中 國 文 學 科 の沿革簡史

History of Chinology Course

學 院★★大 學★★餘 談

  《中國古典學を對象とした日本で唯一の総合學科

中國文學科》の歴史は、大東文化大學の歴史と軌を一に致します

 何故なら、大東文化大學自體が、衆議院の「漢學振興に關する建議案」に基づき、大正十二年に設置認可され同十三年に開學した、漢學振興と東西文化の融合を目的とする漢學専門學校、所謂「大東文化學院」から始まるからです。

 大正七年の原内閣に於いて木下成太郎氏が「東洋學藝の振興策」を建言し、同十年に「漢學振興に關する建義案」が上程されて満場一致の賛同を得ました。他方、同十二年二月に、この建義案に對する推進團體として民間有識者を中心に國庫補助を受けた財團法人「大東文化協會」が設立されます。その協會規約第一条二項に「大東文化學院を設立維持する」が明記され、更に機關誌『大東文化』の發行や全國各地での講演會等々が行われ、同十二年九月に「大東文化學院」(當時の金額で年額十五萬圓と言う高額な政府補助の國費が、大正十二年から昭和五年まで、七萬圓が昭和六年から同十年まで投入され、因って、學院則第九章第三十七条に、「入學料及び授業料は之を徴収せず」と明記されているが如く、官費給付の官立専門學校として出發しているが、昭和六年からは授業料を徴収)の設立が認可されるのです。

 

大正十三年(1924)一月二十八日

☆大東文化學院開校式(本科三年・高等科三年・研究科一年)

   【學院総長 平沼騏一郎氏の始業式訓示

 

大正十四年(1925)十月

☆學友會「同學」を設立し、會誌『同學』1號を發刊。(〜昭和二年三月、3號まで)

 

昭和三年(1928)

廻瀾社を復活(明治の川田甕江が創設し日下勺水没後は途絶えていた、漢文の文會)し、同人雜誌『廻瀾集』(同人の漢文を集めた雜誌で、1〜15輯)を發行。

☆「同學」を「志道會」に改稱(11月)し、會誌『大東文化』1號を發刊(〜10號まで、以下『日本新論』と改題するも不明)

 

昭和六年(1931)

☆「志道會」研究部より、『詩經一句索引』(昭和6)・『經學門徑」(昭和6)・『經學史」(昭和8)・『論語講義」(昭和10)・『綜合春秋左氏傳索引」(昭和10)等を公刊。

☆別に創設された漢學専攻の「大東文化學院漢學會」の學術雜誌たる學報『大東文化』1號を發刊。(〜昭和十四年一月、20號まで)

 

昭和七年(1932)

本學院の學院旗と學院歌を制定。
 學院歌は、七言絶句
(漢詩壇の重鎮にして本學院教授でもあった國分青拷・の作詩)

 

昭和七年(1932)〜昭和十九年(1944)

☆本學院の在學生・卒業生五十名前後が、諸橋徹次著『大漢和辭典』の編集委員として、語彙カードの制作・分類、原本の加筆・訂正、原稿の清書等々の作業に參畫し、その漢文能力の高さを發揮。(川又武・福田福一郎・山田修次・小川貫道・大島宇一・鵜川茂・池谷忠寛・佐々木新二郎・渡部實一・伊藤弥太郎・川浦玄智・伊阪惠光・大石新太郎・真下保爾・渡部正宜・高辻長吉・池田末利・宮地宗忠・柄沢井・山村敏夫・福地征太郎・森忠清・野間顕範・遠藤喜美治・中村連之輔・西田清・岩田茂・原田種成・石川梅次郎・石塚謙三・真田但馬・津下正章・須羽源一・唐沢勉三・久保繁實・梶原寿夫・河西一雄・原田誠・小泉恒次郎・中村藤四郎・藤田喜三郎・飯沼喜八郎・富樫邦男・丹野巌・青山栄太郎・青山甚吉、等々)

 

昭和十三年(1938)

☆本科を修身漢文科(一部)・國語漢文科(二部)・東亞政經科(三部)に改正。

 

