〜授業用備忘録〜 |
《卷 之 上》 1、訓讀とは 4、漢和辭書の引き方 6、送り假名の決まり 《以下に提示する例文は、横書きの爲、便宜的に返り點を括弧(レ點は返る字の前、一・二點等は返る字の後)で、送り假名をカタカナで、示して有ります。》 此所では、漢文を讀む(訓讀)爲の、基本的な色葉(知識)を説明します。「訓讀」とは、結論から言えば「解釋」です。以下其の事を具体的に説明します。(尚、漢文を自國言語に當て嵌めて讀むと言う行爲は、形態や様式こそ異なりますが、漢文を知識の淵源とした古代のベトナムや朝鮮にも、見られる行爲です。) 「訓讀」とは、日本語とは語順の異なる漢文(古典中國語)を、漢文の原型を變えずに符号を付けて、日本語の語順となる様に翻譯する作業です。故に「訓讀」とは「解釋」なのですが、この翻譯は、現代語ではなく文語文への解釋である爲、現在では更に現代語譯が必要になって來るのです。 日本人が中國の文獻に接して以來、どの様な符合を付けて和語(日本語)に置き換えるかと言う作業は、奈良朝以來營々として行われ、佛典に殘る「乎古止(ヲコト)點」から博士家(清原家や菅原家等)の訓點を經て、儒者が活躍する江戸時代(江戸幕府は朱子學を御用學とし、元來は林家の家塾であった學問所を湯島に移して、幕府直轄の學問所としますが、其れが昌平坂學問所です)に至り、林羅山が付けた「道春點」が流布し、其れに改良を加えた山崎闇斎の「闇斎點」・後藤芝山の「芝山點」・日尾荊山の「荊山點」等々、多くの訓讀法が現れますが、要は「道春點」の上に立っての改良であれば、明治までの三百年弱の間の漢文訓讀の基礎は、「道春點」に在ったと言えるでしょう。 明治五年に至り學制が發布されて全國一律の教育が行われる様になりますと、江戸時代以來の各藩の儒者達が各々獨自に教えていた訓讀方法を、整理統一する必要に迫られました。其処で當時の文部省が漢文教授に關する調査を東京帝大教授服部宇之吉博士ら十人の學者に依頼します。此の調査報告に基づき、明治四十年に「送假名法」が、次いで四十五年三月二十九日に「訓讀法」が、文部省官報(太政官令)として發布されます。其れ以後、今に至るまで「訓讀法」自体に関する文部省に因る廃止改訂官報は通達されていませんので、今でも漢文を讀む時には、基本的に此の明治四十五年の「訓讀法」に準據する事になります。 因って、以下の説明文は、基本的に明治四十年の「送假名法」と四十五年の「訓讀法」に依據していますが、決して古くさいなどとは想わず、日本人が漢文を讀解する爲に營々と重ねた、奈良朝以來の努力と英知の結晶だと思って下されば幸いです。 「白文」とは、何も手を加えない元のままの「原文」の事であり、例えば、 子曰學而時習之不亦説乎有朋自遠方來不亦樂乎人不知而不慍不亦君子乎 の様な文の事です。 「句點文」とは、文章のセンテンスに合わせて「、」(讀點)や「。」(句點)及び「・」(竝列點)の「句讀點」を加えた文章の事で、例えば、 子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。 の様な文の事です。 *尚、最近「標點本」と言う言葉をよく耳にしますが、此れは一九五〇年代頃から中國で出版された書籍で、「,」「、」の句讀點や「?」「!」の符号、及び固有名詞に「傍線」や「波線」を付した本の事で、訓讀に關わる名稱では有りません。 「訓讀文」とは、白文である漢文に、日本文の語順を示す「返り點(符号)」(漢字の左横下に付ける。後に詳しく説明します)や、「送り假名(カタカナ)」(漢字の右横下に付ける。後に詳しく説明します)、及び文章のセンテンスを示す「句讀點」を加えた文章の事で、例えば、 子曰ク、學ビテ而時ニ習フ(レ)之ヲ、不(二)亦タ説(一)バシカラ乎。有(下)リ朋自(二)リ遠方(一)來(上)タル、不(二)亦タ樂(一)シカラ乎。人不シテ(レ)知ラ而不(レ)慍ミ、不(二)亦タ君子(一)ナラ乎ト。 の様な文の事です。 「書き(讀み)下し文」(後に詳しく説明します)とは、訓讀文の返り點や句讀點に從い、送り假名のカタカナを平假名で表記した文章の事で、例えば、 子曰く、學びて時に之を習ふ、亦た説ばしからずや。朋遠方より來たる有り、亦た樂しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや、と。 の様な文の事です。 「音讀」とは、「訓讀」に對する「音讀」と、「黙讀」に對する「音讀」との二種類の意味が有ります。先ず「訓讀」に對する「音讀」とは、「訓讀」が日本文の語順に置き換える「翻譯」作業であるのに對して、「音讀」は原文の語順通り現代中國語で發音して讀んで行く行爲で、此は解釋ではなく中國語での「讀み」です。次に、「黙讀」に對する「音讀」ですが、此は聲を出さずに目だけで讀む行爲の「黙讀」に對して、聲を出して讀んで行く行爲が「音讀」です。漢文の訓讀(日本語)であれ中國語での讀みであれ、此の「音讀(聲を出して讀む)」する事が非常に重要な行爲となります。 何故なら、訓讀自體が文語文への翻譯作業である爲、その訓讀文を聲を出して讀むと言う行爲は、文語文の文章としてのリズムを、又た中國語での發音であれば、中國語としての文章のセンテンスを、自分の口で發して、其のリズムを自分の耳で確認すると言う行爲なのです。文章にはそれぞれのリズムと言うものが有ります。其の様な譯で、文語文で讀む「訓讀」であれ、中國語で發音する「音讀」であれ、「聲を出して讀む」と言う「音讀」が、文章を理解する上で非常に重要な行爲となって來るのです。 以上の事を要約すれば、日本語の文章は、「私は漢文を學ぶ」の如く、「主語+目的語+述語」の語順になっていますが、漢文では、「我學漢文」で「主語+述語+目的語」の語順になっています。此の漢文に、送り假名(カタカナ)と返り點(符号)を付けて、日本文の語順になる様にする作業が「訓讀」であり、其の訓讀の返り點(符号)に從い、送り假名(カタカナ)を平假名にして、書き表した文章が「書き(讀み)下し文」と呼ばれる文章です。 一例を擧げれば、 白文(原文) 我學漢文 訓讀文 我學(二)ブ漢文(一)ヲ。 書き(讀み)下し文 我漢文を學ぶ。 現代語譯 私は漢文を學びます。 となります。 「何故訓讀を學ぶのか」、此の問題は、中國古典學を學ぶ上で重要な問題だと思います。「漢文(中國古典文)と雖も、中國文である以上、中國語で讀めば良い」との意見が有るのも事實です。果たして其れで良いのでしょうか。 確かに漢文が日本に傳來した當初は、中國音で讀み、其れから日本語に譯していた様ですが、直ぐさま符号やカタカナを用いて表記し、原文の形を其のまま日本文として解釋する方法が考え出され、其の方法は、平安時代から室町・江戸と變化を遂げ、最終的には明治四十五年三月二十九日に公示された、當時の漢學者達に因って策定された、文部省の「漢文教授に關する調査報告」の『官報』に依據したものが、現在行われている「訓讀法」です。 中國語で讀むと言う行爲は、確かに中國語辭典で發音を調べながら讀んで行く事が出來ますが、では「其の意味」は、と考えた時、漢和辭典(この時、中國で出版された中國語の古語辭典乃至は文語辭典を直接見て、直ぐさま古典的意味が理解出來る人は、中國語で中國古典を學ぶ修練を、相當に積んだ人達です)を引きながら意を考えて行く事になります。 此の場合、古典と現代文とでは、文法も漢字の意味も異なる爲、中國語辭典ではなく、漢和辭典を引く事になります。つまり、中國語で讀むと言う行爲は、あくまで「讀み」であって「解釋」ではなく、「解釋」の時には、別の要素が必要になって來るのです。 訓讀で理解すると言う行爲は、既に述べた如く「解釋」すると言う事です。たとへ其の解釋が、現在では馴染みの薄い文語文であったにしても、可能な限り原文の漢字を殘した全文通釋(中國に於いても、古典の全文通釋が行われたのは、ほんの數十年前からで、其れまでは語釋が中心です)を、瞬時に行うと言う事です。日本では、其の全文通釋(不完全な部分が無い譯では有りませんが)を、平安朝以來行って來ているのです。 外國の文章を日本語に翻譯した時、其の原文は、翻譯された日本語の中には殆ど殘りませんが、訓讀で解釋すれば、文語文であっても逆に原漢字は殆ど殘ります。翻譯と言う作業に於いて、原文が殆ど殘ると言う方法は、希有な例と言えるでしょう。 訓讀と言う方法は、平安朝以來の日本人が、中國古典文の原型を保ちつつ、同時に如何なる内容であるかを理解する爲の方法として、營々として努力を重ね叡智を集めて考え出した、中國古典解釋の爲の方法・技術なのです。 例えば、我々日本人は日常的に日本語を使っていますが、だからと言って、日本の古典である『伊勢物語』や『源氏物語』を原文で讀んで、直ぐに意味が理解されるでしょうか。