雑文 エスニック・ブームとインド 2/2

「大東文化」1989年5月15日付より

 条件のひとつは、エスニック・ブームの担い手、すなわち都市中産階級の成長である。インドで中産階級層の厚みが増したのは、比較的近年のことである。彼らは、いわば文化を喪失した層であり、外部から絶えず文化的刺激の注入を受けねばならない。

 また国内に素材をみつけることができたのは、国内に複数のコミュニティーが共存し、多様な文化が並存していることのほかに、それらコミュニティー間に少なからぬ社会的・経済的発展格差が存在していることが原因となっている。この点では、インドのエスニック・ブームも、アジア・アフリカ諸国との圧倒的な経済格差を前提とする日本のそれと同じ構造をもっている。相違は、日本には後背地がないのに対し、インドは国内に豊かな後背地をもつ点にある。

 エスニックなる素材の選定に話を戻そう。遊牧民の衣料、部族民の音楽は、インドの都市中産階級が独自に選定したものとはいえないことに注意しておきたい。エスニック・ブームは世界的規模で、ほぼ同時に進行しているはずであり、一国だけを切離して理解するわけにはゆかないのである。事実、世界のファッション界、音楽界の動向は、インドでのエスニックな素材の選定に影響を与えている。

 とはいえ、選定された素材の果たす役割には、社会の独自性が反映している。衣服を例にとろう。遊牧民風の衣服は、おしゃれなファッション服として一股に10〜20歳代の女性に人気がある。これとは別に、ボンベイなどのインド西部の大都会では、北西部からの民族舞踊の流入とともに、遊牧民風衣服への需要が急増している。ガルバと呼ばれる民族舞踊で、向き合った男女が踊りながら手にした一尺ほどのスティックを打ち合わせてゆく。開放的な舞踊で、男女交際のチャンスも大きい。近年、各地でガルバが受容され始めている。ガルバの衣袋は、何といっても遊牧民風でなければキマラないのである。

 以上から明らかなように、インドは自国内に文化的発展のための活力を充分に宿している。この活力源となっているのは、多様なコミュニティーの共存であるとおもわれる。従来ともすると、多様さは問題の多さと同義に捉えられてきたが、その積極面を正当に捉える必要があろう。

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