鶴峰と機外

本ページは、『大東文化大学歴史資料館だより』第6号、(平成21年5月刊行)からの転載である。


   鶴峰と機外

 鶴峰平沼淑郎氏(鶴峰は号)と機外平沼騏一郎氏(機外は号)は、三歳違いの兄弟である。兄の鶴峰は慶應元年(1864)、弟の機外は慶應三年(1867)、共に江戸時代最末期の生まれである。
 鶴峰は、東京帝大文學部を卒業後、法學博士となり經濟・法律の研究者として學究の道に進み、岡山師範學校教頭や早稲田大學教授等を經た後、第三代早稲田大學學長を務めている。
 一方機外は、東京帝大法學部を卒業後やはり法學博士となるが、司法省に入省して検事総長や大審院長等を經た後、政治の世界に轉身して第二代日本大學総長を務めた後、第三十五代内閣総理大臣となっている。
 この二人は、大學卒業後の道を各々異にしてはいるが、共に本學の前進大東文化學院に深く關係した因縁殘からぬ兄弟であり、共に多くの揮毫や書幅を殘している。
 先ず、本學との關係であるが、機外は言うまでも無く大東文化協會第三代會頭にして大東文化學院初代総長である。一方兄の鶴峰は、大東文化學院創立期に經濟學や經濟學概論を講じられた學院の教授である。
 さて、問題はこの二人の書であるが、「兄弟孰の書が優れているか」などと言う野暮な事は言うまい。この兄弟は、幼少時に共に漢學を教わっており、その見識や教養には、共に深廣なるものが有ると言えよう。
 鶴峰は、初め津山の儒者齋藤淡堂に『四書』や『詩經』を学び、上京後更に小石川の廣瀬惟煕に漢學を學んでいる。
 一方機外は、五歳で上京後、初め津山藩出身の博物學者にして儒医でもあった宇田川興齋に漢學を學び、次いで備中の儒者菊池文理の次男で津山藩の蘭学者箕作阮甫の婿養子となった箕作秋坪の三叉學舎で、漢學や英語を學んでいる。
 鶴峰は、伸びやかな行書で「志高意遠」と有る。この言葉は特に古典と言う譯では無く、物事を譽める時に良く使われる言葉であるが、或いは『三國志』の『魏志』武帝紀に有る「志大而智小」を洒落て捩ったものであろうか。  一方機外は、堂々たる楷書で「敬立而内直」の五字を記している。これは言うまでも無く、『易經』文言傳の「敬以直内」から取った言葉である。
 學究者の大らかな行書であれ、政治家の嚴格な楷書であれ、この兄弟の書は共に筆勢が有り、単に言葉を寫すのではなく、己が心に感知して咀嚼したものを己が言葉として筆に載せており、何處と無く幼時に漢學に接した明治人の、意氣志概を感じさせる筆遣いである様に思えてならない。

     平成二十一年四月                             於黄虎洞

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