映像メデイアに於ける『楊家將演義』

〜映画とテレビの世界〜

本ページは、勉誠社編集部の許可を得て、『楊家將演義 読本』(平成27年5月)からの轉載である。


   〜読むから見るへ〜

   映像の世界
   銀幕の楊家將演義・T(1960年代以前)
   銀幕の楊家將演義・U(1970年代から90年代)
   銀幕の楊家將演義・V(2000年代)
   テレビの楊家將演義・T(1980年代)
   テレビの楊家將演義・U(1990年代)
   テレビの楊家將演義・V(2000年代)
   今後の映画・テレビに於ける楊家將演義    

   〜読むから見るへ〜

 『楊家將演義』とは、北宋二代皇帝太宗時代から六代神宗時代に及ぶ略百年程の間に於ける、楊氏一族の活躍と悲劇を描いた話である。
 楊業親子が活躍する遼との雁門・金砂灘の戦いから始まり、次いで楊業の孫である楊宗保とその妻穆桂英が活躍し、それに八仙が絡んだ遼との戦い(ここら辺りから、荒唐無稽な話が多くなる)、そして楊宗保の娘と孫娘に12人の寡婦を加えた14人の女將が活躍する西夏との戦い、へと展開する明代の古典小説である。
 因って、基本的には『楊家將演義』は読み物であり「読む」行為が中心となる。しかし、楊氏の話は河北地方を中心に多くの民間伝説故事(故事の項目自体としては46項目程有る)も伝わっており、先ずは京劇で演じられて定番作品と成り、演目としては、「金沙灘」「四郎探母」「李陵碑」「天門陣」「楊門女将」等々10演目以上が挙げられ、観劇と言う形式で「見る」行為が始まる。
 要するに、20世紀前半辺り(1950年代ぐらい)までの人々は、単に小説を「読む」行為だけではなく、京劇で演じられる演目を「見る」行為に因って、『楊家將演義』を理解したり楽しんだりしていたのである。

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   〜映像の世界〜

 その「見る」行為の対象が、演劇から映像へつまり映画へと移って行くのであるが、映画は19世紀末にフランスのリュミエール兄弟に因って発明され、20世紀に入って飛躍的に発展を遂げた表現手段であり、今では総合芸術と言える程のレベルに達した表現手法でもある。
 当然の事ではあるが、『楊家將演義』も1960年前後から映画の世界で多く制作され出す様になる。
 中国に於ける映画の歴史は百年以上有り、上映自体は1896年頃から上海の租界で単発的に行われていた様であるが、常設の映画館が設置されるのは、1908年の上海第一家影戯院がその嚆矢であり、映画製作自体は1909年に設立された上海の亜細亜影戯公司の記録フイルム映画から始まる。
 日本では、中国映画を中心としたアジア映画の評論や紹介が、1990年代から公刊され出し、四方田犬彦著『電影風雲』(白水社書房・1993年)、佐藤忠男編『アジア映画小事典』(三一書房・1995年)、浦川とめ著『もっと楽しい台湾映画』(賓陽社・1999年)、石子順著『中国映画の明星』(平凡社・2003年)、応雄編『中国映画のみかた』(大修館書店・2010年)等が、その代表的なものである。
 一方中国でも、同じく1990年代から自国の映画文化産業を客観的に跡付け様としたり、学術的に整理し様とする動きが現れ、『回顧香港電影三十年』(三聯書店・1989年)、『香港電影回顧』(中国電影出版社・2005年)、『中国電影専業史研究十三卷』(中国電影出版社・2006年)、胡霽榮著『中国早期電影史』(上海人民出版社・2010年)、謝?編著『中国早期電影産業発展歴程』(中国電影出版社・2011年)、『乗風變化 嘉禾電影研究』(香港電影資料館・2013年)等々が公刊され、中国映画に関する国際学術団体である「中国台港電影研究会(事務所は北京北三環東路二二号)」が1988年11月に設立され、「台湾電影研討会」(1990年10月)や「香港電影回顧研討会」(1996年11月)等を開催している。
 また中華圏映画人の祭典である三大映画賞も、台湾金馬奨(台湾版アカデミー賞)が1962年から、香港電影金像奨(香港版アカデミー賞)が1982年から、中国金?百花映画祭(中国版アカデミー賞)が1992年から、各々開催されている。
 この様な一応の活況を呈している映画産業文化の中に在って、本稿で取り上げる『楊家將演義』に関する映画が、各映画賞を受賞する事は有っても、論評や研究・回顧等の対象となる事は、残念ながらあまり無い。
 何故なら、『楊家將演義』に関する映画は、社会問題を抉ったり市民社会を活写した様な社会性の有る映画でもなければ、衣装や芸術性に凝った歴史的大スペクタクル映画でも無く、誰もが知っている大衆娯楽の定番映画の一つ、所謂エンターテイメントに過ぎないからである。

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   銀幕の楊家將演義・T(1960年代以前)