昭和十四年(1939)十一月

「大東文化學院漢學會」學報『大東文化』の休刊を受け、新たに『大東文化學報』第1輯を發刊。(〜昭和十八年、第10輯まで)

 

昭和十九年(1944)

☆學校名を大東文化學院専門學校に、本科修身漢文科(一部)を皇學漢文科に變更

 

昭和二十一年(1946)

本科皇學漢文科(一部)を漢文科に、東亜政經科(三部)政經科に變更

私的獨言・・・己が訓讀力の低さを内省する時、學院時代の諸先輩達に對しては、正に恐懼の念しか持ち得ない。

 

以上が學院(専門學校)時代で、以下が新制大學時代

 

昭和二十二年(1947)

☆戰後の学校教育法制定に基づく學制改革に伴い、専門學校「大東文化學院」の新制大學昇格を圖る。

 

昭和二十三年(1948)

☆新制大學「東京文政大學」設置認定申請を行ふ。

 

昭和二十四年(1949)

☆新制大學「東京文政大學」として改稱再出發。

 

昭和二十五年(1950)

新制大學移行に伴い一學部三専攻(各専攻は學年定員各40名)とし、漢文科を中國文學専攻に變更。(國語漢文科は日本文學専攻に、政經科は政治經濟學専攻に)

 

昭和二十六年(1951)

☆大學名を「文政大學」と改稱。

 

昭和二十八年(1953)

☆大學名を「大東文化大學」とし、法人名を「學校法人大東文化大學」と改稱。

☆専攻を學科に変更、中國文學科(現在名)と改稱。

 

昭和三十年(1955)

☆中國文學専攻科設置。(〜平成30年3月まで)

 

昭和三十二年(1957)九月

☆「漢學會」(「大東文化大學漢學會趣意書」に據れば、學内教員・在學生・在京同窓生有志等を中心として、漢學の振興と學術の深化を目的とした學術機關たらんとして)を設立

 

昭和三十三年(1958)十月

「漢學會」の學術雜誌『漢學會誌』(戰前の「大東文化學院漢學會」の學報『大東文化學報』の復刊を期して)1號を發刊。(〜平成三十一年、58號、繼續中)

   【漢學會會長 高田眞治教授の祝發刊辭

 

昭和三十五年(1960)

☆法人名を「大東文化學園」に改稱

 

昭和三十九年(1964)

☆大學院文学研究科中國學専攻修士課程設置。(至、現在)

 

昭和四十二年(1967)

大學院文学研究科中國學専攻博士課程設置。(至、現在)

私的獨言・・・昭和50年代頃までは、學院時代の殘滓・殘影がまだ若干有った様に思われる。

 

私的獨言・・・平成10年以後は、漢學から中國學へと何か學問の質的變化に翻弄され出した様に思われる。

平成十七年(2005)

中國文學科を中國學科に變更。

 中國學科のカリキュラムを、文・史・哲を中心に、中國語・書道等を含んだ、中國古典學の総合的カリキュラムとした。

 

私的獨言・・・平成20年以後は、大學に於ける中國學の存在意義を模索する時代に入った様に思われる。

平成二十二年(2010)

☆中國學科のカリキュラムを變更。

 分かり易さと基礎學力のアップを目指し、一年時必修の「『論語』基礎」や二年時必修の「中國文學基礎演習」「中國哲學基礎演習」「中國史學基礎演習」「中國語基礎演習」等々、一〜二年時の必修科目を増置。

 

平成二十九年(2017)

中國學科を中國文學科(昭和二十八年以來の舊稱)に名稱變更。

 中國文學科のカリキュラムを、創立以來の漢文讀解を基とした、中國哲學(含、『史通』・『文史通義』等史論文献)と中國文學(含、『十八史略』や『史記』等歴史文獻)中心の内容に變更。
 基礎學力のアップを目指し、一年時必修の「漢文入門
(訓讀技術)」「中國文學基礎演習T(唐詩)」「中國哲學基礎演習T(論語)」や二年時必修の「中國文學基礎演習U(十八史略)」「中國哲學基礎演習U(孟子)」等々、一〜二年時の必修科目内容を明確化し、三年時は文學講讀・哲學講讀・文學講義・哲學講義等をメインとする。