やはり大學などで日本古典學を専攻して、初めて理解される様になるのではないでしょうか。 とすれば、中國古典も同じではないでしょうか。中國語を中國の人と同じようにマスターし、更に中國語で中國の古典學を専門的に學び、其処で初めて中國語で讀んでも瞬時に古典的意味が分かるようになるはずです。中國語と中國語に因る中國古典學とを、同時に操れる様になるには、大變な努力と時間を必要とします。 しかし、訓讀法は、其の努力と時間を過去の日本人達が費やして確定させてくれた、中國古典を解釋する爲の方法なのです。平安朝以來の日本人が、漢詩や漢文を多數作っていますが(此等は、日本漢文と稱しています)、二〜三の例外を除いては、其の大半が當時の中國語や中國語の古典的文法をマスターして作っている譯では有りません。彼等は、漢文の訓讀文から復文(訓讀文から原文に復す行爲)すると言う思考で、作っているのです。 例えば、一例を擧げますと 今朝ベッドから起きて窓の外を見たら、霧雨が立ちこめまるで煙の幕のようでした。 と言う現代語を、漢文訓讀調で表しますと、 今朝床を起ちて窓外を見るに、雨霧濛々として煙幕の如きなり。 となりますが、此の漢文訓讀から復文しますと、 今朝起床而見窓外、雨霧濛濛如煙幕也。 となり、所謂漢文が出來上がります。 此れはあくまで、當時の日本人が漢文を作る時の思考パターンを理解して頂くための例文に過ぎません。しかし、大半の日本人が、この様な思考で漢文を作っていたのは事實です。 要するに、「漢文訓讀法」とは、日本人が中國古典文を解釋する爲に編み出した、日本人としての「方法・技術」であり「叡智」であり、同時に過去の日本人が、如何にして中國古典文を理解し様として來たかの「遺産」でもあるのです。 此の様な意味に於いて、日本人が日本で中國の古典文を學ぶ時、「訓讀」と言う方法を學ぶと言う事は、單に中國古典文を理解する爲の方法を學ぶと言う事だけではなく、日本人の思考や日本の文語文を理解する上でも、大きな意味と意義を持っていると考えます。と同時に現代では、中國古典を理解する上で、單に「訓讀法」だけではなく、中國語やその文法などの修得が必要である事は、今更多言を要するまでも無い事でしょう。 *漢文の基本形態は六種類有りますが、目的語には基本的に「ヲ」(但し、間接目的語の場合は「ニ」)を送りますし、補語には「ニ」「ト」「ヨリ」「ヨリモ」等を送ります。其の目的語や補語から述語に返る爲、古來「ヲ・ニ・ト會ったら返れ」と言われています。 @主語(S)+述語(V)の形 何が(は) どうする・どうだ・どうである 日没ス・鳥飛ブ・雲白シ・地ハ久シ・我ハ人ナリ *此の形は、語順が日本語と同じです。 A主語(S)+述語(V)+目的語(O)の形 何が(は) どうする 何を 君ハ買フ(レ)書ヲ。(君は書を買ふ。) 君子ハ學ブ(レ)道ヲ。(君子は道を學ぶ。) *目的語は述語の後に置かれ、送り假名は「ヲ」を送ります。此の形を日本語の語順に置き換えますと、「何が 何を どうする」となりますから、目的語から述語に返る事になります。 B主語(S)+述語(V)+(於・乎・于)+補語(C)の形 何が(は) どうする 何に 山ハ横(二)タハル北郭(二)タ。(山は北郭に横たはる。) 君子ハ喩(二)リ於義(二)ニ、小人ハ喩(二)ル於利(二)ニ。(君子は義に喩り、小人は利に喩る。) 小人之學也、入(二)リ乎耳(一)ニ、出(二)ヅ乎口(一)ヨリ。(小人の學や、耳に入り、口より出づ。) *補語は述語の後に置かれ、其の上に前置詞である「於・乎・于」を用いる事が多く、送り假名は「ニ」「ト」「ヨリ」「ヨリモ」などを送ります。此の形を日本語の語順に置き換えますと、「何が 何に どうする」となりますから、補語から述語に返る事になります。 C主語(S)+述語(V)+目的語(O)+(於・乎・于)+補語(C)の形 何が(は) どうする 何を 何に 孔子ハ問(二)フ禮ヲ於老子(一)ニ。(孔子は禮を老子に問ふ。) 王ハ施(二)ス仁政ヲ於民(一)ニ。(王は仁政を民に施す。) 我ハ浮(二)ブ舟ヲ于洞庭湖(一)ニ。(我は舟を洞庭湖に浮ぶ。) *述語が目的語と補語とを伴う時には、目的語+補語の語順になります。此の形を日本語の語順に置き換えますと、「何が 何を 何に どうする」となりますから、補語から述語に返る事になります。 D主語(S)+述語(V)+目的語(O1)+目的語(O2)の形 何が(は) どうする 何に 何を 王ハ與(二)フ臣ニ地(一)ヲ。(王は臣に地を與ふ。) 父ハ讓(二)ル子ニ財寶(一)ヲ。(父は子に財寶を讓る。) 項梁ハ教(二)フ籍ニ兵法(一)ヲ。(項梁は籍に兵法を教ふ。) *述語が人に對する贈與や教示を表す、「教」「與」「授」などの他動詞の時には、目的語(人・物等の対象)+目的語の語順になります。此の形を日本語の語順に置き換えますと、「何が 何に 何を どうする」となりますから、目的語から述語に返る事になります。 *また目的語には、「ヲ」を送るのが基本ですが、この様な文章の場合、上に置かれた目的語(O1)所謂間接目的語には「ニ」を送ります。但し、下に置かれた直接目的語(O2)には基本通り「ヲ」を送ります。 E主語(S)+述語(V)+補語(C)+(於・乎・于)+補語(C)の形 何が(は) どうする 何に 何に 劉邦ハ即(二)ク位ニ於漢中(一)ニ。(劉邦は位に漢中に即く。) 管仲ハ任(二)ズ政ニ於齊(一)ニ。(管仲は政に齊に任ず。) 孫悟空ハ乘(二)ル金斗雲ニ於火華山(一)ニ。(孫悟空は金斗雲に火華山に乘る。) *述語が補語を二つ伴う時には、下の補語は、場所を示す事が多いです。此の形を日本語の語順に置き換えますと、「何が 何に 何に どうする」となりますから、補語から述語に返る事になります。 熟語の基本的形態 熟語の基本形態は、主要なものが七種類有ります。 @主述關係(上が主語で下が述語の形) 地震(じしん・地震フ)・日没(にちぼつ・日没ス)・年長(ねんちょう・年長ズ)・雷鳴 (らいめい・雷鳴ル)・ 氷結(ひょうけつ・氷結ブ)、等々 A補足關係(上が述語で下が補語・目的語の形) 入學(にゅうがく・學ニ入ル)・讀書(どくしょ・書ヲ讀ム)・登山(とざん・山ニ登ル) ・歸國(きこく・國ニ歸ル)・將軍(しょうぐん・軍ヲ將ユ)、等々 B認定關係(上が否定や可否の認定を示す語で、下が其の内譯の語の形) 不義(ふぎ・義ナラず)・不幸(ふこう・幸ナラず)・非常(ひじょう・常ニ非ズ) ・無窮(むきゅう・窮マルコト無シ)・難解(なんかい・解キ難シ)、等々 C修飾關係(上が下を修飾する形) 三省(さんせい・三タビ省ミル)・晩春(ばんしゅん・晩キ春)・大志(たいし・大イナル志)・林立(りんりつ・林ノゴトク立ツ)・深海(しんかい・深キ海)、等々 D竝列關係(上と下とが同類の形) 言語(げんご)・憎惡(ぞうお)・官職(かんしょく)・貨幣(かへい)・弓矢(きゅうし)・衣服(いふく)・喜悦(きえつ)・慷慨(こうがい)、等々 E對立關係(上と下とが反對の形) 賢愚(けんぐ)・天地(てんち)・上下(じょうげ)・左右(さゆう)・前後(ぜんご)・晝夜(ちゅうや)・朝夕(ちょうせき)・正邪(せいじゃ)、等々 Fその他 *名詞に名詞を重ねた形 山色(さんしょく・山ノ色)・人心(じんしん・人ノ心)・水流(すいりゅう・水ノ流)・梅花(ばいか・梅ノ花)・月光(げっこう・月ノ光)、等々 *ある状態を示す同じ字を重ねた形 堂々(どうどう)・悠々(ゆうゆう)・揚々(ようよう)・紛々(ふんぷん)・悶々(もんもん)・汲々(きゅうきゅう)・喧々(けんけん)、等々 *同じ子音の字を重ねた形 參差(シんシ)・髣髴(ホうフつ)・恍惚(コうコつ)・猶予(ユうヨ)・陸離(リくリ)・興國(コうコく)・激減(ゲきゲん)・遠泳(エんエい)、等々 *同じ韻の字を重ねた形 混沌(こンとン)・散漫(さンまン)・逍遥(しょウよウ)・辟易(へキえキ)・徘徊(はイかイ)・合同(ごウどウ)・彊行(きょウこウ)、等々 *下に状態を示す字が添えられた形 缺如(けつジョ)・突如(とつジョ)・忽焉(こつエン)・終焉(しゅうエン)・依然(いゼン)・悠然(ゆうゼン)・断乎(だんコ)・確乎(かくコ)・莞 爾(かんジ)・率爾(そつジ)、等々 漢文や訓讀を學ぶ上で必要な事は、如何に早く漢字の「音」や「訓(意味)」を理解するか、と言う事です。其の爲に『漢和辭書』が、漢文を學ぶ時の必須の工具書となり、其れを如何に上手に使いこなすかが、重要になって來ます。以下、漢和辭書の引き方や漢字の成り立ち・漢字の音訓などに就いて、簡單に説明致します。 漢和辭書が、他の國語辭書や英和辭書等と大きく異なる點は、引き方が多様であると言う點です。