中國文化の日本的様相

〜書籍・陶磁器・情報〜

本ページは、文教大學『中文學會報』第14号、(平成16年3月刊行)からの転載である。


   中國文化の日本的様相 〜書籍・陶磁器・情報〜
 日本人に一番知られている書籍と言えば、恐らく『三國志』だろうと思います。出版界には「困った時の『三國志』」と言う言葉が有るそうですが、何年か毎に『三國志』ブームが起こり、必ずと言って良いほど、書店の書架には『三國志』ものが並べられております。しかし、この『三國志』の大半は、所謂西晋の陳壽が著した『三國志』(歴史書)ではなく、明の羅貫中が著した『三國志演義』(小説)を拠り所としたものです。

 無論『三國志』は、宇多天皇の寛平年間(889〜897)に藤原佐世が編した『日本國見在書目録』に記載されておりますので、既に平安朝時代から知識人には讀み繼がれて來ておりますが、その翻譯が爲されたのは二十世紀の後半である一九八九年に、筑摩書房から出版された『三國志』(小南一郎・今鷹真・井波律子譯)が最初であります。
 一方『三國志演義』は、江戸時代に舶來されるや湖南文山が翻譯した『通俗三國志』(明末の『李卓吾先生批評三國志』に依據)が著され、その一般大衆への浸透度は、江戸後期に洒落本『讃極史』が作られると言う状況で、以後明治の永井コ麟(『通俗演義三國志』)から、現代の立間祥介(『三國志演義』)へと、陸續として出版され續けております。
 この様に、日本に於ける『三國志』ものの人気は、『三國志演義』に因って支えられているのでありまして、各時期のブームの火付け役を古い順に言いますと、先ず『吉川三國志』から漫畫『三國志』へ、次いで人形劇『三國志』からゲーム『三國志』への流れであったろうと、想像されるのであります。

 次ぎに、日本に於ける中國陶磁器に就いてでありますが、中國陶磁器の最高レベルの作品群は、言うまでもなく宋以後の官窯作品であり、日本の各地の遺跡から、多數の中國磁器の破片が発掘されています事例が示す様に、日本は中國陶磁器の舶來に長い歴史を持っております。
 では、日本國内に収蔵されている官窯陶磁はどれくらいかと申しますと、決して多くはなく、宋代官窯に至っては恐らく二十點前後であろうと推測されます。また、日本を代表する東京國立博物館の收藏内容を見てみますと、その陶磁器數は古代から清朝までの二千數百點に及びますが、その約半數近くが個人コレクター(横河民輔氏・広田松繁氏)からの寄贈品に因って構成されております。
 日本で國寶とか重文指定とかを受けている中國陶磁の大半は、龍泉窯(浙江省)青磁(馬蝗絆銘の輪花碗・萬聲銘の鳳凰耳瓶等)や建窯(福建省)天目碗(曜變天目等)であり、これらは全て民窯作品でありまして、古染めと稱されて茶人に珍重されます明末景徳鎭(江西省)の青花磁器も、民窯雜器に過ぎません。
 この様に、日本に於ける中國陶磁器は、主に茶の湯の文化と密接な關係を持つ茶陶としての要素が極めて彊い、日本文化獨特の數寄者的美意識の世界でありまして、中國陶磁器としての普遍的な価値基準に基づいたものではないのであります。

 最後に情報に就いてでありますが、この十年に於ける映像或いは情報メデイアの發達は、コンピュータ・衛星放送・ケーブルテレビなど、目まぐるしいまでの多様な展開を示し、それに伴い中國語圏の情報特に娯樂情報が、數年乃至は數ヶ月のタイムラグで、日本でも視ることが可能となってまいりました。
 其れに拍車をかけたのが、日本で開催される香港タレントのコンサートや、その彼らが出演する古装片ドラマ(鄭少秋・周潤發・劉コ華・梁朝偉・張國榮・張學友・郭富城・劉嘉玲・温兆倫・鄭伊健・甄子丹等が出演)の放映であろうと思われます。その日本に於ける大衆的人氣の高まりは、インターネットのウエッブ上に彼らに關わるサイトが五百弱も作られ、日々増加傾向に在る現?からも十分に窺われるのであります。現在スカイパーヘエクトTVの「大富」を通じて、中國中央電視臺の放送をリアルタイムで視る事が出來、同様に「樂樂チャイナ」を通じて中國・香港・臺灣地区の各種娯樂作品を視る事が出來ますし、更には中華系ビデオ屋を通じて中國語系(廣東語・臺灣語を含む)のエンターテーメントをも視る事も出來る状況であります。
 現在中國語圏に於ける現象は、瞬く間にインターネットを通じて日本にももたらされ、更に亦た日本での話題が瞬時に向こうのサイトで紹介されると言う具合に、雙方向の關係で中國的話題の共有部分がボーダレスに擴大する傾向を示しております。

  平成十五年十二月                                 於黄虎洞

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