出」と「東方」の下に來るのが正しい位置です。例えば、『論語』学而篇の「有(レ)朋自(二)遠方(一)來」(朋有り遠方より來たる)等が、其の代表的なものです。 しかし、「出自」の様に動詞が「自」の上に來た時は、「自」を「于・於」と同様に置き字(前置詞・介詞)として使用しており、例え「〜より〜」と訓じたにしても、この「より」は「自」を訓じた「より」では無く、「自」の下に置かれた名詞の「送り假名」としての「より」と理解す可きです。 例えば 需(二)チ于血(一)ニ、出(二)ヅ自穴(一)ヨリ。(血に需ち、穴より出づ。)・・・『周易』需の一節 出(二)デ自幽谷(一)ヨリ、遷(二)ル于喬水(一)ニ。(幽谷より出で、喬水に遷る。)・・・『詩経』小雅伐木の一節 出(二)デ自湯谷(一)ヨリ、次(二)ル于蒙(一)ニ。(湯谷より出で、蒙に次る。)・・・『楚辞』天問篇の一節 至(二)リテハ於三六ノ雜言(一)ニ則チ出(二)デ自篇什(一)ヨリ、離合之發スルハ則チ萌(二)ス於圖讖(一)ニ。(三六の雜言に至りては則ち篇什より出で、離合の發するは則ち圖讖に萌す。)・・・『文心雕龍』卷二明詩の一節 李深源・元克己、時ニ同遊シ皆大イニ喜ブハ、出(二)ヅ自意外(一)ニ。(李深源・元克己、時に同遊し皆大いに喜ぶは、意外に出づ。)・・・『柳河東集』卷二十九鈷ヒ潭西小丘記の一節 などが、其の例です。 亦た、此の様な例は大概「出」の字が多く、他の動詞は極めて用例が少ないと言えます。寡聞にして、「歸自」とか「來自」とかは、古文獻上に數點の用例が散見するに過ぎません。此の事は、「出自」は「出自」で一つの言葉である、と理解されていたが爲ではないでしょうか。 今、其の端的な例を示しますと、同一の書き手が同一の文章の中で、「出自」と其れ以外とを、明白に書き分けている點です。 三兄雲隠自(二)リ京師(一)歸リ、〜出(二)ヅレバ自山林ノ輩(一)ヨリ則チ可ナリ、〜。(三兄雲隠京師より歸り、〜山林の輩より出づれば則ち可なり、〜。)・・・『山志』卷一蒋相國詩の一節 上記の文は、清初の學者王弘撰の『山志』中の「蒋相國詩」と言う僅か百字彊の短文ですが、其の中で明白に、「自京師歸」(京師より歸る)と「出自山林輩」(山林の輩より出づ)とを書き分けています。 同様に、清朝の大學者趙翼も『廿二史箚記』の中で、 借(二)ル荊州(一)ヲ之説ハ、出(二)ズル自呉人(一)ニ事後之論ニシテ而非(二)ザル當日ノ情事(一)ニ也。〜自(二)リ北軍(一)脱歸スル者、皆投ズ(レ)備ニ。〜。(荊州を借るの説は、呉人に出づる事後の論にして當日の情事に非ざるなり。〜北軍より脱歸する者、皆備に投ず。〜。)・・・卷七「借荊州之非」の一節 と、「出自呉人」(呉人に出づ)と言い、僅か四十字後に「自北軍脱歸者」(北軍より脱歸する者)と、明白に書き分けています。 此の事は、同じ動詞であっても「出自」の時の「出」と他の動詞とでは、明らかに使用形態が異なると、書き手に意識されていた、明白な証左ではないでしょうか。 しかし、「出」字以外の動詞例が全く無いかと言えば、必ずしもそうでは無く、極めて數が少ないものの「來」とか「歸」とか「至」・「入」・「生」・「發」等も「自」の字の上に來る事が有ります。 例えば 鄭伯歸(二)リ自晉(一)ヨリ、使(二)ム子西ヲシテ如キテ(レ)晉ニ聘(一)セ。(鄭伯晉より歸り、子西をして晉に如きて聘せしむ。)・・・『春秋左氏伝』襄公二十六年の一節 王來(二)タリ自奄(一)ヨリ、至(二)ル于宗周(一)ニ。(王奄より來たり、宗周に至る。)・・・『尚書』多方の一節 帝王顓頊ハ生(二)マル自若水(一)ニ。(帝顓頊は若水に生まる。)・・・『呂氏春秋』古樂篇の一節 天下有(二)リ三門(一)。由(二)リ於情欲(一)ニ入(二)リ自禽門(一)ニ、由(二)リ於禮儀(一)ニ入(二)リ自人門(一)ニ、由(二)リ於獨智(一)ニ入(二)ル自聖門(一)ニ。(天下に三門有り。情欲に由り禽門に入り、禮儀に由り人門に入り、獨智に由り聖門に入る。)・・・『法言』修身篇の一節 戊辰駐(二)ス蹕於鎮州(一)ニ、丙子朔發(二)ス鎮州(一)ヲ。癸巳至(二)ル自太原(一)ニ。(戊辰鎮州に駐蹕す。丙子朔鎮州を發す。癸巳太原に至る。)・・・『宋史』卷二開寶二年の一節 乃チ以(二)テ南伐(一)ヲ爲シ(レ)名ト、發(二)ス自平城(一)ヨリ。(乃ち南伐を以て名と爲し、平城より發す。)・・・『ガイ餘叢考』卷十七「三大遷」の一節 等々ですが、「出自」が古代から清朝末までの文獻に多數使用され、日常的に見かけるのに對して、「來自」「歸自」「至自」等は、先秦の古文獻や史書にポツポツと散見し、實際には其れ程多く見かける事は無く、何か古文獻を讀んでいる時に、「ああ出て來た、出て來た」と感じる程度です。 因って、「出自」(「來自」「歸自」「至自」等を含む)の時の「自」に對する、返り點の付け方や讀み方には、注意が必要であると思われます。 漢文訓讀の參考書は、其れこそ枚擧に暇無い程多く有りますが、此の拙文を纏めるに當たり參考にさせて頂いた先人の諸書の中でも、特に代表的なものの一部を、以下に列擧しておきます。 