國語辭書は「あ・い・う」の五十音順引きで、英和辭書は「A・B・C」の二十六字順引きで、それぞれ方法が一種類であるのに對して、漢和辭書は、「音引き」「訓引き」「部首引き」「総畫引き」の四種類が有ります。 「音」が分かっていれば「音引き」をすれば良く、「訓」が分かっていれば「訓引き」をすれば良いのですが、往々にして漢文は、「音」も「訓」も分からない字が多數出て來ます。其の時は、「部首引き」か「総畫引き」で引きますが、畫數の多い漢字は畫數を數え間違い易い傾向が生じます。其処で「部首引き」が有効な手段となります。 漢和辭書には、本の最初か最後に必ず「部首一覧」が付いていますが、「にんべん」とか「さんずい」・「しんにゅう」・「くさかんむり」など、代表的な部首に關しては、自分が常時使う辭書のページ數を覚え込んで暗記するぐらいにしておいた方が便利です。 次ぎに具体的に字を引いてみましょう。 擾 「音」は「ジョウ」ですので、「ジョウ」で「音引き」出來ます。「訓」は「みだす」ですので、「みだす」で「訓引き」出來ます。しかし、音も訓を分からない時には、十八畫の「総畫引き」が出來ますが、「てへんの十五畫」と言う「部首引き」も出來ます。 此の「擾」の字を引きますと、字の下に「漢ジョウ・呉ニョウ」と書かれていますが、此れが「音」です。「漢」とは「漢音」の事とで「呉」とは「呉音」の事です。(漢音・呉音の違いは後で説明します)其の下に、「みだす」「みだれる」「ならす」等と出て來るのが「訓」(訓に就いても後で説明します)、つまり意味の事です。又た字の下か「音」の下に、「上」とか「入」とか書かれていますが、此れは字の「平仄」(後で説明します)の事です。これらの説明の後に「擾」の字を上に頂く熟語が竝び説明されています。 又た「部首引き」の場合、今の漢和辭書と古い時代の漢和辭書では、部首が異なる事が有ります。例えば、「初」と言う字は、今の辭書では部首は左側の「ころもへん」ですが、古くは右側の「りっとう」です。此れは、辭書制作者が勝手に變えているのではなく、本來は漢字の成り立ち(後で説明します)に依據して古い辭書の如く「りっとう」の部首であったものが、「部首引き」での引き易さを求めて、今の辭書の如く「ころもへん」に變わったものです。 全ての漢字は、其の成り立ちから「象形」「指事」「會意」「形聲」の四種類と、其の用法から「轉注」「假借」の二種類、合計六種類に分類されますが、此れは、後漢の許愼と言う學者が、其れまでの漢字九千三百五十三字を集めて、解説・分類した中國最古の字書である『説文解字』での分類法で、此れを「六書」と言います。 @象形(しょうけい) 象形とは、物の形や姿に象って繪に描き、其れが簡略化されて出來上がった文字の事です。 人・山・川・馬・牛、等々 A指事(しじ) 指事とは、繪に描けない抽象的な概念を、點や線で象徴的に表した文字の事です。 一・二・上・下・本、等々 B會意(かいい) 會意とは、象形文字や指示文字を二字以上組み合わせ、新しい意味を持たせて作った文字の事です。 林・因・鳴・臺・看・吹、等々 C形聲(けいせい) 形聲とは、象形文字や指示文字から音を表す文字と意味を表す文字とを組み合わせ、新しい意味を持たせて作った文字の事で、漢字の八割以上が、此の形聲文字だと言われています。 園・驛・館・救・院・枝、等々 D轉注(てんちゅう) 轉注とは、本來の文字の意味を、擴大解釋してよく似た新しい意味に使って行くと言う、意味上の特殊な用法だと言われていますが、諸説紛々として入り亂れ、未だ確定的な説は無く、良く分からないのが現状です。 行(行は本来「十字路」を表す象形文字ですが、「ゆく」の意味に使用する)、等々 E假借(かしゃ) 假借とは、ある意味を表す言葉に音は有っても文字が無い場合、其れと同じ音の文字を借りて其の言葉の文字として使って行くと言う、音上の特殊な用法です。 豆(豆は本來「たかつき」を表す象形文字ですが、其の音が「まめ」を表す音の「トウ」と同じであった爲、「マメ」の意味に假りて使用する)、等々 漢字の字體の變遷は、新石器時代の土器に彫られた「陶文」から始まるとされていますが、此の「陶文」は未だ十分に解明されていませんので、具体的には「甲骨文字」からの變遷が中心です。 @甲骨文字(殷代) 甲骨文字とは、亀の腹甲や牛の骨などに刻み込まれた文字で、王室の祭祀や生活に關する占いの言葉が中心になっている爲、「卜辭」とも呼ばれています。現在、約四千種類ほどが發見されていますが、解明されているのは二千字ほどです。 A金文(殷末〜周) 金文とは、青銅器に鋳込んだり彫り込んだりされた文字の事です。 B古文・籀文(戰國時代) 古文は、主に中國の東部地方で、籀文は、中國の西部つまり秦地方で、ほぼ同時代に各々使われていた文字で、籀文は、大篆とも呼ばれます。 C篆書(戰國〜秦) 篆書とは、戰国時代から秦にかけて使用されていた字體の文字の事ですが、特に秦の始皇帝が宰相の李斯に命じて、其れ以前の古文や籀文を整理させた所謂文字統一後の字體を特に小篆と呼び、其れ以前の字體を大篆と総称します。尚、先に「六書」の所で出て來た許愼の『説文解字』は、其の親字の殆どが小篆(たまに大篆も有ります)です。 D隷書(秦〜後漢) 隷書とは、篆書を實用的に書き易すく簡略化した字體です。 E楷書(後漢〜) 楷書とは、漢代の隷書の字畫を嚴格にして、一点一畫を崩さずに、きちんと書く字體の事で、真書・正書とも呼ばれています。 F行書(後漢〜) 行書とは、楷書の筆畫を少し省略して崩した字體の事で、楷書と草書との中間的な字體です。 G草書(漢代〜) 草書とは、行書以上に筆畫を省略して續けて書く字體の事で、一般的には行書を崩した書き方から出たと言われていますが、現在では行書より早く秦末頃に、篆書や隷書を崩す事から發生したのではないか、とも言われています。 漢字の音や訓は一種類ではなく、複數存在していますが、先ず發聲の仕方に因って四種類に分かれます。此れが「平仄」です。 平仄(ひょうそく) 平仄とは、漢字の音の高低とアクセントに因る分類で、平聲・上聲・去聲・入聲の四聲が有りますが、此のうち上聲・去聲・入聲の三聲を一括して仄聲と呼びます。平聲は高低の無い平らな音、上聲は尻上がりの音、去聲は初めが弱く終わりが彊い音、入聲は短くつまる音、と言われています。此の平仄の違いは、韻文特に漢詩を作る時に、重要になって來ますし、又た此の四聲が變化を遂げながら、現在の中國語の四聲(一聲・二聲・三聲・四聲)に移って行きます。 書籍に因っては、使用される漢字に平仄の印が付けられていますが、其れは、漢字の左下から時計回りに付けられ、左下が平聲、左上が上聲、右上が去聲、右下が入聲となります。 反切 反切とは、漢字の音を示す表記方法の一つで、後漢時代に考え出されたと言われています。漢字の音を示すに當たり、別の二つの漢字(其の字と同聲の字と同韻の字)の音韻を借りて表します。反切上字と言われる上の字の聲母(語頭の子音)と、反切下字と言われる下の字の韻母(字音から聲母を除いた部分)とを合わせて、反切歸字と言われる別の漢字の一音を示します。 反切は、全ての漢字に付けられるのではなく、「あまり使われない特殊な漢字」とか、「音の分からない漢字」とか、或いは日常的な漢字でも「普通とは異なる意味に使われる時」等に付けられます。 例えば 「官、古丸反」(官は、古丸の反)は、古「KO」の「K」と、丸「GAN」の「AN」を合わせて「KAN」の音を表し、其れが「官」の音です。 「東、コ紅切」(東は、コ紅の切)は、コ「TOKU」の「T」と、紅「KOU」の「OU」を合わせて「TOU」の音を表し、其れが「東」の音です。 今、用例として理解し易くする爲に、日本での漢字音で示しておきましたが、正しくは當時の中國音で合わせます。反切は、一般的には「何何反」と書かれますが、「反」には「そむく」意が有るため、唐代になって「切」に改め「何何切」と書くようになった、と言われており、其処から「反切」と言う言い方が出て來ますが、實際には宋代でも「反」は使われていますし、又た「反」の代わりに「翻」の字が使われ、「何何翻」と表記されたものも有ります。 音と訓の種類 漢字の音には、中國から傳わった「呉音」「漢音」「唐音」と、我が國で讀み慣わしている「慣用音」との四種類が有り、訓にも「正訓」「國訓」「義(熟字)訓」の三種類が有ります。 呉音 呉音とは、六世紀頃に朝鮮半島を經由して傳わった漢字音で、日本に傳わった漢字音としては、最も古い音です。此の音は、中國の六朝時代の長江下流域(呉地方)で使われていた音で、佛教關係の用語に多く殘っています。 東京(キョウ)・修行(ギョウ)・頭(ズ)脳、等々 漢音 漢音とは、七世紀以後に遣唐使や留學生等に因って傳えられた、隋・唐の都であった長安地方で使われていた音の事です。 