信号待ち交差点

自己紹介

池田 秋恵 | 2007.10.25

池田 秋恵

 目に見える形でアジアに関わるきっかけとなったのは、大東文化大学国際関係学部への入学が始まりでした。篠田先生との出会いもこの学生時代、篠田ゼミでお世話になったのが始まりです。

 今に比べたらアジアの情報は極端に少なかった時代でしたが、それでも「これからは中国」、中国の経済成長を見込んでそう言われ始めた時期でもありました。父親にも「中国語をやったら?」とアドバイスもらったほどで、「経済」に敏感であれば間違いなく中国語を選択して、一歩間違えればバリバリの商社ウーマンになっていたかもしれません。 

 幸か不幸か経済的にはいつも最小限で満たされた私の興味どころは、「人」や「暮らし」でした。それもとても有機的で生活のにおいのぷんぷんする暮らしや、人間同士の濃いコミュニケーション、そして自然と直結し、生きることに直結した営みを切望していました。

 −畑をやってそこから食べ物をいただいたり、生活に必要な物を何か作ったり。人はそういった事で命を繋ぐはずなのに、多くの人はそれとはあんまり関係ないみたいな「事務所で働く」→金を稼ぐ→食物を入手、そして「生きる」と言うことをしている。そしてその経済活動に振り回されている。なんでそんな複雑で遠回りなことをしなければならないのだろう−

 漠然とでしたがそんな風に思っていました。そしていまだ見ぬアジアに自然と近い、「生きる」に直結した理想の「暮らし」があるに違いないとなんとなく夢見たのでした。

 あれから16年、学生時代はパスポートのページが足りなくなるぐらい旅行しました。卒業後は通訳をしたり、インドの文化の関係の仕事をしました。7年間勤めた日印文化交流の仕事を退職した直後、私の興味のベクトルは日本に向き、こんなにも海外に興味を向けたのは、結局嫌いだった日本を好きになるためであったのではないかという結論に至りました。アジアに、そしてインドに関わることで日本を見つめることが出来るようになりました。アジアを見ることは日本をしることであり、人を見ることは自分を知ることでした。

 アジアには、日本人が忘れかけている自然と共生するための智慧や、生の暮らしがあります。その暮らしは、経済至上主義の世界情勢の中で、貧困と隣り合わせという現状が少なからずあります。しかし、このまま行けば、地球温暖化などの環境破壊、また、環境だけでなく人間自身の心と体の破壊が進むことは明らかです。

 アジアに何を学び、そしてアジアに日本人の経験から何を伝えるかということがとても重要に思えてなりません。

 自己紹介の途中で話がちょっとそれてしまいました。2006年9月〜2007年5月の8ヶ月間、ヒンディー語の更なる研鑚のために(この年になって?!)インド留学をしてきました。

 篠田先生のこのHPでは、この留学の際に見つけたインドの報告や、以前していた日印文化交流の仕事の時の出来事、現在している畑仕事のことなど、支離滅裂な感じで色々お伝えしたいと思っています。どうぞよろしく。

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