授業に於ける文物〜現物を見る・現物に触る〜

本ページは、『文学部FD委員会ニュース』第3号、(平成25年3月刊)からの転載である。

 

   授業に於ける文物〜現物を見る・現物に触る〜
 今は担当していないが、嘗て十年程前に数年間に渉り、中国文化演習と日本漢文学史の授業を担当した。
 その時、如何に言葉の説明を繰り返しても、受講生には言葉として理解出来たようであっても、実態としてはどうしても殆ど理解されていない部分が有ることが分かり、受講生に興味を持ってより具体的に実態を理解させるには、現物を見せて触らせ、その現物を対象として説明するのが、一番手っ取り早いのではないかと考え、以来営々と現物収集に邁進し、授業ではその集めた文物を提示して説明するように心がけた。
 現在では、担当科目の内容に因り、必要に応じて中国陶磁器・中国青銅器・中国玉器・中国及び日本の版本・日本の漢学者を中心とした肉筆書軸等々、総数5500点程の文物を適宜使用しながら授業を行っている。
 確かに、初期の数年間は、この現物を見て触ると謂う行為は、受講生の興味を大きく引き出し、彼等の知的好奇心を刺激し、多様な意見交換や、他の文物への興味・文物と文字の関係・書物と文化・漢学者の素養等々、授業自体が可成り活発化した点が認められ、事実人数こそ少ないものの、以来文物に興味を持ち続け、現在もその研究をしている者もいる。
 しかし、この様な受講生の傾向や文物に対する態度は、この数年大きく変わって来た。文物提示に因る授業を開始した当時は、確かに興味を引き出し、理解を深め、議論の活発化を示していたが、最近の受講生は、興味こそ示してくれるものの、それ以上の展開が見られなくなった。
恐らくその要因の一つとして、中国や日本の文化を理解する上での、受講生自身の基本的素養としての文化文物に対するバックグラウンドの減少が、挙げられるのではないのか、と思われる。
 嘗ては、文物を提示すると、受講生の中から「それは知っています」とか、「あれは見たことがあります」とか、「それは誰々の作品でしょう」とか、「それは何々でしょう」とか、教員が説明する以前に受講生の方から種々の知識が提示され、講義内容が多方面に展開していた。所が最近は、文物を提示しても、「それは何ですか」とか、「そんな言葉は知りません」とか、「それがどうしたのですか」とか、興味が有るのか否かさえも明白でないような反応が、多々見受けられるようになった。
 無論、教員側の説明力不足と謂う点は、認めざるを得ないが、それはそれとして、自分たちが使用しているテキスト中に登場する古代文物の現物や、講義内容に関わる過去の人々の肉筆等を見せても、教員が期待している程の感動や知的好奇心を与えていない様に思われてならない。
 今後は、文物を提示する時に、 その時だけの一過性の興味ではなく、現物に触れることを通して示された知的好奇心の持続が可能となる程の、バックグラウンドの擴大と充実を、同時並行的に行ってゆかねばならないが、その為には、どのようなアプローチを行うのが一番有効であるのか、現在試行錯誤の途上である。

 

       平成二十五年三月                                於黄虎洞

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