京(ケイ)城・進行(コウ)・頭(トウ)部、等々 唐(宋)音 唐音とは、鎌倉・室町以後に禪僧や商人等に因って傳えられた、中國の宋・元時代の長江下流域で使われていた音で、宋音とも言われています。 南京(キン)・行(アン)宮・饅頭(ジュウ)、等々 慣用音 慣用音とは、呉音でも漢音でも唐音でもなく、中國の辭典に無い發音であっても、日本で長年通用しており、慣用的に讀み慣れている音の事です。 重(ジュウ)箱・封(フウ)筒・漁(リョウ)師、等々 正訓 正訓とは、漢字本來の意味に忠實な、日本語としての讀みの事です。 山(やま)・川(かわ)・雪(ゆき)・花(はな)・人(ひと)・菊(きく)・梅(うめ)、等々 國訓 國訓とは、漢字本來の意味とは關係無く、日本獨自の意味を當て嵌めた、讀みの事です。カタカナは、漢字本來の意味です。 柏(かしわ・ヒノキ)・梓(あずさ・ササゲ)・鮎(あゆ・ナマズ)・鮭(さけ・フグ)・鰍(かじか・ドジョウ)、等々 義(熟字)訓 義訓とは、熟語の漢字に對して、漢字一字一字の意味には關係なく、熟語全體に對して其れに適當する日本語を當てた、讀みの事です。 海苔(のり)・百合(ゆり)・山車(だし)・梅雨(つゆ)・團扇(うちわ)・南風(はえ)・玄人(くろうと)、等々 ◆參 考◆ 國字とは、日本で作られた漢字の事で、和製漢字とも呼ばれ一五〇〇字程有りますが、現在では日常 的に使われる字と、徐々に使われなくなった字とが有ります。 日常的に使われる字働(はたらく)・凧(たこ)・塀(へい)・峠(とうげ)・枠(わく)・畑(はたけ)・裃(かみしも)・雫(しずく)・辻(つじ)・枡(ます)・麿(まろ)、等々 日常的に使われなくなった字 遖(あっぱれ)・圦(いり)・嬶(かかあ)・襷(たすき)・鎹(かすがい)・凩(こがらし)・瓱(ミリグラム)・粍(ミリメートル)、等々「返り點の付け方」には「原則」が有り、レ點と其れ以外では大きく異なります。 @一字から一字に返る「レ點」は、返る前の字の左上に付ける事。 A間を飛ばして返る「一・二點」「上・下點」等は、返る字の左下に付ける事。 *「登山」(山に登る)であれば、「山」字の左上にレ點を付けます。 *「見富士山」(富士山を見る)であれば、「見」字の左下に二點、「山」字の左下に一點を付けます。 *「我欲不爲兒孫買美田而欲爲妻残家屋」(我兒孫の爲に美田を買はざるを欲して妻の爲に家屋を残すを欲す)であれば、「不」字の左上にレ點、「不」字の左下に下點、「爲」字の左下に二點、「孫」字の左下に一點、「買」字の左下に中點、「田」字の左下に上點、「欲」字の左下に三點、「妻」字の左上にレ點、「残」字の左下に二點、「屋」字の左下に一點、と言う具合です。 「返り點」は、現在「五種類」が有り、各々用法が異なりますが、文章の内容や長短に應じて、適宜組み合わさって使用されるものと理解して下さい。以下、其の説明を致します。 *レ點(かりがね點とも呼ばれる) 下の一字からすぐ上の一字に返って讀む爲の符号です。一字から一字に返る符号である以上、漢字が二字有れば、何處にでも登場する可能性が有ります。 自リ(レ)古皆有リ(レ)死。 (古より皆死有り。) *一・二點(一・二・三・四・・・) 二字以上を隔てて下から上に返って讀む爲の符号です。必要に應じて一・二・三と數字が増えて行きます。 世ニ有(二)リ伯樂(一)、然ル後有(二)リ千里ノ馬(一)。(世に伯樂有り、然る後千里の馬有り。) *上・中・下點 レ點や一・二點だけでは示しきれず、一・二點の外側から更に上に返って讀む爲の符号です。返る字が二ヶ所の場合は、下から上・中・下と用いますが、一ヶ所の場合は、中を省略して上・下と用います。 不(下)爲(二)ニ兒孫(一)ノ買(中)ハ美田(上)ヲ 。(兒孫の爲に美田を買はず。) *甲・乙點(甲・乙・丙・丁・・・) レ點や一・二點、上・下點だけでは示しきれず、上・下點の外側から更に上に返って讀む爲の符号です。必要に應じて甲・乙・丙・丁と増えてゆきます。又た特殊な例ですが、一・二點の外側に三ヶ所以上返る字が有る場合は、三つしか符号を持たない上・中・下點では、返りきる事が出來なくなり、其の時は、上・下點を飛ばして、一・二點の外側にいきなり甲・乙點を付けます。 必ズ知(丁)ル陛下不(丙)ルヲ惑(二)ヒテ於佛(一)ニ作(二)シ此ノ崇奉(一)ヲ以テ祈(乙)ラ福祥(甲)ヲ。(必ず陛下佛に惑ひて此の崇奉を作し以て福祥を祈らざるを知る。) *天・地・人點 レ點や一・二點、上・下點、甲・乙點だけでは示しきれず、甲・乙點の外側から更に上に返って讀む爲の符号です。返る字が二ヶ所の場合は、下から天・地・人と用いますが、一ヶ所の場合は、地を省略して天・人と用います。但し、實際の文章の中では、殆ど使用されません。 *レ點と他の返り點との併用 レ點と一點、レ點と上點、レ點と甲點、レ點と天點の併用が有ります。 賣(二)ル盾ト與(一)ヲ(レ)矛。(盾と矛とを賣る。) 請(下)フ以(二)テ十五城(一)ヲ易(上)ヘンコトヲ(レ)之ニ。(十五城を以て之に易へんことを請ふ。) *下から連續した二・三字(熟語)に返る場合 下から連續した二・三字(熟語)に返って讀む場合は、文字の間にハイフン(―)を用い、最初の二字間に返り點を付けます。但し、ハイフンを引かない場合も多々有るので、用語に注意を払って下さい。 撃―(二)破ス沛公ノ軍(一)ヲ。(沛公の軍を撃破す。) 集―(二)大―成ス孔子之言(一)ヲ矣。(孔子の言を集大成す。) *下から連續した四字(熟語)に返る場合 下から連續した四字(熟語)に返って讀む場合は、文字の間にハイフン(―)を用い、最初の二字間と終わりの二字間に返り點を付けます。此の場合、例外的に大きい數字が小さい數字の内側(此れは、二字づつの熟語に二分割出來る場合で、本來は外側に來るのが一般的)に來ます。但し、ハイフンを引かない場合も多々有るので、用語に注意を払って下さい。尚、熟語として二分割出來ない様な四字熟語の場合は、如何に表記すれば良いのかと言う事ですが、其れは、三字熟語に返る場合と同様に、最初の二字間に返り點を付けます。四字熟語を二分割して「二・三」と返り點を付けるのは、あくまで例外的な特殊な例であると、理解して下さい。 《二分割出來る場合》 未(五)ダ・ル嘗テ不(四)ンバアラ嘆―(二)息痛―(三)恨セ於桓霊(一)ニ也。(未だ嘗て桓霊に嘆息痛恨せずんばあらざるなり。) 《二分割出來ない場合》 予也有(三)ル三―(二)年―之―愛於其ノ父母(一)ニ乎(。(予や其の父母に三年の愛有るか。) ◆補 説◆ *重要な事は、レ點と其れ以外とでは性格が異なると言う事です。レ點は一字から一字へ返る符号であれば、漢字が二字有れば使用出來るので、何處でも使われる可能性が有りますが、一・二點以後は異なります。一・二點の外側に出て來るのが上・下點で、其の外側に出て來るのが甲・乙點で、更に其の外側に出て來るのが天・人點です。此等は決して交錯して使用される事は有りません。 つまり「 」の外に( )が有り、その外に〈 〉が有り、更に外側に[ ]が有ると言う、[ 〈 ( 「 」 ) 〉 ]の形式です。 「送り假名」は、原則として活用語(動詞・形容詞・形容動詞・助動詞)の活用語尾や、助詞などを示す言葉を、送り假名として付けますが、次の三點が重要な決まりです。 一、歴史的假名遣い、つまり文語文法に從う事。 二、漢字の右横下にカタカナで付ける事。 三、再讀文字の場合は、最初漢字の右横下に、二 回目に讀む時は漢字の左横下にカタカナで 付ける事。 *活用語(動詞・形容詞・形容動詞・助動詞)は活用語尾を送ります。 登ル・聞ク・清シ・可シ・勿カレ、等々 *形容詞・副詞等から轉じた動詞や、動詞・副詞から轉じた形容詞は、元の品詞の活用語尾から送ります。 輝カス・驚カス・行ハル・以テス・極メテ 、等々 *副詞・接続詞・前置詞は、最後の一字を送ります。 若シ・能ク・殆ド・乃チ・遂ニ・自ラ、等々 *活用語を含む副詞・接続詞は活用語尾を送り ます。 盡クハ・必ズシモ・然レドモ・而シテ、等々 *名詞を動詞に轉じて讀む時には、動詞に讀む部分から送ります。 王トス・指サス・暇アリ・火アリ・西ス・雨フル・杖ツク・名ヅク、等々 *時を表す(〜となった・〜であった・〜となってしまった)等の場合は、活用語尾に「リ・タリ・キ・タリキ」等を送ります。 國定マレリ・沈(二)ミタリ於江戸灣(一)ニ・不リキ(レ)意ハ・既ニ死シタリキ矣、等々 *「レ」を伴う人稱代名詞(我・彼・誰)には送りませんが、「ガ」を伴う人稱代名詞や、「ノ」 「レ」を伴う指示代名詞には送ります。 