真と倣と贋

本ページは、大東文化大学東洋研究所『所報』NO19号、(平成5年6月刊行)からの転載である。


   真と倣と贋
 人の心には理性と感情が有り、その言葉にも本音と建て前が有る如く、物事には全て表と裏が存在し美術品の世界では、それが本物か贋物かと言う事になる。この判定は、単なる趣味や学問を通り越し
勢い実利に結びつく傾向を多分に含んでいるため、その物が大作の優品であればあるほど、真贋判定は社会問題化し、学者間の論争を惹起させ、その陰で泣きを見る人、笑う人など、多彩な人間模様を展開させる。
 當研究室には、授業準備の一環として、紀元前の原始社会から現代に及ぶまでのほぼ四千年間の、中国古陶磁器約四百点弱が保管してあり、興味の有る学生は、自由に手に触れてその感触を楽しんでいる。これらの古陶磁器の中で生活していると、聞くとも無く骨董に纏わる色々な話が耳に入って来る様になり、そこに拘わる人々の悲喜劇を聞くにつけ、一体何が真で何が贋なのかと言う思いを、常に私に抱かせる。何となれば、本物・倣製品・贋物の差は、それを扱う人の立場や目的、及び価値観などに因って、自ずから異なって来るものである。
 一例として宋代官窯青磁に就いて考えるに、研究材料乃至は授業資料としての立場から見れば、宋代の官窯で焼かれた物が本物で、以後元・明・清の陶工達が何とか本物の域に到達したいと、努力を重ねて復元を試みた物が倣製品であり、倣宋官窯青磁は、倣製品としては本物である。一方贋物は、本物そっくりに真似て作り、本物だと称する現代物がそれであるが、譬え明・清時代の倣製品であっても、倣品と言わずして本物と称せば贋物であり、逆に現代物であっても、倣宋と称せば倣製品である。則ち、倣製品と贋物との差異は、陶工やそれに拘わった人々の制作意図や、目的及びその呼称とに因って判別されるのであり、要は、「何かの利を求めて爲にして作り上げられた」物が贋物であると言えよう。故に、授業材料としては、本物・倣製品・贋物・完品・補修品・陶片とを問わず、釉調・色調・発色・形態・絵柄・胎土・焼き上がり等を見る上では、全てが有用且つ貴重な資料であると言える。
 しかし、骨董の世界は甚だ異なる。特に日本に於いては、本歌は、宋代の官窯で焼かれた青磁のみが本物であり、他はいかがわしい贋物であれ元・明の真面目な倣品であれ、全て本歌の写し、つまり贋物である。元の倣品に百萬・二百萬の値が付けられようとも、所詮それは骨董好きの趣味的世界レベルでの話であって、美術骨董品ではない。骨董品としての本歌は、宋代官窯青磁のみであって、そこに付けられる値は、数千萬、時には億の位の数字が飛び交うのであり、ここに欲が絡んだ悲喜劇が登場する余地が有るのである。
 昨年某有名古美術商が池袋のデパートで、中国美術の展示即売を開催した時、明の永樂の青花染め付け皿に三千萬円の値が付けられていら。一体誰がこんな馬鹿高い物を買うのかと思っていた所、やがて二千萬円台で売買が成立したとの話が聞こえてきた。その時私の脳裏に「流石にこの店は本物の優品を持っていますなあ」との、見学者の一言が鮮やかに蘇り、同時に「もし私が持っていて、二百萬で如何でしょうと言った所で、恐らく誰も相手にしないだろう」との思いを強く感じた。この事は、その物の客観的真贋は別として、評価を得た然るべき所に存在した場合、譬え贋物であっても本物と信用され易く、逆に美術とは無縁の様な場所に在った時には、譬え本物でも贋物と判定され易いと言う事であり、直接的にその物自体を評価するのではなく、その周囲に存在するある種の権威に基づいて、真贋を判定したがる傾向が、一般的に多分に有る事を示している。
 我々は誰も国立博物館や有名美術館に、贋物が収蔵されているなどとは思わない。故に、それらの権威有る図版などを参考にして判定を下すが、それが完全無欠であるとの保証などは何処にも無い。権威は権威となるまでの過程に於いて、それに相応しい実体を伴っているが故に権威と認定され得るのであって、一度権威として確定した後は、往々にして権威自体が一人歩きし出す傾向を持っており、これを唯一の判断基準とする事は、時に大きな誤りを犯す事にもなる。無論専門的権威は、判断基準の重要なフアクターであるが、あくまで数あるフアクターの一つに過ぎないのである。とすれば、種々のフアクターを参考にしつつも、己の保持する知識と瞬間的感性とを加味して、最終的判断を下すのが、最良の方法であると言えよう。
 己の見識で下した判断ならば、例え誤りに気が付いても諦めがつく。しかし、他の権威に縋って下した判断に誤りが有った時には、ほろ苦い悔いが残る。この事は、何も古陶磁器の判定に限った事ではなく、全ての物事に就いて言い得る事であろうなどと、自戒を噛み締めつつ古陶磁器を眺め暮らす昨今である。

     平成五年四月                             於黄虎洞

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