現地調査報告 清掃人の社会発展に関する展望 1/5

1.本書の位置付け

 カースト(指定カースト)研究史およびバンギー研究史における本書の位置付けを明確にしておこう。序章で明らかにしたように、今世紀におけるカースト研究には2つの大きな節目がある。第1の節目を画するのは独立であり、植民地統治からの解放、インド憲法の発布、司法・行政・立法機構の再編はカースト研究に独立前にはみられなかった新たな研究材料を提供するとともに、研究の気運をも高めた。とりわけ、カースト研究一般のうちに埋没しがちであった不可触民・指定カーストの研究は独立を境に新たな転機を迎えた。第2の節目は70年代に訪れた。制度的変革の社会効果の顕在化、指定カーストを含むコミュニティの政治化と社会運動の展開などの社会変化を背景として、従来のカースト研究の方法論や概念に関する内省が行なわれた。このなかから、非ブラーマン的観点からの歴史研究があらわれるとともに、制度的変革の研究も深化した。歴史研究を核とする学際的研究はその後のサバルタン研究による問題提起を経て、現在におけるカースト研究の主流をなすにいたった。


 「ストライキの成功を祝う清掃労働者の祝賀行進」
 (アムダーヴァード市庁舎内、1991年、アムダーヴァード市自治体職員協会提供)

 (1)制度的変革とモービリティ

 本書の手法は制度的変革の経緯とインパクトの分析を縦糸として、それに集団的および個別的モービリティの分析を織り合わせることにより指定カースト・バンギーの動向把握を試みたことにあり、その問題意識は70年代以降の制度研究および歴史研究と共通するところが多い。

 (イ)制度的変革
 制度的変革の研究は指定カースト研究の重要な一翼を担っており、これ抜きでは指定カーストの動向はもちろんのこと、社会変動の態様も十分には把握できない。指定カーストの社会における位置付けを左右した制度的変革は多様な分野にわたっている。普通選挙制度、土地改革、留保制度、義務教育の導入などを含む広義の司法・立法・行政機構の再編とその社会効果の態様が本書における制度的変革の内容をなすが、情報の公開性や入手可能性に規制され、本書で取り扱うことができたのはそれらの一部に過ぎない。たとえば、制度的変革の受益者に関わる情報は機密扱いとなっており、受益者総数などの当たり障りのない情報しか公開されていない。そのため、別の情報源に依拠して主要な受益カーストを推定するなどの操作が必要となった。代表的なのが留保政策や土地改革の受益者の推定であり、国勢調査年度間における就学構造や就業構造の時系列変化や大規模な世帯調査結果から主要な受益カーストの割り出しを試みた。かような推定は蓋然性の域を出ないものであるが、州レヴェルのマクロな状況における制度的変革の個別集団に対する社会効果を検証するための手立ては他にないのが現状である。また、指定カースト一般について重要な制度的変革であっても、バンギーの社会的発展と密接に関わらない普通選挙制度の導入などについては言及しなかった。もちろん、指定カーストのなかでも人口規模の大きいヴァンカルやチャマールにとっては、普通選挙制度の導入は彼らの政治的発展の重要な契機となった。
 制度的変革の研究における本書の特徴は、地方自治体のレヴェルにおける制度的変革の態様を重点的に分析したことにある。清掃労働者の最大雇用主体である地方自治体における制度的変革の態様が清掃労働者の雇用・労働条件および生活水準を直接的に規定しており、この意味においてバンギーに関わる最も重要な制度的変革は地方自治体のレヴェルで生起したといっても過言ではない。とりわけ、屎尿処理を含む清掃労働者の労働環境は地方自治体における公衆衛生施設の展開と乾式便所に対する条令規制に決定的に依存しており、この分野における地方自治体の動きがバンギー解放の帰趨を実質的に左右した。また、地方自治体の制度的変革に焦点を合わせることにより、中央政府や州政府の「上から」の改革として進行したバンギー解放運動の有効性と限界もより具体的に検証可能となった。シャームラールやパータクのバンギー研究も地方自治体の雇用・労働条件や公衆衛生施設に言及しているが、これらは世帯調査に付随する形でなされており、地方自治体清掃部門の雇用政策の変遷や公衆衛生施設の展開などバンギーの雇用・労働条件を歴史的に規定した諸要因の分析は行なわれていない。