我ガ・是ノ・其ノ・此レ・夫レ・孰レ・何レ、等々 *形容動詞の連用中止形には「ニシテ・トシテ」(一般的に「・・・であって」と譯せる様な場合が「ニシテ」で、「・・・としていて」と譯せる様な場合が「トシテ」です)を送り、終止形には「ナリ・タリ」(一般的に「・・・だ」とか「・・・である」と譯せる様な場合が「ナリ」で、「・・・としている」と譯せる様な場合が「タリ」です)を送ります。 花彩 鮮明ニシテ、草色 タリ。、等々 古松 鬱蒼トシテ、微風 暖カナリ。、等々 *名詞を副詞に轉じて讀む時には、次の様な送り假名を送ります。 兄ノゴトク事フ・學モテ立ツ・西ノカタ匈奴ヲ征ス・風雨四面ヨリ來タル・耳ニテ之ヲ聞ク、等々 *引用文や對話などの終りには、「ト」を送ります。 子曰ク、巧言令色、鮮矣仁ト。、等々 *音を重ねて讀む時の字には、踊り字を送ります。 各ゝ(おのおの)・益ゝ(ますます)・偶ゝ(たまたま)・愈ゝ(いよいよ)・數ゝ(しばしば)・看ゝ(みすみす)、等々 *動詞が名詞に轉じた時には、基本的に何も送りません。名詞は一字で名詞です。但し、元々名詞として使われる事の無い動詞が名詞に轉じた時には、活用語尾に「コト」を付け名詞化して送ります。 始(はじめ)・終(おわり)・流(ながれ)・祭(まつり)、等々 登ルコト・飛ブコト・來ルコト・去ルコト・呼ブコト、等々 *次ぎのような字には、送り假名を送りません。 今(いま)・今者(いま)・昔(むかし)・昔者(むかし)・古(いにしえ)・古者(いにしえ)・向(さきに)・向者(さきに)・又(また)、等々 ◆注 意◆ 尚、漢文訓読の送り仮名については、明治四十年の「送假名法」以後、確ある可しと言う決定的な基準は示されておりません。但し、現代国語に関しては、昭和56年10月に内閣告示第三号改正が出され、一応の拠り所が定められました。その内容は、あくまで現代語表記に関するもので、「一般の社会生活における、現代国語を書き表す場合の拠り所」「各種専門分野の表記にまで及ぼすものではない」等が、前書きで明記されており、尚かつ「例外・許容として慣例的なものも認める」ともなっています.。故に、古典である漢文訓読の送り仮名が、必ずしもこの告示に依拠するとは限りませんが、文語文である漢文訓読も国語教育の一環であると謂う理由からでしょうか、通則1(活用語尾を送る)を金科玉条として、高校教科書等の漢文表記に使用され、「曰く」を「曰はく」と「以て」を「以って」「於て」を「於いて」等と記される様になりました。 因って、漢文訓読の送り仮名に関しては、現在一応それなりの基準は有りますが、それでも慣例的な要素から、別の部分で微妙な表記の差違が、実際に生じているのも事実です。 分かり易いのは、本来仮定を表す送り仮名で、古典では、「花が咲いたなら」の意味であれば、「咲かば(未然形+ば)」と読み、確定を表す「花が咲いたので」の意味であれば、「咲けば(已然形+ば)」と読みますが、江戸時代の中頃から、仮定条件に応ずる結果が「必然性や真実性」を持っている場合は、「已然形+ば」で訓読して仮定を表す用法が広まって来ます。 例えば、 「子曰く、三人行かば、必ず我が師有り。」は「未然形+ば」 「子曰く、三人行けば、必ず我が師有り。」は「已然形+ば」 です。しかしこれは、前後の文脈的意味内容から、「未然形+ば」であれ「已然形+ば」であれ、共に仮定の意味を表す表記となっています。 更に現代国語では、古典の已然形の所が仮定形となっていますので、現代表記では、「咲けば(仮定形)」が「咲いたなら」の意味になります。その為、仮定を表す時に「咲かば」と、「咲けば」が、テキストごとに異なって表記される様な事例もあります。 然りと雖も、現在では可能な限り文語文法に依拠し、「君行かば(未然形+ば)・・行ったなら」「君行けば(已然形+ば)・・行ったので」「君來たらば(未然形+ば)・・来たなら」「君來たれば(已然形+ば)・・来たので」「花咲かば(未然形+ば)・・咲いたなら」「花咲けば(已然形+ば)・・咲いたので」「雨降らば(未然形+ば)・・降ったなら」「雨降れば(已然形+ば)・・降ったので」等々に読み分けた方が、意味的に分かり易いだろうと思います。 斯様に歴史的推移を一見しますと、文語文法自体も時代毎に異なる部分が有り、また江戸以来の慣例的な読み方も有り、特に「曰く」の「く」は、古典の上代文法の「ク語法」とも関わりが有り、複雑な論議が必要となります。因ってここでは、今この問題、つまり現在の漢文訓読送り仮名表記の差異や当否に就いて、殊更深く立ち入って論議する事は致しません。 「書き下し文」とは、訓讀した漢文を其の「訓讀通りに文章化」したものの事ですが、次の三點が重要な決まりです。 一、送り假名のカタカナは全て平假名で表わす事。 二、訓讀しない漢字は、書き下し文には表さない事。 三、原文の漢字は原則として其のまま使用するが、次ぎに擧げる漢字は平假名で表す事。(文語文法の助詞・助動詞に當るものは平假名にする、と言うのが基本です) @再讀文字で、二度目に讀む部分。 A「者」を「は」「とは」と讀む場合。 B「之」を「の」と讀む場合。 C「與」を「と」と接続に讀む場合。 D「與」を「よリハ」と比較に讀む場合。 E「ず」と讀む、打ち消しの「不・弗」の字。 F「よリ」と讀む、起點を示す「自・從・由」の字。 G「なり・や・か・かな・のみ」などと讀む、終尾詞として使われた時の「也・乎・矣・焉・與 ・歟・耶・邪・哉・夫・已・耳・爾・而已・也已・已矣・而已矣」等の字。 H「る・らル」と讀む、受身として使われた時の「被・見・爲・所」の字。 I「しム」と讀む、使役として使われた時の「使・令・教・遣・俾」の字。 子未ダ・ル(レ)學バ(レ)禮ヲ乎。(子未だ禮を學ばざるか。) 蓬生(二)ズレバ麻中(一)ニ不シテ(レ)扶ケ而直シ。( 蓬麻中に生ずれば扶けずして直し。) 天帝使(三)ム我ヲシテ長(ニ)タラ百獸(一)ニ。(天帝我をして百獸に長たらしむ。) 信ニシテ而見(レ)疑ハ、忠ニシテ而被(レ)謗ラ。(信にして疑はれ、忠にして謗らる。) 先生之恩ハ不(二)啻ニ此レ耳(一)ナラ。(先生の恩は啻に此れのみならず。) ◆參 考◆ *復文について 「復文」とは、書き下し文から「元の原文(白文)に復元」する、つまり、日本語の文語文から語順の異なる漢文にする事です。 名を後世に揚ぐ。(「於」を使って五字で)→揚名於後世。 張良、漢王に書を遺る。(六字で)→張良、遺漢王書。 其の路を舎てて由らず。(「而と弗」を使って六字で)→舎其路而弗由。 未だ治めずして國人其の仁を信ずるなり。(「而と也」を使って九字で)→未治而國人信其仁也。 「再讀文字」とは、漢文の訓讀上に於いて、「二度讀む漢字」の事で、副詞的な意味と、助動詞或いは動詞的意味とを、兼ね備えて持っている漢字の事です。 此の漢字は、先に副詞的に讀み、二度目は返り點に從って助動詞或いは動詞的に讀みます。因って、再讀文字には必ず返り點が付きますが、だからと言って、返り點が付いていれば常に再讀文字と言う譯ではなく、單に動詞として使われる場合も多々有りますので、注意が必要です。 要するに、意味上から再讀文字として使用されていると判斷される時には、再讀文字として讀むと言う事です。再讀文字として使用される漢字は、代表的なものが七種十字あります。以下に其れ等を説明しますが、數が少ないので、其の讀み方と意味は、出來れば覚え込んで暗記しましょう。 @「未」 いまダ・・ず(讀み)・まだ・・しない。まだ・・でない。(意味) 未(二)ダ嘗テ敗北(一)セ。(未だ嘗て敗北せず。) A「將・且」 まさニ・・す(讀み)・いまにも・・しようとする。やがて・・になろうとする。(意味) *この場合、再讀文字に返る前の述語の送り假名は、活用語尾の後に必ず「ント」が付きます。 斯ノ道也 將ニ(レ)亡ラビント矣。(斯の道や 將に亡びんとす。 歳 且(二)ニ更起(一)セント矣。(歳 且に更起せんとす。) B「當・應」 まさニ・・べシ(讀み)・当然・・のはずだ。きっと・・だろう。(意味) 人當ニ・シ(レ)惜(二)シム寸陰(一)ヲ。(人當に寸陰を惜しむべし。) 君應ニ・シ(レ)知(二)ル故クノ事(一)ヲ。(君應に故クの事を知るべし。) C「猶・由」 なホ・・ごとシ(讀み)・ちょうど・・と同じである。どうやら・・のようだ。(意味) 子曰ク、過ギタルハ猶ホ・シ(レ)不ルガ(レ)及バ。(子曰く、過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし。) 稷ハ思(下)フ天下ニ有(二)ラバ飢タル者(一)、由(中)ホ・シト己ノ飢(上)ヘシムルガ(レ)之ヲ。(稷は天下に飢たる者有らば、由ほ己の之を飢へしむるがごとしと思ふ 。) D「宜」 よろシク・・ベシ(讀み)・・・するほうがよい。・・がふさわしい。(意味) 過テバ則チ宜シク・シ(レ)改ム(レ)之ヲ。