『漢文学習小事典』・・・田部井文雄等(昭和47年、大修館) 『新編漢文入門』・・・原田種成等(昭和48年、準教出版社) 『漢文解釈辞典』・・・多久弘一等(昭和55年、国書刊行会) 『漢文訓読の基礎』・・・中沢希男等(昭和60年、教育出版社) 『漢文(まとめと要点)』・・・森野繁夫等(平成元年、白帝社) 『漢詩漢文小百科』・・・田部井文雄等(平成2年、大修館) 『漢文語法ハンドブック』・・・江連隆(平成9年、大修館) 『漢字・漢語概説』・・・中沢希男(昭和53年、教育出版社) 『漢字小百科辞典』・・・原田種成(平成元年、三省堂) 『助字小字典』・・・三浦勝利(平成8年、内山書店) 本拙文は、授業での講義用の單なる備忘録的資料に過ぎない。本來、本拙文は、學科編纂のテキスト原稿制作の副産物である。『中國學讀解基礎演習T』(新入生に無料配布)のテキスト制作に當たり、前半部分(受身形まで)の執筆依頼を受けた。 其処で先ず、先人の著書や長年漢文を讀んで來た中で得た知見等を元に、自分なりに一通り全體的な纏めをしておこうと考え、原稿の草稿として書き上げたのが、本拙文である。元來、己自身が授業をする時の備忘録的草稿に過ぎない為、記憶や經験則に基づいて書き進めた部分が多々有り、勘違いや思い違いの點、或いは用例文として誤った文例を擧げている點等々、數え上げたらきりがないであろう。其の様な拙文を提示する事自體、將に汗顔の至りではあるが、駄馬の手す寂びとして御寛恕を賜り、博雅の士の指教を切に請ふ次第である。
此所に提示した基本文型は、所謂基本中の基本句形に過ぎず、實際の漢文は此等が變化したり、絡み合ったりして、長文を構成しています。一見複雜そうに思えますが、實は大半が單純な文型を連ねただけの長文に過ぎません。因って、其れを讀み解くのは、一寸したパズル感覚の知的な遊び、或いは頭の體操とでも言えましょう。 とは言っても、漢文を訓讀すると言う事は、日本語の文法に當て嵌めて日本語として解釋すると言う事ですので、畢竟日本語の能力つまり國語力が求められます。漢字が分からなければ、漢和辭典を引けば答えが出ます。しかし、國語力は辭書ではカバー出來ません。國語力は、子供の時から營々として養われて來るものです。小學校時代から、多くの文章や古典の名作や名文等を讀み(特に聲を出して讀み)、國語力を養成しましょう。 しっかりした國語力さえ身に付けていれば、後は簡單です。漢文を訓讀する事など、ちょちょいのちょいと、頭の體操で樂しく讀めます。漢文を訓讀する事が樂しい或いは面白いと感じられる様になると、當然次は、漢文を作ってみようと言う氣持ちになります。 さあ、思い立ったが吉日です。間違いだらけで結構です、漢字を竝べて漢文らしきものを作りましょう。最初から完璧な讀みとか文章など、有ろうはずが有りません。否、一生讀んでいても、本當に心から納得出來る讀みとか文章等、お目にかかった試しが有りません。だから、糞讀みであろうと駄文であろうと、先ずは讀んでみる事、先ずは作って見る事が重要です。 古人曰く、「讀書百遍、意自ら通ず」と。讀んでいる内に自と其れらしい讀みが、書いてる内に自と其れらしい文章が、出來る様になるものです。 如何がでしたでしょうか、漢字や漢文の面白さや樂しさが理解頂けたでしょうか。僅かでも「面白いなあ」と感じた人は、さあ、聲を出して漢文を訓讀し、漢字を並べて漢文を作ってみましょう。 愚乎哉吾也、接漢土之文而來、孜孜乎以日接夜、無暑寒不樂、將垂耳順。雖然、自非 有得於心者、何悦之有。先師之罵、賢友之叱、則以恐懼自責爲己性矣。加之雜事俗情 日來月襲、動不暇開卷也。將亦我是凡夫惰士、氣萎心厭難奈何而唯保病躯耳。老心何 事轉凄然矣。噫、衰乎。嗟呼、老也夫。青志蓋氣、今安在。豈不悲哉。 次の文章を復文してみましょう。 朕 深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。 朕ハ 帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ、萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ、皇祖皇宗ノ遣範ニシテ、朕ノ 拳々措カサル所。曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ、亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ、他國ノ主權ヲ排シ、領土ヲ侵カス如キハ、固ヨリ朕カ 志ニアラス。 然ルニ交戰巳ニ四歳ヲ閲シ、朕カ 陸海將兵ノ勇戰、朕カ 百僚有司ノ勵精、朕カ 一億衆庶ノ奉公、各々最善ヲ盡セルニ拘ラス、戰局必スシモ好轉セス。世界ノ大勢亦我ニ利アラス、加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ、頻ニ無辜ヲ殺傷シ、惨害ノ及フ所、眞ニ測ルヘカラサルニ至ル。