信号待ち交差点

一期一会

サリル ワイディヤ | 2010.12.14

 先日、参加者になったつもりでテレビであるクイズ番組を見ていたら、漢字の「一」の文字が二つ入る四字熟語を三つ言ってくださいというような質問がありました。真っ先に頭に浮かんできたのは「一期一会」でした。「一期一会」は私の大好きな言葉の中の一つです。初めてこの言葉を覚えたのは日本語を習いはじめてまだ1年も経たないうちでありましたが、意味だけが何となく心に伝わり、いつの間にか好きな言葉になってしまっていました。当時は、日本人に会っては自分の日本語能力を見せびらかすつもりで、時には無理やりでも、会話の中で一期一会は必ず使ったものです。そうして、「日本語、お上手ですね」と褒めてもらっていました。

 先週から新年の挨拶のメールが殺到し、各人からのメールを読む度に、背景に「一期一会」が有形になって浮かぶのです。つまり、「メールを下さった方は私のことを考えてくれているんだ、人間関係を大事にしたい方なんだ。そして、これがあるのは、相手が一期一会の意味を理解しているからなんだ」と挨拶してきた方との友情と自分の存在そのものがどこかで認められたような、保証されたような気がし、ほっとしたような、嬉しいような気分です。「一生に一度の出会いだと会う人会う人に思い、誠意を持って接する」という意味の「一期一会」は少し大袈裟に言わせて頂ければ人間社会の根本を成しているのではないかと思われます。「いつもこっちが連絡しないかぎりむこうから連絡しないし...」なんて愚痴をこぼすのは人間の利己主義かもしれませんが、この利己主義こそが人間関係を悪くする最大の原因だと云っても過言ではないでしょう。相手からの連絡を待っているよりも自分から進んで第一歩を踏むことが何よりも大事だと思われます。また、例え心の中で納得できてもなかなか行動に移せないことも時々ありますが、そのときこそ「一期一会」を思い出し、考えていることを思いっきり実施してみると意外な成果が生まれたりすることもあります。

 最後に個人的な例を一つ挙げます。10年前に日本語を習い始めてから2年ほど経ったときに「全インド日本語弁論大会」に参加することになりました。大会はニューデリーにあり、デリーから1600キロ余離れている私の地元(プネー)から電車でニューデリーに行くことになりました。先生も保護者として一緒についていました。また、先生の日本人の友達も一緒にいました。デリーまでの27時間が電車の中で一緒に過ごせたおかげで先生の友達とも仲良くなり、彼女が日本に帰った後でも手紙(当時は、メールはまだはやっていませんでした)で文通を続けました。そうして、いつの間にかベストフレンドになってしまい、日本文学など日本の色々な面白いことを紹介してもらいました。相田みつをさんの詩も紹介してもらい、渋いと言われながら、今それにはまっています。現在、日本のある有名なパソコンメーカーで派遣社員として通訳兼営業の仕事をしておりますが、お客様側の上司とその奥さんも相田みつをさんのファンで、8年前に偶然友達になった日本人に紹介してもらった相田みつをさんのおかげで現在お客様ともすっかり仲良し!電車の中で始めて会ったインド人(私)と文通してくれて、そして友達になってくれた上記の日本人もきっと一期一会の意味を理解していた人に相違ないと思いますし、初対面から2週間も経たないうちに東京国際フォーラムにある相田みつを美術館に連れて行ってくれたお客様も一期一会の本当の意味を悟った人間でなければなんでしょう?

そのときの出会いが人生を根底から変えることがある よき出会いを

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