(過てば則ち宜しく之を改むべし。) E「須」 すべかラク・・べシ(讀み)・ぜひとも・・する必要がある。必ず・・しなくてはならない。(意味) 行樂須ラク・シ(レ)及ブ(レ)春ニ。(行樂須らく春に及ぶべし。) F「盍」 なんゾ・・ざル(讀み)・どうして・・しないのか。なぜ・・しない のか。(意味) *「盍」の音は「コウ(カフ)」で、「何不」の合音の字です。 王欲セバ(レ)行ハント(レ)之ヲ則チ盍ゾ・ル(レ)反(二)ラ其ノ本(一)ニ矣。(王之を行はんと欲せば則ち盍ぞ其の本に反らざる。) 「置き字・介詞」とは、「補語の前に置かれる前置詞」で、補語から其の前置詞の上に置かれる述語に返る時、「訓讀しない字」の事です。但し、此等の字は、置き字として使用されている時に、訓讀しないと言うだけで、其れ以外の場合は訓讀します。 「置き字・介詞」として使用される字は、「於・于・乎」の三字が有りますが、此の三字は、全く同様に用いられ、場所・方向・起點・原因・比較などを表す時に用いられますので、置き字の下の補語には、「ニ・ヨリ・ヨリモ」等の送り假名を付けます。 ハ取(二)リテ之ヲ於藍(一)ヨリ而(二)シ於藍(一)ヨリモ。(は之を藍より取りて藍よりもし。)・・置き字として使用された場合 向ニ於(二)イテ京師(一)ニ聽クコト(レ)教ヲ一年餘ナリ。(向に京師に於いて教を聽くこと一年餘なり。)・・讀む場合 「而」が接續詞として使用された時には(たまに「なんぢ」「すなはチ」・「ごとシ」と讀まれる場合が有りますので、注意してください)、基本的に「順接と逆接」二種類が有ります。(但し、時たま強調の「累加」を表す場合も有ります) @順接・・「テ」「しかシテ」「しかウシテ」(讀み) 「そして」「それで」「そうして」(意味) 但し、文章が連續しているときには、「而」に續く上の字に、送り假名として「テ」「シテ」を送り、「而」の字は讀みません。 光陰者百代ノ過客也。而シテ浮生ハ如シ(レ)夢ノ。(光陰は百代の過客なり。而して浮生は夢の如し。)・・讀む場合 謀リテ(レ)事ヲ而更ニ困窮ス。(事を謀りて更に困窮す。)・・讀まない場合 A逆接・・「しかルニ」「しかルヲ」「しかレドモ」 (讀み)「それなのに」「そうではあるが」「そうはいっても」(意味) 但し、文章が連續している時には、「而」に續く上の字に、送り假名として「モ」「ルニ」「ルヲ」「レドモ」を送り、「而」の字は讀みません。 道ハ在リ(レ)爾キニ。而ルニ求(二)ム諸ヲ遠(一)キニ。(道は爾きに在り。而るに諸を遠きに求む。)・・讀む場合 心不レバ(レ)在ラ(レ)焉ニ、視レドモ而不(レ)見ヘ、聽ケドモ而不(レ)聞コヘ。(心焉に在らざれば、視れども見へず、聽けども聞こへず。)・・讀まない場合 ☆累加・・「しかモ」 (讀み)「そのうえに」「更に」(意味) 我ハ無シ(レ)銭。而モ無シ(レ)家モ。(我は銭無し。而も家も無し。) 「すなはチ」と讀む、代表的な接続詞は六種類有ります。意味は、前後の文脈に因って適宜譯しますが、一應代表的な意味を擧げておきます。 @「則」(意味は、・・であれば、・・ではあるが・それは) 學ビテ而不レバ(レ)思ハ則チ罔シ。 (學びて思はざれば則ち罔し。) A「即」(意味は、すぐに・とりもなおさず) 項伯 許諾シ即チ復タ去ル。(項伯 許諾し即ち復た去る。) B「乃」(意味は、そこで、かえって、やっと、ようやく) 大禹ハ聖人ナルモ乃チ惜(二)メリ寸陰(一)ヲ。 (大禹は聖人なるも乃ち寸陰を惜めり。) C「便」(意味は、すぐに・そのまま・たやすく・そこで) 林盡(二)キ水源(一)ニ便チ得(二)タリ一山(一)ヲ。(林水源に盡き便ち一山を得たり。) D「輒」(意味は、たやすく、すぐに、そのたびごとに、ややもすれば) 非ザレバ(レ)有(二)ルニ疾病故事(一)輒チ不(レ)許サ(レ)出ヅルヲ。(疾病故事有るに非ざれば輒ち出づるを許さず。) E「載」(意味は、・・しながら) 載チ欣ビ載チ奔ル。(載ち欣び載ち奔る。) F「迺」(意味は、そこで、かえって、やっと、ようやく)「乃」と同じような使われ方をします。 迺チ積シ迺チ倉ス。(迺ち積し迺ち倉す。) G「而」(意味は、・・であれば、・・ではあるが、それは)「則」と同じような使われ方をします。 子欲スレバ(レ)善ヲ而チ民善ナリ矣。 (子善を欲すれば而ち民善なり。) H「就」(意味は、そこで、すぐに)「即」や「乃」と同じような使われ方をします。 就チ加ヘ(レ)詔ヲ許シ(レ)之ヲ諡シテ曰(二)フ忠武(一)ト。 (就ち詔を加へ之を許し諡して忠武と曰ふ。) @「有」は、所有を表す「あリ」です。其の爲「有」の下に置かれるものは、基本的に名詞が多く、其の名詞には當然送り假名は送りません。しかし、動詞が置かれた時には、其れを名詞化する爲に、動詞の活用語尾と「コト」を送ります。 梢ニ有リ(レ)花。(梢に花有り。)・空ニ有リ(レ)雲。(空に雲有り。) 魚モ有リ(レ)泣クコト。(魚も泣くこと有り。)・地ハ有(二)リ震動(一)スルコト。(地は震動すること有り。) A「在」は、所在を表す「あリ」です。其の爲「在」に返る前の字には、必ず「ニ」を送ります。つまり「・・・ニ在リ」と讀みます。 富貴ハ在リ(レ)天ニ。(富貴は天に在り。)・雲ハ在リ(レ)空ニ。(雲は空に在り。) 「多・少・難・易」の形容詞は、二種類の使われ方をしますので、讀む時はよく文章を注意して下さい。 @「多・少・難・易」の形容詞が普通に述語として使われた時には、主語の下に置かれ、そのまま讀みます。 不ル(レ)遇ハ(レ)時ニ者多シ矣。(時に遇はざる者多し。) 破(二)ルハ山中ノ賊(一)ヲ易ク、破(二)ルハ心中ノ賊(一)ヲ難シ。(山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。) A「多・少・難・易」の形容詞が述語として使われ、其の述語が句をなしている時には、下から返ります。 不ル(レ)得(レ)道ヲ者ハ少シ(レ)助。(道を得ざる者は助少し。) 少年易ク(レ)老イ、學難シ(レ)成リ。(少年老い易く、學成り難し。) ◆參 考◆ 「多少」の意味は、「多いと少ない」「多い」「少ない・わずか」「いかほど・いくらか・若干」と、四種類有りますので、使用される文脈に沿って適宜最も適当な意味を当て嵌める必要が有ります。「多いと少ない」 以(二)テ貴賤(一)ヲ爲 シ(レ)文ヲ、以(二)テ 多少(一)ヲ 爲ス(レ)異 ヲ。 (貴賤を以て文を爲し、多少を以て異を爲す。) 「多い」 夜來 風雨ノ 聲、花 落ツルコト知ンヌ多少ゾ。 (夜来風雨の聲、花落つること知んぬ多少ぞ。)「少ない・わずか」 南朝 四百八十寺、多少ノ樓臺 煙雨ノ中。(南朝四百八十寺、多少の樓臺煙雨の中。)「いかほど・いくらか・若干」 尚ホ有(二)リ堪フル(レ)事者ノ多少 (一)。(尚ほ事に堪ふる者の多少有り。)漢文の末尾に置かれる終尾詞は、多種多様ですが、大きく分けると以下の四通りに分けられます。 @斷定を表す「也・矣・焉」。(「なり・けり・せり・なる・ける」等と讀んだり、或いは終尾詞に續く直前の字を終止形に讀んで、終尾詞自体を讀まなかったりします) *注意を要するのは、これらの終尾詞が有るから斷定になる、と言う譯では決してありません。「我人(我は人なり)」は終尾詞が無くても斷定ですが、「我人也(我は人なり)」でも「我人矣(我は人なり)」でも「我人焉(我は人なり)」でも、斷定です。要するに、「我は人である」と言う事實を、どういう調子(表現)で表すのか、つまり「也・矣・焉」を加えたものは、書き手の語氣が加わった表現である、と言う事です。 では、此等の終尾詞は如何なる語氣を含むのかと言えば、必ずしも「これはこうである」とは言えませんが、一般的には、「也」は「おだやかに言い収める氣持ち」を表し、「矣」は「彊く言い切る感じの氣持ち」を表し、「焉」は「余意を殘す含みの有る氣持ち」を表す、と言われています。 未ダ・ル(レ)聞(二)好ム(レ)學ヲ者(一)ヲ也。(未だ學を好む者を聞かざるなり。)・・讀む場合 未ダ(レ)聞(二)好ム(レ)學ヲ者(一)ヲ也。(未だ學を好む者を聞かず。)・・讀まない場合 心誠ニ求ムレバ(レ)之ヲ必ズ有(二)ル眞師(一)矣。(心誠に之を求むれば必ず眞師有るなり。)・・讀む場合 心誠ニ求ムレバ(レ)之ヲ必ズ有(二)リ眞師(一)矣。(心誠に之を求むれば必ず眞師有り。)・・讀まない場合 三人行ケバ必ズ有(二)ル我ガ師(一)焉。(三人行けば必ず我が師有るなり。)・・讀む場合 三人行ケバ必ズ有(二)リ我ガ師(一)焉。(三人行けば必ず我が師有り。)・・讀まない場合 A疑問や反語を表す「乎・與・歟・邪・耶・哉・焉・也」。(原則として、疑問の時は連體形に接続して「か」と讀み、終止形に接続して「や」と讀みますが、反語の時は必ず「(ん)や」と讀みます) 斯ノ人ニシテ也而 有(二)ル斯ノ疾(一)也。