 中国で最初の楊家將映画は、恐らく崔嵬監督の「楊門女將」(1960年)であろう。
 崔嵬は1930年頃から映画の脚本や舞台の演出等を行っているが、主に活躍するのは1950年代からで、先ず役者として5本程の映画に出演した後、本格的な監督活動に入って10本程の作品を監督し、晩年は人民代表や政協委員等を務めた人である。
 その崔嵬の監督2本目作品で、京劇の演目「楊門女將」をそのまま映像に仕立てたのがこの「楊門女將」である。
 俳優は、中国京劇団の若手劇団員である楊秋玲・王晶華・郭錦華・王望蜀・梁幼蓮らが柴郡主や穆桂英・楊七娘・余賽花らを演じており、当然歌有り科白有りの戯曲(チャイニーズオペラ)映画である。尚、この映画は、1962年度の大衆電影百花奨最優秀戯曲映画賞を受賞した作品でもある。
 この崔嵬が3年後に再びメガホンを取った戯曲映画が、「穆桂英大戦洪州」(1963年)で、戯曲映画であるため当然俳優は中国戯曲学劇団の劉秀榮が穆桂英を、同じく張春孝が楊宗保を演じており、後年この二人は実生活でも結婚して夫婦と成っている。
 一方香港では、黄鶴聲監督がカラー作品の「無敵楊家將」(1961年)を撮るが、これは穆桂英を于素秋、楊文広を林家聲、楊七娘を李香琴、楊八妹を梁翠芬、楊九妹を薛家燕、西夏王を少新権が演じ、宋と西夏との戦いを描いた粤劇(南戯から発展し、主に広東・広西地方を中心に流行した、広東語に因る地方戯曲劇)を映像化した戯曲映画である。
 この映画は、タイトルの下に「全部伊士曼七彩」と表記されているが、嘗て日本でもカラー作品を「総天然色」と表記しており、如何にもカラーフイルム黎明期の時代風が漂い、何となく懐かしく感じられる。
 この黄鶴聲と言う人は、早撮り多作で知られた監督であるが、彼は先ず役者として、1939年から1970年の間に68本の映画に出演し、同時に1947年から1968年の間に200本弱の映画を監督すると言う、普通では考えられない超人的な活動をしており、後年はアメリカに渡って粤劇の演出等も手がけている。
 彼はこの「無敵楊家將」の前後にも京劇題材の楊家將映画を撮っており、それは「山東紮脚穆桂英」(1959年)「四郎探母」(1959年)「楊八妹取金刀」(1959年)、潮劇(広東の潮汕地方を中心に流行した、潮州方言に因る地方戯曲劇)「穆桂英招親」(1962年)で、4年間に合計5本の楊家將映画を監督している。
 しかし彼は、それよりも十年程前に、広東語や潮州語の映画を多く撮った畢虎監督作品の「穆桂英」(1940年)に、蘇州麗が演じた穆桂英の夫役楊宗保として主演していれば、香港に於ける最初の楊家將映画は、畢虎監督の「穆桂英」、と言う事になろう。
 この様に1960年代前後の楊家將映画は、畢虎作品「穆桂英」の如き台詞中心の古装劇も無い訳では無いが、その大半は、京劇・粤劇・潮劇の演技を映像化した様な、伝統的中国ミュウジカルとでも言うべき戯曲映画である。

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   銀幕の楊家將演義・U(1970年代から90年代)

