ギャラリー解説

書画

奥嶺水谷弓夫、行書五絶(近代、AD1848〜1926)

紙本肉筆・・縦137.5cm、横33cm

「奥嶺老人出」の下に、陰刻「水谷弓夫」と陽刻「

谷陰仙?」の落款が押されている。水谷奥嶺は美

濃の人で、名は弓夫、号を奥嶺と称し、漢学を神

谷簡斎に、国学を母方の祖父植松茂岳から学び

、水谷女学校や土岐郡立陶器学校(現、多治見

工業高校)等の設立に尽力した教育者で、同時に

漢詩人としても有名で、岐阜県発行『華山新誌(

明治15・16年)』には、当時の岐阜県下の漢詩

壇を構成した人々として、杉山三郊・神谷簡斎・

辺霞亭小崎利準らと共に、その名が記載されて

いる。


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