(斯の人にして斯の疾有るか。)・・疑問 若ハ非(二)ズ吾ガ故人(一)ニ乎。(若は吾が故人に非ずや。)・・疑問 以テ(レ)臣ヲ弑ス(レ)君ヲ、可ケン(レ)謂フ(レ)仁ト乎。(臣を以て君を弑す、仁と謂ふ可けんや。)・・反語 禮ト云ヒ禮ト云フ、玉帛ヲバ云ハン乎哉。(禮と云ひ禮と云ふ、玉帛をば云はんや。)・・反語 B詠嘆を表す「也・哉・夫・乎・與・也夫・乎哉」。(「や・かな」と讀みます) 放(二)チテ其ノ心(一)ヲ而不(レ)知ラ(レ)求ムルヲ、哀ンイ哉。(其心を放ちて求むるを知らず、哀しいかな。) 子曰ク、已ンヌル矣乎ト。(子曰く。已んぬるかなと。) C限定を表す「耳・爾・已・而已・而已矣」。(「のみ」と讀みます) 堯舜モ與(レ)人同ジキ耳。(堯舜も人と同じきのみ。) 夫子之道ハ忠恕而已矣。(夫子の道は忠恕のみ。) 漢文には、訓讀が解釋である以上、一字で「多種多様な讀み方」をするものが、何種類か有ります。以下に、其の代表的なものの、「讀み」と「意味」とを説明します。 ★「與」 *(讀み)、〜ト〜と・〜ハ〜と(意味、接續の働きをします) 富ト與ハ(レ)貴、是レ人之所(レ)欲スル也。(富と貴《と》は、是れ人の欲する所なり。) 知リテ而不ルハ(レ)能ハ(レ)行フコト、與(レ)不ル(レ)知ラ同ジ。(知りて行ふこと能はざるは、知らざる《と》同じ。) *ともニ〜(讀み)、ともに〜(意味、動詞の働きをします) 不仁者ハ可(二)ケン與ニ言(一)フ哉。(不仁者は與《とも》に言ふ可けんや。) *〜くみス(讀み)、〜に味方する(意味、動詞の働きをします) 百姓與スルトキハ(レ)之ニ則チ安シ。(百姓之に與《くみ》するときは則ち安し。) *〜あずカル(讀み)、〜に関係する(意味、動詞の働きをします) 吾不レ(レ)バ(レ)與カラ(レ)祭ニ、如シ(レ)不ルガ(レ)祭ラ。(吾祭に與《あず》からざれば、祭らざるが如し。) *〜ノためニ〜(読み)、〜の為に〜(意味)少クシテ 與ニ(レ)人ノ 傭耕ス。 (少くして人の與《ため》に傭 耕 す。) *〜よリハ〜(讀み)、〜によりは〜(意味、比較の働きをします) 與(二)リハ其ノ生キテ而無(一)キ(レ)義、固ヨリ不(レ)如カ(レ)烹ラルルニ。 (其の生きて義無き《よ》りは、固より烹らるるに如かず。) 與(二)リハ其ノ非トシテ(レ)外ヲ而是(一)トスル(レ)内ヲ、不ル(レ)若(二)カ内外兩ナガラ忘(一)ルルニ也。(其の外を非として内を是とする《よ》りは、内外兩ながら忘るるに若かざるなり。) *〜か・〜や(讀み)、〜か(意味、疑問終尾祠の働きをします) 周之夢ニ爲(二)レル胡蝶(一)ト與。(周の夢に胡蝶と爲れる《か》。) *〜ニおケル(讀み)、〜において・〜にとって(意味、「於」と同じです) 齊ノ與ケル(レ)呉ニ、疥癬也。(齊の呉に《與ける》、疥癬なり。) ★「爲」 *〜なス(讀み)、〜とする(意味) 鮑叔不(二)以テ(レ)我ヲ爲(一)サ(レ)愚ト。(鮑叔我を以て愚と爲《な》さず。) *〜なル(讀み)、〜となる(意味) 獨リ在(二)リテ異郷(一)ニ爲(二)ル異客(一)ト。(獨り異郷に在りて異客と爲《な》る。) *〜たリ(讀み)、〜である(意味) 司馬ハ仍ホ爲(二)リ送ルノ(レ)老ヲ官(一)。(司馬は仍ほ老を送るの官爲《た》り。) *〜ためニ(讀み)、〜のために(意味) 今之學ブ者ハ爲ニス(レ)人ノ。(今の學ぶ者は人の爲《ため》にす。) *〜つくル(讀み)、〜をつくる(意味) 伐リテ(レ)木ヲ爲リ(レ)橋ヲ以テ渡ス(レ)之ヲ。(木を伐りて橋を爲《つく》り以て之を渡す。) *〜おさム(讀み)、〜をおさめる(意味) 學之要ハ、以テ(レ)爲ムルヲ(レ)己ヲ爲ス(レ)先ト。(學の要は、己を爲《おさ》むるを以て先と爲す。) *〜る・〜らル(読み)、〜される(意味、受け身の助辞として使われます)伍胥ノ父兄ハ 爲ル(レ)戮(二)セ於楚(一)ニ。( 伍胥の父兄は楚に戮せらる。) ★「自」 *みずかラ〜(讀み)、自分自身で〜(意味) 衣(二)テ寶玉(一)ヲ自ラ焚ケ死ス。(寶玉を衣て自《みずか》ら焚け死す。) *おのずかラ〜(讀み)、自然に〜・自然と〜(意味) 山ハ自ラ高ク海ハ自ラ深シ。(山は自《おのずか》ら高く海は自《おのずか》ら深し。) *〜よリ(讀み)、〜から(意味) 自リ(レ)陝以西ハ召公主リ(レ)之ヲ、自リ(レ)陝以東ハ周公主ル(レ)之ヲ。(陝《よ》り以西は召公之を主り、陝《よ》り以東は周公之を主る。) *〜ニよル(讀み)、〜に由る(意味) 出入ハ自(二)ル爾ノ師ノ虞(一)ルニ。(出入は爾の師の虞るに自《よ》る。) *〜ヲもっテ(讀み)、〜で・〜を用いて(意味) 自テ(レ)仁ヲ率フ(レ)親ニ。(仁を自《もっ》て親に率ふ。) *いやしクモ〜バ(讀み)、仮に〜であれば・かりそめにも〜であれば(意味)・・・次の「〜に非ざるよりハ〜」とも読めます。 自クモ非(二)ザレバ寇賊犯(一)スニ(レ)闕ヲ、則チ不ル(レ)宜シク・カラ(レ)被ル(レ)甲ヲ也。(自《いやし》くも寇賊闕を犯すに非ざれば、則ち宜しく甲を被るべからざるなり。) 自クモ非(二)ザレバ聖人(一)ニ、所(レ)難キ(レ)免レ也。(自《いやし》くも聖人に非ざれば、免れ難き所なり。) *〜に非ざるよりハ〜(讀み)、〜で無い限りは〜である(意味)・・・前の「いやしクモ〜バ」とも読めます。 自リハ(レ)非(二)ザル寇賊犯(一)スニ(レ)闕ヲ、則チ不ル(レ)宜シク・カラ(レ)被ル(レ)甲ヲ也。(寇賊闕を犯すに非ざる《よ》りは、則ち宜しく甲を被るべからざるなり。) 自リハ(レ)非(二)ザル聖人(一)ニ、所(レ)難キ(レ)免レ也。(聖人に非ざる《よ》りは、免れ難き所なり。) *〜(ト)いえどモ(讀み)、たとえ〜であっても・〜でさえ(意味) 自(二)モ凡人(一)ト猶ホ繋(二)ガル於習俗(一)ニ、而ルヲ況ヤ於(二)テヲ哀公之倫(一)ニ乎。(凡人と自《いえど》も猶ほ習俗に繋がる、而るを況や哀公の倫に於てをや。) *置き字・介詞の「于・於」と同様に扱う(意味) 汾水ハ出(二)デ自太原(一)ヨリ、西シテ入(二)ル於河(一)ニ。(汾水は太原より出で、西して河に入る。) 王修載ノ樂託之性ハ、出(二)ヅ自門風(一)ニ。(王修載の樂託の性は、門風に出づ。) 漢文には、複數の字で「同じ讀み方」をするものが、何種類か有ります。以下に、其の代表的なものの、「讀み」と「意味」とを説明します。 ★「尚・猶・由・仍」 なホ(讀み)、やはり(意味) ★「又・亦・復・還・也」 また(「又」のみ)・まタ(讀み)、さらにまた・〜もまた・再び(意味) ★「本・原・元・素・故・固」 もと・もとヨリ(讀み)、もと・もともと(意味) ★「之・此・是・斯・諸・焉」 こレ・こノ・ここ(讀み)、代詞です(意味) ★「遽・急・卒・俄・暴・驟・傳」 にはカニ(讀み)、すぐに・突然・速やかに・慌ただしく(意味) 漢文には、「此の様に使われたらほぼこう讀む」とするものが、何種類か有ります。以下に、其の代表的なものの、「讀み」と「意味」とを説明します。 ★「然則」 しかラバすなはチ(讀み)、そうであるならば・・・(意味) 然ラバ則チ一貫者忠恕也。(然らば則ち一貫とは忠恕なり。) 然ラバ則チ人之性ハ悪ナルコト明カナリ矣。(然らば則ち人の性は悪なること明かなり。)チ ★「然後・而後」 しかルのち・しかシテのち(讀み)、そこで・そうしてから・そうしてのち(意味) 然ル後從ヒテ而刑ス(レ)之ヲ。(然る後從ひて之を刑す。) 心正シクシテ而ル后ニ身ハ脩マル。(心正しくして而る后身は脩まる。) ★「然而」 しかリしかうシテ(讀み)、それにもかかわらず・そうであるのに・それなのに・それでいて・そうでありながら(意味) 然リ而シテ不ル(レ)王タラ者也。(然り而して王たらざる者なり。) ★「雖然」 しかリトいへどモ(讀み)、 そうであっても・けれども(意味) 雖モ(レ)然リト吾嘗テ聞ケリ(レ)之ヲ矣。(然りと雖も吾嘗て之を聞けり。) ★「不然」 しかラざレバ・しかラずンバ(讀み)、そうでなければ・そうしないと(意味) 不レバ(レ)然ラ 彼之凶邪、豈ニ君ノ所(二)ナラン能ク制(一)スル耶。(然らざれば彼の凶邪、豈に君の能く制する所ならんや。) ★「不者・否者」 しからざレバ・しからずンバ(讀み)、そうでなければ・そうしないと(意味) 可シ(レ)使(二)ム形ヲシテ見(一)、不者ンバ加ヘン(レ)戮ヲ。(形をして見しむ可し、不者んば戮を加へん。) ★「不然則」 しかラざレバすなはチ・しかラずンバすなはチ(讀み)、そうでなかったなら・そうしなければ・そうでないと・そうしないと(意味) 不レバ(レ)然ラ則チ否セズ。