図書館所蔵貴重漢籍について

本ページは、大東文化大学『Livre』NO、20(平成8年11月刊)からの転載である。


1、
明版『太平広記』500卷36冊本
2、
明版『王文成公全書』38卷24冊本
3、
古活字版『群書治要』50卷47冊本
4、
『甘雨亭叢書』56冊本

 

   大東文化大学図書館所蔵貴重漢籍について
 本日は、我が大東文化大学の図書館に昨年度(平成七年度中)収蔵された、漢籍の貴重書四種について、書誌学的な話を少し交えながら、紹介したいと思います。

   1、明版『太平広記』500卷36冊本
 『太平広記』とは、北宋の李ム(925〜996)らが宋の太宗の勅命を受けて編集した古小説集です。現在既に散逸してしまったような漢代から宋初に至る間に書かれた475種の小説集などから、約7000強の古小説を収録した文言小説の一大宝庫です。この本は、清代乾隆年間(1736〜1795)に黄晟が刊行した小型本が一般的に流布していますが、本書は、宋代の写本を入手した明の無錫の談トが、嘉靖45(1566)年に校刊した本に基づく許自昌の重校本です。本書は、嘉靖45年の談トの序文を伴っていますが、霏玉軒藏版に基づく許自昌の重校本であるため、若干時期が降った頃の製作と推測されます。許自昌は、蘇州の人で明の中期から末期にかけて生存した人物で、萬暦年間(1573〜1620)に多数の書籍を版行しています。明白な時期は断定し難いものの、書式・書樣などから判断して、恐らく本書は、萬暦20(1590)年前後に成立した版本であろうと推測されます。
 本書の版式は、左右双辺、有界白口上黒魚尾、12行24字、封面は左右廣幅中央細幅の三面に区切り、右に「呉郡重校」、左に「太平広記」、中央に「霏玉軒藏版」と入っています。表紙は、和本用の丹表紙に改装されていますが、保存状態は上々の木箱入り善本です。本書と同系統の本としては、内閣文庫に3本(52冊本・50冊本・40冊本)と東洋文庫に1本(47冊本)、及び新潟県立図書館に1本(部分的)とが、確認し得ます。しかし、いずれも本書とは冊數が異なっております。因って本書は、明版『太平広記』の稀覯善本の一つであると判断しても、可能であろうと思われます。

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   2、明版『王文成公全書』38卷24冊本
 『王文成公全書』とは、浙江省の出身で明代中期の思想家にして政治家であり、王守仁(1472〜1528)、字は伯安、号は陽明の語録や詩文を編録したものです。彼は、政治的には数々の武勲に因って南京兵部尚書に任用され、また思想的には、初めは朱子学を学んでいましたが、37歳頃から陽明学を唱えるようになります。彼の言行は、その死後40年程して門人である徐愛らに因って編集されますが、本書は隆慶6(1572)年の序刊本です。この隆慶6年本は、民国時代に天下の貴重書や善本と判断された書籍を影印し、叢書に仕立てて出版された四部叢刊本『王文成公全書』の底本と同一のものです。本書は初印の上本であるばかりでなく、名著『左氏會箋』の著者竹添井々翁の旧蔵本でもあります。書面には、「竹添光鴻章」「井々竹添氏之図章」「松方文庫」の3種類の朱印が押されています。12丁目の王文成公の小像及び門人の拝贊を書いた1葉が落丁してはいますが、それは井々翁の自筆補写に因って補われ、更に嘉靖年間(1522〜1566)に製作されたと考えられる、王文成公像(現在故宮博物院蔵)から、版を起こしたと推測される小像半葉が加えられています。
 本書の版式は、四周双辺、有界白口上黒魚尾、9行19字、表紙は藍色の和表紙に付け替えてありますが、舊題簽を全て添付して木箱に入れ、極めて良好な保存状態です。更にこの木箱の箱書きも、井々翁の自筆と判断されます。本書と同系統の本としては、静嘉堂文庫の2本(22冊本・16冊本)と内閣文庫の1本(24冊本)とが、確認し得ます。本書は、四部叢刊の底本にも使用された善本中の善本であり、しかも竹添井々翁の旧蔵本であると言う付加価値を考えますれば、まさに極稀の貴重本であろうと、判断されるのであります。

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   3、古活字版『群書治要』50卷47冊本 
 『群書治要』とは、唐の魏徴(580〜643)が、古代から晋代までの書籍中から、政治に有用なな言葉を選び出して編集した、政治を担当する者の為の書であり、徳川家康の愛読書であったとも伝えられています。しかし、この書は、本国の中国では既に宋代(960〜1297)に滅び、僅かに我が国において写本で伝えられ、江戸時代に至って出版され、更にそれが中国に逆輸入されています。日本で出版されたものは3種類有り、最初のものが、徳川家康の命を受けた林羅山(1583〜1657)らが銅活字を用いて元和2(1616)年に駿河で出版した駿河版銅活字『群書治要』で、それが本書に該当致しますが、作業の途中で家康の死去に会ったため、印刷部数は極めて少数であったと言われています。次のが、天明7(1787)年に尾張の徳川家で整版を用いて出版した尾張版『群書治要』で、これには寛政8(1796)年の修訂本が有り、中国に逆輸入されたものが、この尾張版の天明本(四部叢刊の底本)と寛政本とです。最後が、駿河版及びその銅活字を用いて弘化3(1846)年に紀州徳川家で出版された、紀州版古活字『群書治要』です。
 本書は、最初に出版された部数の少ない駿河版古活字本で、その版式は、四周双辺、有界黒口花魚尾、8行17字細字双注です。全紙総裏打ちの補修が施してありますが、虫損の跡は如何ともし難いものを感じさせます。本書と同系統のものは、国立国会図書館及び東京大学総合図書館にも、所蔵されています。

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   4、甘雨亭叢書56冊本
 『甘雨亭叢書』とは、安中藩主板倉勝明(1809〜1857)が、収集した書籍の中でも特に近世名家の写本類の散逸を恐れて、逐次出版したもので、当時の貴重な資料を多数含んでいます。その期間は、弘化2(1845)年から幕末(1867)にかけて行われています。内容は、正篇5集と別篇2集とからなり、正篇は近世儒者の漢文随筆で構成され、別篇1集は和歌や和文で構成され、別篇2集はその他10種8冊で構成されています。この叢書の伝本は極めて稀で、世上『甘雨亭叢書』として伝えられているものの殆どが、別篇2集を欠いた48冊本に過ぎず、叢書を集めて台湾から出版された『叢書集成』続編にも、48冊本が採取されていると言う状況で、『甘雨亭叢書』と言えば48冊本、と言う感なきにしも非ずです。
 本書は、別篇2集まで含んだ完全な56冊本で、唐紙刷りの小本仕立てであるが、虫損などは一切認められない、木箱入りの上々の美本でありますれば、日本における江戸末期の出版物とは雖も、やはり貴重書に類する一品と、判断され得ると思います。

     平成八年十月                               於黄虎洞

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