 

平成三十年三月(2018)

☆中國文學専攻科廢止。(中國學の研究は、學部と大學院のみで構成)

私的獨言・・・令和元年以後は、中國學自體の生き殘りを内省する時代に入った様に思われる。

 

 以上が、本學科の簡單な沿革です。一見して分かると思いますが、改革と模索を繰り返しながらも、一貫して變らぬ本學科の基本は、學院創立時より明白に示されています。それは中國古典學の総合學科だと言う事です。一分野(例えば、文學とか思想とか)のみを研究するのではなく、文學(含、歴史文献)・思想(含、歴史文献)は當然の事として、更に藝術(書道を中心に繪畫・陶磁器等)・書誌學(文獻學)・大衆娯樂(武侠映畫等)・中國語及び日本儒學・漢詩文までを、総合的に研究する學科なのです。

 因って、嘗ては學院時代の漢文訓讀力の實力に基づき、「西の京都支那學・東の大東漢學」 と喧傳(「昔談に違ふこと勿かれ、千載に絶ゆること無かれ」と思うのは筆者一人のノスタルジック的感傷でしょうか、・・・)されていた時期も有りました。

 故に敢て言えば、本學科は、

《日本で唯一無比の中國古典総合學科》

です。この中國古典學の総合學科たる本學科の基本理念(漢學の振興)は、學科創立以來の傳統であり、この傳統(中國古典に對する幅廣い知識と漢文訓讀の高度な技術力の獲得)は、將來に向けて更に繼承發展される可きものです。

 尚、上記の如き状況の中で、令和三年(2021)以降も實際に學科の専門(古典的中國關係)科目を擔當し、漢學としての傳統を守りつつ、中國學の苛酷な生き殘りの戰場に立ち續けるのは、六人(哲學二人・文學二人・史學一人・書誌學一人)の中國文學科専任教員と、免許關係科目を擔當する特任教員(教科教職國語關係)助教(教科教職書道關係)の、総計八人の先生方です。

   平成31年初春

                                            於黄虎洞

*上記文章は、『大東文化大五十年史』『同七十年史』等、既に公開されている大學の公的資料の記載内容に基づき、筆者の感慨と傳聞を若干加味して、簡便に纏めたものである。

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(漢籍)

 餘談では有りますが、本學科で學ぶ爲の資料的環境、所謂中國學に關する書籍・文獻に就いて一言付記致しますと、學科付設の資料室には、中國學の基本的圖書である

『四部叢刊』『四部備要』『中國學術名著』『(評点本)二十四史』『(仁壽本)二十六史』『正統道藏』『古今圖書集成』『清代傳記叢刊』『先秦兩漢古籍逐字索引叢刊』『四庫全書薈要』『叢書集成初編〜三編

等々に止まらず、退休後の先生各位から寄贈を受けた

『皇清經解續編』『(殿本)二十五史』等(小嶋先生)

『四部叢刊正・續編』『皇清經解正・續編』『説文解字林』『中國子學名著集成』『學津討源』『津逮秘書』『百子全書』『太平御覧』『玉函山房輯佚書』『和刻本漢籍關係』等(原田先生、高9)

『通志堂經解』『皇清經解正編』等(栗原先生、高20)

『俗文學叢刊』(小川先生)

『全譯二十四史』『全宋文』『藝文類聚』『中國陶瓷全集』『中國出土陶瓷全集』『中國陶瓷器關係圖録』『中國青銅器・玉器關係圖録』等(中林先生、大21)

も資料室に常備され、學生や教員が自由に檢索閲覧出來るようになっています。

 又、本學の圖書館には、本學科と關わりが有った先生方の、漢學の基礎となる古典漢籍の貴重な版本(傳統的装丁である糸綴じ本)や國學に關する資料等が、多數所蔵されており、其の代表的なものは、