 1970年代に入ると、香港で本格的古装劇としての楊家將映画が作られる。それは程剛監督の「十四女英豪」(1972年)である。
 程剛は、1951年の「断腸母子心」から始まり1992年の「賭鬼」まで、35本のメガホンを取った監督であるが、一番活躍したのは70年代で、「十二金牌」「群英会」「香港奇案件」「流氓皇帝」「清宮大刺殺」等が、その代表作である。
 この「十四女英豪」は、楊宗保が西夏との戦いで国に殉じた後、残された楊家の女性達が祖母である余太君の指揮下に楊家軍を結成し、宋朝を守って宗保の仇を伐つべく西夏に決死の戦いを挑む、と言う筋立てで、香港の映画製作会社邵氏兄弟(ショウー・ブラザーズ)が配下の主要女優陣を総動員して作り上げた大作である。
 無論男優陣も田豊・秦沛・羅烈・王侠らが出演しているものの、何と言っても見所は女優陣の共演である。余太君を盧燕、穆桂英を凌波、柴郡主を歐陽莎菲、楊八姐を李菁、楊九妹を葉霊芝、楊秋菊を汪萍、楊排風を舒佩佩、耿金花を陳燕燕、董月娥を夏萍、杜金娥を金霏が演じ、あろう事か男役の楊文広を何莉莉が、楊宗保を宗華が演じると言う具合である。
 本作品は、邵氏兄弟が威信をかけた作品だけあって、1973年の台湾金馬奨で最優秀作品賞を受賞し、程剛も最優秀監督賞を、盧燕も最優秀主演女優賞を同時受賞し、更に最優秀音楽賞までも獲得している。なお余談ではあるが、後年の武侠映画の名監督程小東が、動作指導としてこの作品に参加している。
 次いで1980年代に入ると、香港映画界の嗜好をもろに受けたが如き作品が作られる。世は挙げてカンフー映画花盛りの時代で、楊家將映画もその例に漏れず、番外編或いは外伝編とでも言うべきカンフー物楊家將映画が登場する。
 それは劉家良監督の「五郎八卦棍」(1983年)である。この話は、金沙灘の敗戦後、五郎こと楊延コが遼の包囲を突破して五台山に身を寄せ剃髪出家し、仏門修行と武術の鍛錬に励んで八卦棍法を会得する。一方、五郎の生存を知って探しに出た楊八妹は奸臣潘仁美に捉えられ、潘仁美は敵である遼と手を結び、五郎を殺すべく五台山を包囲する。事ここに至り五郎は、国家の恨み家仇の情を止め難く、匹馬単槍棍棒を持って山を降り、敵を打ちのめした後、再び漂泊の旅に出る、と言うものである。
 この作品を撮った劉家良は、本人自身が武術洪家拳の達人でもあり、香港に於けるアクション指導の重鎮で、カンフー映画の監督として知られた伝説的存在である。
 彼が監督した作品は24本程有るが、その殆どがカンフー映画で、「少林寺三十六房」「洪煕官」「阿羅漢」「酔拳2・3」等は、特に有名である。
 主役の五郎を演じているのは、監督の義弟で「少林與武當」にも主演し、カンフー役者として名を馳せた劉家輝で、その周囲を汪禹が一郎を、劉家榮が二郎を、麥コ羅が三郎を、小侯が四郎を、傅聲が六郎を、張展鵬が七郎を、克明が潘仁美を、王龍威が耶律連を演じて脇を固めている。
 この劉家良作品と内容的には大同小異で、主役の五郎を梁小龍が演じ、脇を関海山・甘山・管宗祥・黄造時らが固めた作品として、杜崗雨監督の「血戦五台山」(1988年)が有る。
 この映画は、制作地の香港では「血戦五台山」と言うタイトルで上映されているが、中国では「五郎八卦棍」として、台湾では「如来八卦棍」として、各々上映されている。
 監督の杜崗雨は、現代劇・古装劇合わせて5〜6本の映画を撮っている様であるが、筆者が見たのは1992年の「笑傲侠義黄大仙」のみに過ぎず、どの分野を得意とする監督なのかよく分からない。ただ寡作の監督である事だけは、明白である。
 尚、1990年代は武侠映画が隆盛を極めて多数作られた時代ではあるが、楊家將に関する映画はあまり見かけない。斯様な情況の中で、中国の「楊家將智斬潘仁美」なる作品が作られている様である。しかし、残念ながら未見の為、監督名や出演者・制作会社・制作年代等々詳細は不明である。

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   銀幕の楊家將演義・V(2000年代)