 (ロ)モービリティ
 政治力の獲得は後進的集団の社会発展にとって決定的な重要性をもっている。諸種の制度的変革により創出された就学・就業の機会やその他の特典をどの程度享受できるかは、特定後進集団の政治力と多分に相関しているからである。バンギーの政治的後進性は指定カースト先進集団との発展格差を拡大させる大きな要因となっている。
 内部改革運動は集団の社会発展を阻害する要因を克服し、かつ社会発展に必要な資源を集団として動員するための重要な契機となる。とくに、バンギーの後進性は他の指定カーストのものよりも深刻であり、それだけに内部改革の必要性が大きい。労働組合運動が展開する以前の時期のバンギーについては資料不足から確たることはわからないが、労働組合運動が展開してからは、少なくともグジャラートに関しては労働組合がバンギーの最大の圧力団体として機能した。ただし、労働組合の活動は雇用条件の改善に収斂するものであり、労働条件の改善は雇用条件の改善を損なわない範囲に限定された。一部労働組合は悪習の廃止のために啓蒙活動を行なったが、その目的は飲酒や残飯乞いの廃止などきわめて限定されたものであった。また、大多数の労働組合と同様にバンギーは働きかける対象に過ぎず、バンギー自身による労働組合の組織や内部改革の推進はみられなかった。
 労働組合は集団的モービリティを喚起しなかったけれども、地方自治体における清掃労働者の雇用枠の拡大、雇用条件の改善を通してバンギーの世帯所得を上昇させた。もちろん、労働組合の存否や機能に関する自治体間格差は大きいが、バンギー全体の雇用条件を改善するうえで労働組合の果たした役割は非常に大きい。
 世帯所得は世帯員の就学・就業上のモービリティを制約する最も重要な要因のひとつである。バンギーの世帯所得の水準は指定カースト先進集団の平均世帯所得にひけをとらないにもかかわらず、就学・就業上のモービリティには大きな格差がみられる。バンギーが世帯所得の改善にもかかわらず後進性に捉われ続けている背景にはいくつかの構造的な原因が存在している。私的金融への依存度の高さは所得の恒常的な漏出をもたらし、社会的発展のために動員できる資源を過少なものとしている。清掃労働者の過半数を擁する中央政府、州政府、地方自治体清掃部門の雇用条件は後進的集団にとって魅力あるものとなっているが、清掃労働は一般にこれら諸集団からも忌避されているために、若干の例外はあるにせよ清掃労働は事実上バンギーの独占的労働市場となっている。さらに、補償的雇用制度の展開は「既得権益」の継承を促進し、就学・就業上のモービリティを低位の水準に押し止めている。留保制度の活用も指定カースト先進集団との競争によりきわめて限定されたものとなっている。私企業のみならず政府・自治体においてもバンギーの清掃部門以外での採用は忌避される傾向にある。基本的には実力主義によるものとはいえ、社会的職業規制の存在も否定できない。かように、バンギーの清掃業への固執は一連の構造的な諸要因によりもたらされており、その克服には内部改革のような集団的な運動が必要とされよう。


 「点呼後、持ち場に向かう清掃労働者」
 (デーへガーム市、1991年)

 (2)歴史研究

 本書における歴史研究は国勢調査、地方自治体の労使紛争をめぐる諸裁定、州政府諸部局の通達、屎尿処理人の雇用・労働条件に関わるインド政府・州政府諸報告書などを資料としている。また、資料の間隙を埋めるために、当事者からの聴き取り調査結果も活用した。これらの資料や情報は主に独立後の清掃労働者に関するものであるため、本書における歴史研究は独立以降を主要な対象としている。
 清掃労働者の社会経済状態とりわけ自治体雇用労働者の雇用・労働条件は独立以降大きく改善された。地方自治体の雇用政策の展開、公衆衛生施設の改善、法制の整備、労働組合運動の展開などの他に、バンギー解放運動の推進が清掃労働者の雇用・労働条件の改善に貢献した。とくに、グジャラートにおけるバンギー解放運動の成果は大きく、乾式便所の転換も他の諸州より迅速に進められた。
 独立前を対象とする歴史研究でとくに興味深いのは屎尿処理人の形成と慣行権の問題である。道路清掃人については「実利論」に記述がみられ、少なくとも紀元前後には存在していたことが確認できる。しかし、屎尿処理人がいつどのように形成されたのかについては不明な点が多い。乾式便所の起源はイスラーム王朝の宮廷にあるので、イスラーム統治期に屎尿処理が開始されたものと推測されている。英国統治期に乾式便所は急増し、屎尿処理人の階層が形成された。これとともに北部および西部インドでは屎尿処理の慣行権が発生した。また、固有の清掃人カーストが自生しなかった地域への清掃人カーストの移動が活発化した。西部インドでは屎尿処理人の慣行権は道路清掃の慣行権に包摂される形でバンギーのワタンから発生し、自治体に認知された。屎尿処理の慣行権は屎尿処理サーヴィスの質の低下や下請け制度など諸種の弊害を生み出し、また清掃人カーストの屎尿処理業への参入は彼らの社会的地位を著しく低めた。自治体による慣行権の接収は主に独立後に補償の支払いや自治体清掃部門への雇用吸収を条件に進められた。
 屎尿処理人の形成過程を歴史的に明らかにすることは、カーストおよびカースト体制のダイナミズムを把握するうえでも、また屎尿処理人の形成が近代の産物に過ぎないことを実証するうえでも重要である。資料的な制約が大きいけれども、かような歴史研究はプレーの研究がマハールの社会運動を刺激したように、清掃人カーストの社会変革を刺激する可能性があり、この意味において実践的な重要性をもっているといえよう。


 「改良道具による乾式便所からの屎尿回収作業」
 (ヴィーラムガーム市、1969年、清掃研究所提供)


 「下水道の接続口に汲み取り屎尿を投棄するバキュームカー」
 (アームダヴァード市、1990年)

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