(然らざれば則ち否せず。) ★「不則・否則」 しからざレバすなはチ・しからずンバすなはチ(讀み)、そうでなかったなら・そうしなければ・そうでないと・そうしないと(意味) 不ンバ則チ百タビ悔ユルトモ亦タ竟ニ無カラン(レ)益。(不んば則ち百たび悔ゆるとも亦た竟に益無からん。) 否ンバ 則チ 難(三)カラン以ノ伍(二)シ壯者(一)ニ矣。(否んば則ち以て壯者に伍し難からん。) 温 望(二)ム帝ノ臨ミ(レ)終ニ禪(一)ルヲ(レ)位ヲ、否ンバ 即チ 居ラン(レ)攝ニ。(温 帝の終に臨み位を禪るを望む、否んば即ち攝に居らん。) ★「何者」 なんトナレバ(讀み)、なぜなら・なぜかといえば(意味・・理由を説明します) 何者トナレバ彼之所ノ(レ)獲ル者ハ不ル(レ)過(二)ギ數金(一)ニ耳。(何者となれば彼の獲る所の者は數金に過ぎざるのみ。) ★「何則」 なんトナレバすなはチ(讀み)、なぜなら・・・だからである・なぜかといえば・・・だからだ(意味・・理由を説明しますが、「何者」よりやや意味が彊く、文末に「レバナリ」の送り假名を送ることが多いです) 何トナレバ則チ彼ハ固ヨリ亂(二)ス人國(一)ヲ者ナレバナリ。(何となれば則ち彼は固より人國を亂す者なればなり。) ★「何謂也」 なんノいひゾや(讀み)、・・・はどういう意味なのか(意味) 與(二)フトハ亮ニ器物(一)ヲ果シテ何ノ謂ゾ也。(亮に器物を與ふとは、果して何の謂ぞや。) ★「於是」 ここニおイテ(讀み)、そこで・このような譯で(意味・・接続詞です) 於イテ(レ)是ニ人主モ亦タ不(三)自ラハ知(二)ラ其ノ過(一)ヲ。(是に於いて人主も亦た自らは其の過を知らず。) ★「是以・此以」 ここヲもっテ(讀み)、だから・そこで・そうだから・このような譯で(意味・・接続詞です) 是ヲ以テ後世無シ(レ)傳フルコト。(是を以て後世傳ふること無し。) ★「以是・以此」 これヲもっテ(讀み)、これで・このことで・これに因って(意味) 以テ(レ)是ヲ知(二)ル其ノ能(一)ヲ。(是を以て其の能を知る。) ★「如是・如此・如斯・如之・若是・若此」 かくノごとシ(讀み)、このようである・このようだ・この通りだ(意味) 有ル(レ)本者ハ如シ(レ)是ノ。(本有る者は是の如し。) ★「以爲」 おもヘラク・・・ト(讀み・・「以て・・・と爲す」とも讀めます。其の爲文末は「ト」で結びます)、・・・と思う・・・と考える・・・と見なす・心に思うには・・・(意味) 以爲ヘラク侵ス(レ)官ヲ之害ハ甚(二)ダシト於寒(一)ヨリモ。(以爲へらく官を侵すの害は寒よりも甚だしと。) ★「所以」 ゆゑん(讀み)、・・・のわけ・・・するわけ・・・のもの・・・するためのも・・・するところのもの(意味・・理由・目的・方法などを表します) 不(レ)患ヘ(レ)無キヲ(レ)位、患(三)フ所(二)以ヲ立(一)ツ。(位無きを患へず、立つ所以を患ふ。) 漢文には、熟語の意味を當てて、「特殊な讀み方」をするものが、何種類か有ります。以下に、其の代表的なものの、「讀み」と「意味」とを説明します。 ★「所謂」 いはゆる(讀み・返り點を施さず、二字で上記のように讀みます)、・・・と言われているそれは・世に言われている所の(意味) 非(下)ザル吾ガ所謂傳(二)ヘ其ノ道(一)ヲ解(二)ク其ノ惑(一)ヲ者(上)ニ也。(吾が所謂《いはゆる》其の道を傳へ其の惑を解く者に非ざるなり。) ★「云爾」 しかいふ(讀み・・返り點を施さず、二字で上記のように讀みます)、此の通りである・此の様である(意味) 不ト(レ)知(二)ラ老之將(一)ニ・ルヲ(レ)至ラント、云爾。(老の将に至らんとするを知らずと、云爾《しかいふ》。) ★「就中」 なかんづく(讀み・・返り點を施さず、二字で上記のように讀みます)、とりわけ・其の中でも特に・多くの中でも特に(意味) 就中泣下ルコト誰カ最モ多シ。(就中《なかんづく》泣下ること誰か最も多し。) ★「不寧・無寧・無乃」 むしロ・・・(ン)カ(讀み・・これらの二字は、文脈に因っては、「寧ろ・・・無からんや」とか「乃ち・・・無からんや」とも讀みます)、いっそ・むしろ(意味・・詠嘆・願望や反語を表します) 不寧ロ唯ニ是ノミナランカ、又使ム(レ)圍ヲシテ蒙(二)セ其ノ先君(一)ヲ。(不寧《むし》ろ唯に是のみならんか、又圍をして其の先君を蒙せしむ。) 無寧ロ以テ爲(二)サンカ宗羞(一)ヲ。(無寧《むし》ろ以て宗羞を爲さんか。)・・詠嘆或いは願望 無(三)カランヤ寧ロ以テ爲(二)スコト宗羞(一)ヲ。(寧ろ以て宗羞を爲すこと無からんや。)・・反語 居リテ(レ)簡ニ而行フハ(レ)簡ヲ無乃ロ大簡ナラン乎。(簡に居りて簡を行ふは無乃《むし》ろ大簡ならんか。)・・詠嘆或いは願望 居リテ(レ)簡ニ而行フハ(レ)簡ヲ無(二)カラン乃チ大簡(一)ナルコト乎。(簡に居りて簡を行ふは乃ち大簡なること無からんや。)・・反語 ★「聞説・聞道」 きくならく(讀み・・文末は「ト」を送ります)、聞いた所に因ると・聞き及ぶには(意味) 聞説梅花拆(二)クト暁風(一)ニ。(聞説《きくならく》梅花暁風に拆くと。) 聞道神仙ハ不ト(レ)可カラ(レ)接ス。(聞道《きくならく》神仙は接す可からずと。) ★「一任」 さもあらばあれ(讀み)、ままよ・其れはともかく・何はともあれ・其れならば其れでかまわない(意味) 一任喧梱遶(二)ル四鄰(一)ヲ。(一任《さもあらばあれ》喧梱四鄰を遶る。) ★「加之」 しかのみならず(讀み・・但し、今では「之に加ふるに」と讀むのが一般的です)、其ればかりではなく・あまつさえ・加うるに(意味) 臣竭(二)クシ其ノ股肱之力(一)ヲ、加之以(二)テセン忠貞(一)ヲ。(臣其の股肱の力を竭くし、加之《しかのみならず》忠貞を以てせん。) 臣竭(二)クシ其ノ股肱之力(一)ヲ、加フルニ(レ)之ニ以(二)テセン忠貞(一)ヲ。(臣其の股肱の力を竭くし、之に加ふるに忠貞を以てせん。) 中國の文獻を見ると、日付が十干と十二支の組み合わせで表記されています。十干は、陰陽と五行の組み合わせで用いられ、十二支は、太方位や時刻にも用いられます。其れを簡單に説明します。 *十干・・・五行(木・火・土・金・水)を陽(兄・え)と陰(弟・と)に分けたもので、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸は、以下の形です。 木兄(きのえ)・・【甲】、木弟(きのと)・・【乙】 火兄(ひのえ)・・【丙】、火弟(ひのと)・・【丁】 土兄(つちのえ)・・【戊】、土弟(つちのと)・・【己】 金兄(かのえ)・・【庚】、金弟(かのと)・・【辛】 水兄(みずのえ)・・【壬】、水弟(みずのと)・・【癸】 *十二支・・・正北を起點として、時計回りに方位を十二等分し、それを歳に配して各々に獸の名を当てたものです。 子(鼠)・丑(牛)・寅(虎)・卯(兔)・辰(龍)・巳(蛇)・午(馬)・未(羊)・申(猿)酉(雞)・戌(犬)・亥(猪) 因って、干支は、甲子から始まり癸亥に終わるまで、六十有りますので、其れを一回りした次の甲子が、還暦と言うことになります。 甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉・甲戌・乙亥/丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰・辛巳・壬午・癸未・甲申・乙酉・丙戌・丁亥/戊子・己丑・庚寅・辛卯・壬辰・癸巳・甲午・乙未・丙申・丁酉・戊戌・己亥/庚子・辛丑・壬寅・癸卯・甲辰・乙巳・丙午・丁未・戊申・己酉・庚戌・辛亥/壬子・癸丑・甲寅・乙卯・丙辰・丁巳・戊午・己未・庚申・辛酉・壬戌・癸亥/そして再び甲子(還暦) 此の十干十二支の表記は、中國の代表的文獻である、『史記』と『爾雅』とに獨特な表記が記載されています。 *十干(『爾雅』と『史記』は異なる) 甲・・・閼逢(『爾雅』)・焉逢(『史記』)、乙・・・旃蒙(『爾雅』)・端蒙(『史記』) 丙・・・柔兆(『爾雅』)・游兆(『史記』)、丁・・・彊圉(『爾雅』)・疆梧(『史記』) 戊・・・著雍(『爾雅』)・徒維(『史記』)、己・・・屠維(『爾雅』)・祝梨(『史記』) 庚・・・上章(『爾雅』)・商横(『史記』)、辛・・・重光(『爾雅』)・昭陽(『史記』) 壬・・・玄ヨク(『爾雅』)・横艾(『史記』)、癸・・・昭陽(『爾雅』)・上章(『史記』) *十二支(『爾雅』『史記』とも同じ) 子・・・困敦、丑・・・赤奮若、寅・・・攝提格、卯・・・單閼 辰・・・執徐、巳・・・大荒落、午・・・敦牂、未・・・協洽 申・・・涒灘、酉・・・作噩、戌・・・閹茂、亥・・・大淵獻 因って、甲子であれば、『爾雅』表記では「閼逢困敦」となり、『史記』表記では「焉逢困敦」となり、庚寅であれば、 『爾雅』は「上章攝提格」、『史記』は「商横攝提格」と言う具合です。 |