 さて2000年代に入ると、これぞ本命と思われる様な楊家將映画が、2本登場する。
 一つは、陳勳奇監督の「楊門女將之軍令如山」(2011年)である。英文タイトルに「レジェンドリーアマゾネス」と有る如く、この作品は、1972年の程剛監督「十四女英豪」のリメイク版であれば、敢えて筋立てを言う必要は無い。
 陳勳奇と言う監督は、良い意味での香港映画界の才人で、21本の映画を監督すると同時に、俳優として17本の映画に出演し、更に8本の映画を制作し、16本の音楽を担当して作曲も手がけ、第15回香港電影金像奨で最優秀創作音楽賞を授賞すると言う、一種のマルチタレント映画人である。
 この映画は、衣装が美しく小道具も凝っており、映像美を狙った様なカメラワークも良いが、畢竟女優つまり女を、女の生き様を見せる映画である。覚悟を決めた必死の女は美しい、年齢に関係無く美しい、と見とれてしまうのは筆者だけではあるまい。
 キャストは、台湾・香港の中堅・ベテラン男女優と、中国の中堅・若手女優で構成され、男優としては、20年以上に渉って映画・テレビで活躍している台湾の任賢齊が楊宗保を、香港のベテラン午馬が?太師を、中国の史梵希が西夏の統領殷奇を演じ、主演穆桂英を、40本近くの映画に出演し、多くの男優と浮き名を流して男子(謝霆鋒の子)を出産し、その美貌に磨きをかけて一段と強く成った香港の張柏芝が演じている。
 その他の女優陣では、余太君を香港の大ベテラン鄭佩佩が、柴郡主を中国の劉暁慶が、楊大娘を中国の葛春燕が、楊二娘を香港の大島由加利と中国の李静が、楊三娘を中国の金巧巧が、楊四娘を中国の若手楊紫?が、楊五娘を香港の若手周海媚が、楊七娘を中国の若手于娜が、楊八姐を中国の陳紫函が、楊九妹を中国の若手劉冬が、余太君の義女楊排風を中国の若手周小飛が、各々演じている。
 またこの映画は、彼女達の持つ武器が凝っていて面白い。穆桂英は大刀、余太君は龍頭杖、柴郡主は穿心針、楊大娘は八卦双頭槍、楊二娘は八卦刀と槍と双鉤、楊三娘は神弓、楊四娘は双錘、楊五娘は双?と数珠、楊七娘は双手刀、楊八姐は清風剣、楊九妹は七星剣と金槍、楊排風は鉄棍、と言う具合である。
 中国武器通の人は彼女達が操る武器を見比べれば面白いし、女優通の人は中華圈美人女優を見比べれば良い。孰れにしても、見て楽しい映画である。
 もう一つは、于仁泰監督の「忠烈楊家將」(2013年)である。この話は、金沙灘での遼との戦いで、味方であるはずの奸臣潘仁美の裏切りで孤立した楊業を救うべく、七人の子供達が戦場に赴き、悉く討ち死にする中で唯一六カだけが生き残り、父楊業の遺骸を雁門で待つ母余太君に送り届ける、と言う内容である。
 これは、先の陳勳奇監督の作品とは真逆で、男・男・男、ストイックな男の生き様を見せる映画である。目立つ女優陣は、楚劇の役者を両親に持ち、舞台・映画・テレビで活躍している中国の中堅女優徐帆が余太君を演じ、学園ドラマでデビューして今や古装劇では欠かせぬ、台湾の人気女優安以軒が柴郡主を演じるぐらいで、他は将に男の世界である。 
 于仁泰は、映画監督にして脚本家兼プロジューサーで、香港と米国との両方で活躍しており、過去に「白髪魔女伝」や「霍元甲」を撮っていれば、男を描くのは御手の物であろう。
 この映画は、単に楊家將映画と言うのみに止まらず、近年の古装劇の中では出色の出来である。CG場面がやや気になるが、カメラワークはメリハリが有り、戦闘場面こそアップが多いものの、他は引いたアングルで何処か陰影が有る。川井憲次の音楽も絵を邪魔せず耳に心地好く、台詞も可成り押さえ込んである。監督が出演者を引き連れて東南アジアでプロモーションを展開した、と伝え聞くが、それも宜なるかなの感を与える内容である。
 楊業を演じるのは大秋官こと香港の大スター鄭少秋である、実に1994年の『酔拳V』以来19年ぶりのスクリーン登場で、若い時ほど派手な立ち回りは見られないが、変わりに落ち着いた渋い演技を見せてくれる。その敵役の奸臣潘仁美は香港の名優梁家仁(2010年の映画「蘇乞兒」でもちょい役ながら渋い演技をし、06年のテレビドラマ「七剣下天山」や08年の「射G英雄伝」・12年の「笑傲江湖」等々でも活躍)が演じている。尚、この名優二人は2008年のドラマ「書劍恩仇録」でも共演している。
 その他のメンバーは、遼の耶律原を2002年の映画「TRY」で関飛虎を、2011年の「関雲長」で張遼を演じた中国の邵兵が、長男の太郎を1987年のテレビコマーシャル「陽光檸檬茶」でデビューし、1991年に歌手(三人組ユニット)活動を開始し、以来30本以上のテレビドラマや70本程の映画に出演して来た香港の鄭伊健が、二郎を20本以上のドラマと8本程の映画に出ている中国の于波が、寡黙な弓の達人三郎を学園ドラマの「流星花園」でデビュー以後、13本のドラマと6本の映画に出ている台湾の周渝民が、四郎を主に現代物のドラマや映画で活躍している中国の李晨が、五郎を歌手兼俳優として活動している香港の林峰が、唯一生き残る六郎を2008年の映画「錦衣衛」で武侠梁祝を演じた台湾の呉尊が、裏切りで壮絶な最期を遂げる七カを歌手として活躍しながらも10本以上の映画に出演している中国の付辛博が演じると言う具合で、邵兵にしろ鄭伊健にしろ呉尊にしろ、演技には定評の有る役者を配している。
 本来この映画は、七人の兄弟達の活躍を見せるのが目的のようであるが、楊業が死ぬまでの前半を支えているのは、鄭少秋と梁家仁のベテラン二人である。寡黙で動きの少ない演技ではあるが、顔の表情で示す二人の渋い演技が光っている。この前半の「静」の演技から、後半は一気に兄弟達の派手な「動」の演技へと移り、ラストは再びカメラを引いた「静」の演技で閉める、と言う流れである。
 出撃前夜、引いたアングルの中で六カが柴郡主に告げる「別等我」の一言、七カを弓で一斉に射殺した時の潘仁美の「好」の一言と、アップになった顔が見せる万感の想いを込めた表情の演技、ラストシーンで夫の遺骸を抱きしめた余太君の「回家了」の一言、何処か香港のアウトロー映画「男達の挽歌」を髣髴とさせる、四郎と五郎が退路に火を放ち二人だけで遼軍に立ち向かうシーン等々、聴かせる台詞や見せる場面の多い映画である。
 昔から「敵役が好いと場が締まる」と言われるが、将にその通りで出番こそ少ないが梁家仁の顔の演技、兄弟達を一人また一人となぶり殺しにし、最後の六カをいたぶり回して殺そうとする、ふてぶてしく且つ憎たらしいまでの邵兵の演技は出色で、同時に彼等の台詞が押さえてあるのも、その悪役ぶりを際立たせている。
 孰れにしても、この映画は、役者の演技とカメラワークで見せる、見応えのある久々の本格的な古装劇の大作と言えるであろう。

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   テレビの楊家將演義・T(1980年代)

