ギャラリー解説
書画
玄溪鎌田博、行草書五絶(幕末維新、AD1818〜1892) |
|
|
|
紙本肉筆・・縦134cm、横29.2cm 「玄溪居士」の下に、陽刻「玄溪眞逸」と陰刻「鎌田博」 の落款が押されている。鎌田玄溪は備中の人で、名は 博、字は子文、号を玉島・浮鴎・玄溪・新里・篁園などと と称し、大阪で藤沢東ガイに陽明学を、江戸で昌谷精 渓に朱子学を学んだ後、帰郷して私塾有余館で子弟 の教育に従事し、次いで備中松山藩の藩校有終館教 授となって藩主の侍講を務め、維新後は私塾を開いて 講説に従事した儒者で、その門下に明治の大漢学者 川田甕江がいる。 |