 1、市川蔵書(市川任三先生、高17)・・明治から昭和に渉る漢學者の詩文集を中心とした版本(有目録)

 2、寒泉文庫(麓保孝先生)・・思想關係を中心とした版本(明版及び清版の稀購本を多数含む、無目録)

 3、杉村文庫(杉村勇造先生)・・宋・元版の零葉や拓本を含む版本(有目録)

 4、高島蔵書(高島菊次郎氏)・・和漢の書道關係を中心とした拓本や版本(有目録)

 5、前川蔵書(前川研堂先生)・・日中の漢詩文を中心とした版本(有目録)

 6、白木蔵書(白木豊先生、高5)・・清朝・江戸期を中心とした和漢の版本(有目録)

 7、八木沢蔵書(八木沢元先生)・・『遊仙窟』を中心とした文學關係の版本(有目録)

 8、戸田蔵書(戸田浩暁先生、高13)・・『文心雕龍』を中心とした文學關係の版本(有目録)

 9、原田蔵書(原田種成先生、高9)・・『貞観政要』を中心とした思想關係の版本(無目録)

10、大河内文書・・清末文人政治家黄遵憲と舊高崎藩主大河内輝聲との筆談録資料(有目録)

11、佐伯文庫(佐伯梅友先生)・・國語學を中心とした日本古典文學に關する資料(有目録)

等々です。

 亦た上記以外にも、竹田復先生・影山誠一先生(本1)や唐澤勉三先輩(高13)・安生富士先輩(高19)・市村理吉先輩(高25)・工藤誠一先輩(本3)、卒業生の御遺族土屋方彦氏・高木光輪寺(真正)氏等々から寄贈された、多くの漢籍・佛典・國書の版本等も有ります。

 故に、敢て言えば本學の漢籍は、本學で教えられた先生方や學院先輩諸氏からの寄贈書で、其の大半が構成されていると言えるでしょう。

尚、以下に述べる貴重書等の具體的詳細に關しては、【圖書館所蔵貴重書與稀覯本】を御參照下さい。

 先の戰禍で戰前所蔵版本の殆どを焼失した爲、流石に宋・元版(零葉は有る)は有りませんが、其れでも一應明版(本學での貴重書)は、明代末期(1573〜1644)を中心に元刊明修本から明末清初本まで、十一種の宋・元・明版零葉(杉村勇造先生寄贈)や、百種(『稗海』『續百川學海』『漢魏叢書』『津逮秘書』等、明代叢書本を含む)以上の明版が有ります。

 或いは、別置き個人文庫の各蔵書中にも、六十三種の明版・九種の明拓が有り、更に言えば、明末(1644年)以後の清版とは雖も、流傳が極めて少なく稀覯本と言える書籍も多數有ります。

 亦た、朝鮮半島で刻版された、目に優しく美しい花魚尾の、所謂「朝鮮本(大概大型版)としては、八種類ほど有り、或いは、日本で版を起こした和刻本(佛典・國書を含む)ではありますが、1650年代以前の版本としては、五十一種を所蔵しています。亦た、同様に各個人文庫に於いても三十二種の漢籍・佛典・國書が有ります。

 更に言えば、些か時代が降り元禄頃の寫本と推測されますが、書誌學的に稀覯本に措定し得る『奈良繪本うつほ物語』元禄年間寫や、時代は江戸末に過ぎずとは雖も、流傳の少なさから稀覯本と言える、『甘雨亭叢書(56册本弘化2年〜幕末等も有ります。

 尚、これ等の版本は、圖書館に閲覧請求の手續きさえすれば、教員・學生を問わず誰でも見る事が可能です。更には、見るだけでも樂しくなる様な色刷り(朱印本・紅印本・藍印本)・多色刷り(二色套印本・三色套印本・五色套印本)等々の版本も有りますので、版本を取り扱う作法や決まり事を學ぶ上からも、積極的に閲覧して書香を十分に味わって頂きたいと思います。

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【文責、中林】 

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