 中華圏の各テレビ局が自主制作の大型テレビドラマを放映し出すのは、1970年代に入ってからであり、手間と時間と金がかかる古装劇を多く制作し出すのは、主に1980年代以後と言う事になる。中国・香港・台湾の主立ったテレビ局の総数は、優に数十局を超え、その為『楊家將演義』のテレビドラマも数多く、恐らく二十本以上に及ぶと想われるが、それらを全て見ている(一応1960年代以後の武侠物を中心に、映画150本以上、ドラマ170作品以上を視て来てはいるが)訳ではない。 因って、以下は筆者が過去に見聞した作品の紹介解説に過ぎず、テレビドラマ自体の総数は、遙かに多いと理解されたい。
 先ず香港では、無綫電視が「楊門女將」(1981年)を30回に渉って放映する。内容は、穆桂英を中心とした楊家の女性達が活躍すると言う、分かり切った話であるが、監督を映画監督で有名な杜h峰が担当し、同じく後年の名監督王晶が脚本に参加している。
 穆桂英を演じるのは粤劇の役者もこなす汪明?で、余賽花を湘?が、楊宗保を夏雨が、柴郡主を白茵が演じている。
 この無綫電視が満を持してと言うか、所属役者を動員し天人相関の話として作ったのが、「楊家將」(1985年)である。
 このドラマの筋立ては非常に面白く、宋の太祖である趙匡胤を弟の趙光義が殺して即位し太宗となると、太祖の魂魄が天に昇って玉皇大帝に怨みを訴え、大帝は太宗が天数を乱したのを懲らしめるべく、赤鬚龍母(遼の蕭太后)を下界に派遣して宋朝に敵対させるが、九天玄女が、宋朝の天数を述べて諫言すると、大帝は、天鵬神(楊業)・文曲星(包拯)・天機星(寇準)の三神を使わして宋を助けようとする。しかし、天鵬神が下降中に誤って山鼠妖(潘洪)を傷付けた事から、楊業と潘洪との間に遺恨が生じ、潘洪は遼と手を組んで楊家を滅ぼそうと画策する。遼との戦いで楊家の男達は殆ど戦死し、四郎は遼の公主の?馬となり、五郎は五台山の僧となり、一人帰京した六郎の報告で、奸臣潘洪は寇準の裁きで辺境に流罪となり、六郎はその途中を襲って潘父子を殺し楊家の怨みを晴らす。その後、再び遼との戦いで六郎は苦境に陥り、母余賽花は仙人漢鐘離の助力を得、四郎・五郎と楊家の女達を率いて六郎を救出するが、漢鐘離と争っていた仙人呂洞賓は遼の味方をし、結局遼との戦いは降着状態となり、四郎は旅に出、五郎は五台山に帰り、余賽花は帰田する、と言う内容である。
 僅か6回の放映であるが、この作品の中には後年銀幕を飾る大スター達(香港のテレビ局は、自前で芸員訓練班所謂俳優養成所を持っており、当時は、テレビでデビューした役者が人気を得ると映画に移ると言うのが一般的で、その代表が「五虎將」と称された劉徳華・梁朝偉・黄日華・苗僑偉・湯鎮業らである)が、きら星の如く登場する。例えば、二郎を演じるのが呉鎮宇、四郎は苗僑偉、五郎は黄日華、六郎は劉徳華、七郎は梁朝偉、八賢王は湯鎮業、潘虎は陶大宇、呂洞賓は周潤発、韓湘子は万梓良、漢鐘離は譚炳文、五台山高僧は呉孟達、柴郡主は劉嘉玲、観音大士は趙雅芝、九天玄女は張曼玉、蕭太后は李琳琳と言う具合である。今をときめく大スター達の30年程前の初々しい演技を見るのも、また楽しい。
 一方台湾では、台湾電視で歌仔劇の「楊家將」(1982年)が放映される。歌仔劇とは、20世紀初頭に台湾の宜蘭で発生した民間地方戯曲劇で、古典漢詩文と?南語で構成された独特な節回し(宜蘭腔・台北腔・?州腔等)の地方劇である。
 その代表的芸員が、楊麗花歌仔劇団を率いて舞台のみならず映画やテレビで活躍した楊麗花である。この劇団の特徴は、女優が男装して男役を演じる点で、同時にその点こそが絶大な人気を得た理由でもある。言うなれば、台湾版宝塚歌劇団のような存在である。
 この作品は楊麗花歌仔劇団出演の「楊家將」であれば、当然楊麗花自身が主役の楊六郎を演じるだけでなく、歌仔劇団の多くの女優達が男装して男役を演じている。
 次いで「鉄血楊家將」(1984年)が放映される。この作品は、台湾の若手女優司馬玉嬌(今でも時たまバライテイー番組の司会等で見かける)を売り出す為のドラマ、と言っては言い過ぎであろうか。
 当時香港の大スターであった姜大衛のクランクアップを待って撮影されたもので、本来「楊家將」には無い江南大侠柳天池と言う役柄を設定し、その柳天池を姜大衛が演じ、司馬玉嬌が演じる楊八妹が柳天池に絡むと言う構図で、一郎を夏威、二郎を李長安、三郎を宋誠華、四郎を蒋桂沛、五郎を班鉄翔、六郎を関聡、七郎を姚智弘、耶律飛を小英哥が演じ、一応「楊家將」ドラマであるが、実際は、楊八妹の柳天池に対する複雑な恋心を絡めた、恋愛武侠ドラマと言うべき筋立てである。
 その後中華電視が「一門英烈穆桂英」(1989年)を30回に渉り放映する。言うまでもなく楊宗保の妻穆桂英の活躍を描いたもので、香港の佳芸電視芸員訓練班出身で70年代から活躍していたテレビ女優の魏秋樺が主役の穆桂英を演じている。

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   テレビの楊家將演義・U(1990年代)