而モ尚交戰ヲ繼續セムカ。終ニハ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス、延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ。 斯ノ如クムハ朕 何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ、皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ。是レ朕カ 帝國政府ヲシテ、共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ。 朕ハ 帝國ト共ニ終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス。帝國臣民ニシテ、戰陣ニ死シ、職域ニ殉シ、非命ニ斃レタル者、及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ、五内爲ニ裂ク。且戰傷ヲ負ヒ、災禍ヲ蒙リ、家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ、朕ノ 深ク軫念スル所ナリ。 惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ、固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ、朕 善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ爲ニ大平ヲ開カムト欲ス。 朕ハ 茲ニ國體ヲ護持シ、得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ、常ニ爾臣民ト共ニ在リ。若シ夫レ情ノ激スル所、濫ニ事端ヲ滋クシ、或ハ同胞排儕、互ニ時局ヲ亂リ、爲ニ大道ヲ誤リ、信義ヲ世界ニ失フカ如キハ、朕 最モ之ヲ戒ム。宜シク擧國一家子孫相傳ヘ、確ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念ヒ、總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ、道義ヲ篤クシ、志操ヲ鞏クシ、誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ、世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ。 爾臣民、其レ克ク朕カ 意ヲ體セヨ。 上記の文章は、終戰の詔勅所謂玉音放送です。純粋な訓讀文とは必ずしも言えませんし、又た置き字や接続詞・終尾詞等の指定も有りませんが、其れらを適宜補い自由に複文してみましょう。尚、此の中で使われている「朕」と言う文字は、秦の始皇帝が天下を統一した後の始皇24年(BC223)に、「自ら稱して朕と曰ふ」と定めてから、皇帝や天子の自稱として略2160年間程に渉って使用されて來ましたが、昭和20年(1945)8月の此の詔勅を最後とし、以後公式に使われる事は有りません。つまり今では、「朕」は、使いたくても誰一人使うことが出来ない漢字なのです。 以下は、「多誤之有矣」の一つの例文に過ぎません。さあ自分自身の原文を復文させてみましょう。 朕 深鑑世界大勢與帝國現状、欲以非常措置収拾時局、茲告忠良焉爾臣民矣。 朕 使帝國政府對於米英支蘇四國、通告受諾其共同宣言之旨矣。抑圖帝國臣民之康寧、偕萬邦共榮之樂、皇祖皇宗之遣範而朕 拳々所不措也。曩所以宣戰米英二國、亦實出于庶幾帝國自存與東亜安定、如排他國主權侵領土、固非朕 志也。 然交戰巳閲四歳、朕 陸海將兵之勇戰、朕 百僚有司之勵精、朕 一億衆庶之奉公、各不拘盡最善、戰局不必好轉。世界大勢亦不利我、加之敵新使用殘虐爆彈、而頻殺傷無辜、惨害所及、眞至不可測。而尚繼續交戰乎。不終招來我民族滅亡、延可破却人類文明。 如斯朕 何以保億兆之赤子、謝皇祖皇宗之神靈哉。是所以至朕 令帝國政府應共同宣言矣。 朕 不得對與帝國共終始協力東亜開放諸盟邦、不表遺憾意。致帝國臣民而死於戰陣、殉于職域、斃乎非命者、及其遺族想、五内爲裂矣。且至負戰傷、蒙災禍、失家業者之厚生、朕 深所軫念也。 惟今後帝國可受苦難、固非尋常。爾臣民衷情、朕 善知之也。然朕時運所趨、堪難堪、忍難忍、以欲爲萬世開大平矣。 朕 茲護持國體、得信倚忠良焉爾臣民赤誠、常與爾臣民共在。若夫如情所激、濫滋事端、或同胞排儕、互亂時局、爲誤大道、失信義於世界、朕最戒之。宜擧國一家子孫相傳、確信神州不滅、念任重而道遠、期傾總力于將來建設、篤道義、鞏志操、誓発揚國體精華、不後世界進運。 爾臣民、其克體朕 意矣。 茲欲補于吾生無知與健忘也 歳在癸未(2003)夏月 識於黄虎洞 |