ギャラリー解説
書画
我我小崎利準、行書文(近代、AD1838〜1923) |
|
|
|
絹本肉筆・・縦136.6cm、横18.7cm 「明治壬午(15年)六月準」の下に、陰刻「利準 之章」と陽刻「戊辰徴士」の落款が押されてい る。小崎利準は伊勢の人で、名は利準、字は 公平、号を我我・我々陳人などと称し、業を藤 森天山の門に学び、明治元年に美濃笠松県判 事に着任後、5年から19年まで岐阜県令を、1 9年から26年まで岐阜県知事(第3代)を務め 、明治初期の岐阜県政に大きな足跡を残した 政治家であるが、同時に幕末の儒者角田錦江 遊を重ねた漢詩人としても名高く、岐阜県発行 『華山新誌(明治15・16年)』には、当時の岐 阜県下の漢詩壇を構成した人々として、水谷奥 らが記載されている。 |