 90年代に入ると、先ず中国で作られるが、それは山西電視が制作して中国中央電視台が32回に渉って放映した「楊家將」(1991年)である。
 この作品は、小説『楊家將演義』の最初から西夏との戦いに至る前まで、つまり遼との戦いの話を割と小説に沿って描いており、初期の小説には見られなかった楊業の義子楊延順が八郎として登場している。
 内容はともかく、このドラマの面白さはダブルキャストが多いことであろう。楊業は李志毅だけが、穆桂英は張U佳だけが演じるが、四郎は廖沛然と潘引来、五郎は万榮山と趙箭、六郎は張軍平と関新偉、七郎は曹慶華と孫虹、八郎は李杰と劉俊、余賽花は張晶と王建英と張登橋、楊宗保は張晨と樊元凱と徐成林、と言う具合である。
 一方香港では、亜洲電視が面白いドラマを作る。それは「碧血青天楊家將」と「碧血青天珍珠旗」(1994年)である。共に30回放映の姉妹作品で、武侠ドラマ通の方ならタイトルを見ただけで、直ぐに理解されよう。「包青天」と「楊家將」のコラボレーションドラマであり、小説で言えば『三(七)侠五義』と『楊家將演義』とを合体させて、話が組み立てられている。
 『三(七)侠五義』とは、公正無私(青天)の裁判官包拯を三(七)人の侠客や五人の義士が手助けし、冤罪を晴らしたり難問を解決したりすると言う、一種の世直し裁判話(公案小説)である。この包拯のドラマは、確かに主人公は包拯で必ず最後の裁判シーンには登場するが、実際は彼を助ける南侠展昭の活躍が多く、大概展昭役は当時の美男俳優が演じ、例えば、1993年の「包青天」及び1944年の「新包青天」では何家勁、1994年の「七侠五義」では焦恩俊、1995年の「包青天」では黄日華、2000年の「包公出巡」では再度焦恩俊、2006年の「新包青天」では何家勁、、2010年の「七侠五義」では趙文卓、2010年の「新包青天之七侠五義」及び2011年の「「包青天」では再び何家勁と言う具合である。
 では何故この包拯と楊氏らがシンクロするかと言えば、共に実在の人物であり、共に宋朝に忠節を尽くしたと言う共通点の他、実際包拯が活躍するのは宋の四代皇帝仁宗時代であり、楊宗保・楊文広父子の時代と重なる為である。
 因って、遼との戦いを対象にした「碧血青天楊家將」では、楊宗保を武侠映画で活躍していた徐少強が演じ、穆桂英を麥景?が、展昭を甄志強が、包拯を金超群が演じている。金超群は台湾の俳優で、テレビドラマに於ける包拯の一形態を作り上げた、と言っても過言ではない包拯役者で、台湾・香港・中国の各ドラマの包拯を演じており、最近でも2008年に上海で作られた「包青天」、2010年から一二年にかけて大連で作られた「新包青天」でも包拯役で登場している。
 但し、この「碧血青天楊家將」は広東語のため、演技自体は台湾の金超群が担当するが、実際の広東語の声は香港の譚炳文が担当している。
 姉妹編の「碧血青天珍珠旗」は、西夏と宋の太祖が残した珍珠旗を争う話で、キャストは前の「碧血青天楊家將」とほぼ同じであるが、包拯役だけが、金超群から譚炳文に代わっている。
 90年代の末尾を飾るのが、亜洲電視の「穆桂英大破天門陣」と「穆桂英十二寡婦征西」(1998年)の姉妹編で、遼との戦いを描いた「天門陣」は32回、西夏との戦いを描いた「征西」は28回の放映である。キャストは共に同じで、楊宗保を台湾の中影演員訓練班出身で美貌の男優焦恩俊が、穆桂英を香港麗的電視芸員訓練班出身の女優陳秀?が演じ、他は余太君を曹翠芬、柴郡主を鮑起静、蕭太后を宮雪花、?太師を譚炳文らが演じている。

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   テレビの楊家將演義・V(2000年代)

 今世紀に入るとテレビドラマは、テレビ局の自主制作ではなく、専らドラマの制作会社に因って作られる様になり、楊家將ドラマも同様である。
 先ず「楊門女將」(2001年)であるが、これは、古装・武侠ドラマの名監督として知られる香港の李国立が監督参加し、唐人電影制作有限公司(李国立が中心になって設立した制作会社)が制作して40回放映されたドラマ(主に余賽花と楊八妹にスポットが当てられている)で、余賽花に香港のベテラン女優鄭佩佩を、楊八妹に香港の中堅女優李若?を、八賢王に中国のベテラン男優徐敏を、穆桂英に中国の中堅女優寧静を、楊宗保に台湾の中堅男優張智堯を、四郎に香港の中堅郭晋安を、五郎に中国の中堅呉越を、六カに香港の中堅黄智賢を、柴郡主に台湾の中堅童愛玲を、杜金娥に中国の若手孫莉を、王欽に香港の名優梁家仁をと、なかなか手堅い役者の配置で、落ち着いて視られる本筋の内容である。
 次いで、北京超新星文化芸術交流有限公司が制作した「巾幗英雄穆桂英」(2004年)が26回放映される。この話は、羊を追って草原を疾駆する穆桂英が、偶然楊宗保と出逢い、その後遼の矢に傷付いた楊宗保を穆桂英が助ける、と言う所から第一話が始まる。
 穆桂英を台湾の中堅女優王思懿(やや年増の穆桂英の様に思われる)が、寇準を中国のベテラン李光復が、杜金娥を中国の中堅鄭爽が、蕭太后を中国のベテラン韓月喬が、六カを2003年の映画「毛沢東去安源」で劉少奇を演じて以来、劉少奇役者として有名な中国の郭連文が、王麗君を中国の若手范冰冰が、楊宗保を陸詩雨が、余賽花を王麗媛が演じているが、どちらかと言えば、古装劇にはあまりなじみの無い役者が多用されている。
 華策影視が制作して30回放映された「楊門虎將」(2005年)は、一寸変わった話で、主役は四郎こと楊延郎で、相方が奸臣潘仁美の次女潘語嫣で、この二人が恋愛関係になり、互いの父親が敵対する中で何かと苦労するが、最後は結ばれると言う内容で、何処か「楊家將版ロメオとジュリエット」的なドラマであり、主役の二人は若手の美男美女である蘇有朋(台湾)が四郎を、蔡琳(韓国)が潘語嫣を演じ、その脇を香港のベテラン大スター狄龍が楊業役で、趙雅芝が余賽花役で固めている。
 日本でもDVDが発売されているのが、李国立制作の「少年楊家將」(2006年)で、唐人電影・上影集団・華誼兄弟の三社が共同製作し、43回放映されたもので、タイトル通り楊業の子供達(一郎から七郎まで)の活躍を描いている。
 日本のDVDコマーシャルには、「中国・台湾を代表する人気アイドル俳優総出演」と謳っているが、要するに、若手イケメンアイドルを見せるだけで、本筋の「楊家將」ものを見慣れたコアな「楊家將」フアンからすれば、「何だこれは、甘ったるく温いなあ」と思わせてしまう内容である。しかし、中華圈のイケメンを見てうっとりしたい方々には、もってつけの作品であろう。
 何故「甘ったるく温い」かと言えば、このドラマのコンセプトは「愛」だからである。楊業と余賽花の夫婦愛、余賽花と崔応龍の師弟愛、楊氏夫婦と子供達の親子愛、四郎と羅先生・五郎と関紅・耶律斜と関紅・六郎と柴郡主・六郎と潘影・七郎と杜金娥のそれぞれの男女愛で満ち溢れている。
 それと、彼等の着る衣装が最近の武侠ドラマの流行りの衣装(何処か日本の馬乗り袴に似ている)で、どう見ても北宋初期の衣装とは思えず、甲冑も派手ではあるが何故か安っぽく見え、小道具も明・清時代の品々が多い。演技も全体的に軽く何処か間延びするが、これは連続物ドラマの宿命かもしれない。ただ、筆者としては、「李国立がこんなドラマを制作するのかなあ」と言う疑念を禁じ得ない作品である。
 タイトルでは「少年楊家將」となっているが、実際一郎から三郎まではあまり出番は無く、メイン所は四郎から七カまでで、そこにアイドルが当て嵌めてある。
 では、そのアイドル達は誰かと言えば、四郎を演じるのは台湾で俳優兼歌手として活躍している何潤東で、2009年のドラマ「三国志」では呂布を演じている。因みに筆者の個人的感想を言えば、このドラマの様な設定の四郎であれば、香港の謝霆鋒にやらせてみれば面白かったと思う。五郎を演じるのは中国の陳龍で、彼は1996年以後既に40本以上のドラマに出ており、若手と言うよりは中堅に近く、アクのある顔立ちで何処か演技も態とらしさを感じたが、2011年のドラマ「水滸伝」での武松役は、その顔立ちと役柄が嵌って見応えが有る。六カを演じるのは中国の俳優兼歌手の胡歌で、ドラマ出演5作目がこの六カ役で演技的には普通であるが、その後12本のドラマと4本の映画に出演し活躍している。七カを演じるのは台湾の彭于晏で、この段階では演技を云々する程のものではないが、その後15本の映画に出て人気を得ている。耶律斜を演じるのが中国の袁弘で、なかなかの色男ではあるが、敵役にしてはメリハリが少なくアクの弱い何処か甘さが残る印象を受ける。
 男優陣が若手アイドルとなれば、当然その相方も若手女優と言うことになる。羅先生を演じるのは、その後「射雕英雄伝」や「倚天屠龍記」「怪侠一枝梅」等の武侠ドラマに出演する中国の劉詩詩で、関紅を演じるのは、舞台もこなす中国の魏小軍、柴郡主を演じるのは、若手女優としては演技の上手い台湾の林家宇であるが、この作品での設定は郡主と言うよりもおきゃんな女侠に近い。杜金娥を演じるのは中国の劉暁潔で、彼女はその後抗日ドラマ「非凡英雄」や軍隊ドラマ「我是特殊兵」等に出演している。潘影を演じるのは、2009年の東京映画祭出品作「台北飄雪」に主演した童瑤である。
 この様に、若手の男女優で固めたドラマではあるが、崔応龍はドラマ「神雕侠侶」等に出演している中国の中堅周浩東が、天霊はドラマ「天龍八部」等に出演したモンゴルの個性派俳優巴音が、潘仁美は中国のベテラン俳優ケ立民が、八賢王は中国の中堅宗峰岩が、宋の太宗は中国の中堅李解が、余賽花は嘗ての香港ドラマ「穆桂英大破天門陣」で主役の穆桂英を務めた陳秀?が、楊業は台湾の中堅俳優で主に現代劇で活躍していた翁家明(確かに上手な役者ではあるが、古装の鬘が合うとは正直言えず、特に今回の役回りは、髭のメイキャップと相俟って、何処か締まりが無く威厳も無い)が、各々演じている。
 一風変わったドラマとしては、安徽広播電視台の「白玉堂之局外局」(2011年)が有る。この話は、遼が宋国内に設置した秘密暗殺組織屠羊会に因って、楊宗保が暗殺される所から始まり、宗保の死を隠して敵を油断させる穆桂英と、包拯・展昭・白玉堂らが協力して遼の計画を粉砕すると言う内容で、確かに楊家の穆桂英が登場するものの、実際は五義の一人白玉堂の活躍を中心にした武侠ドラマで、「楊家將外伝」ドラマと言えなくも無いが、むしろ「三侠五義外伝」ドラマと言った方が正確である。
 因みに、穆桂英を演ずるのはベテラン女優の斯琴高娃で、白玉堂が中堅男優の徐洪浩、展昭が舞台とテレビで活躍する傅程鵬、包拯を大ベテランの鮑国安と言う具合で、香港の中堅陳小春が友情出演で悪役の韋率先を演じている。
 直近の作品としては、金牌制作有限公司制作の「穆桂英掛帥」(2012年)が有る。最初に台湾の中視で放映され、三ヶ月後に中国各地で放映されているが、各々の放映時間の長短から、台湾では18回、中国では39回となっている。
 内容は、穆柯寨での穆桂英の婿選び(比武招親)から始まり、遼との戦いに当たり穆柯寨に有る祥瑞降龍木を手に入れんとする、宋朝側と穆桂英との遣り取り、その中で楊宗保に恋心を抱く七公主が絡み、一方穆桂英に打ち負かされた楊宗保は彼女を妻に娶り、余太君の決断で身ごもっている穆桂英が掛帥(最高指揮官)を拝し、出陣して遼の天門陣を破り宋に平和をもたらす、と言う流れであるが、実際掛帥となって遼と戦うのは最終話に近い所からであり、ドラマとしてはそこに至るまでの、穆桂英と他の人々との絡みや人間模様が中心である。
 一寸おきゃんで姉さん女房風の穆桂英を、秦劇の役者を両親に持ちテレビ・映画の両方で活躍する中堅女優の苗圃が、楊宗保を若手男優の羅晉が、余太君をベテラン斯琴高娃が、宋の真宗を名優張鉄林が、楊延昭を多数の歴史ドラマに出演し、2004年の「大漢風」で張良を演じたベテラン沈保平が、呼延賛を武侠ドラマの常連である于承恵が、柴郡主を若手の楊不悔が、七公主を歌手の尹航が演じ、ドラマとしては手堅いながらも何処かコミカル(張鉄林が出ているのでその予感は有ったが)で楽しい作品である。
 因みに主演の苗圃は、主題歌「大姐大」も歌っており、なかなかの美声ではあるが、歌自体はやはり何処かコミカルで、むしろエンデングテーマ曲の「?的名字」の方がしっとりとしていて良い。

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   今後の映画・テレビに於ける楊家將演義

 さて、ここまで『楊家將演義』に関わる映画やドラマの流れを概観して来たが、それでは今後の映画界・テレビ界では、楊家將物はどの様に制作されて行くのであろうか。撮影技術やCG技術の進歩に因り、より美しくリアリテイーに富んだ画像が作られて行くことは多言を要し無いが、問題は、その内容である。
 基本的に楊家將物は、前段の楊業父子を中心とした対遼戦、中段の穆桂英を中心とした対遼戦、後段の寡婦を中心とした対西夏戦、この三点がメイン所である。因って、過去にはこのどれかが映像化されるのである。これら以外では、個々の人物を取り上げ、種々のエピソードを組み込み、四郎物・五郎物・六郎物・七郎物、更には楊文広物等々が作られるであろうが、これは将に脚本家の腕の見せ所である。
 恐らく、監督・脚本家・役者等が変わるだけ、つまり目先が変わるだけで、内容的には大同小異の作品になるであろう。言うなれば、偉大なマンネリ化に進むと言うことである。
 古典を題材に持つ定番娯楽作品である以上、内容的に大きな変更は加えられない。因って、マンネリ化に進むと言うことは、定番作品の宿命でもある。しかし、如何にマンネリ化しようとも、その都度その都度観客や視聴者に厭きられることが無いのが、定番作品の定番たる所以でもある。
 因って楊家將物は、今後も偉大なマンネリ化作品として、作られ続けて行くであろう。故にフアンは、次は何処の制作だとか、誰が監督だとか、脚本はどうだとか、カメラワークはどうだとか、小道具は何時の品かとか、どの役者が出ているのかとか等々、その変化を楽しみに、床屋談義をしながら、娯楽作品として視続けて行けば好いと思うのである。

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         歳在甲午(2014)仲夏        

                                             識於黄虎洞


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