現地調査報告 清掃人の社会発展に関する展望 2/5

2.バンギー解放運動の展望

 本書は1993年度までに入手できた資料に基づき執筆されたが、その後バンギーの解放運動に関連する幾つかの重要な資料が公開された。それらの資料の検討を通して最新の動向を紹介するとともに、バンギー解放運動に対する筆者の展望を示し、本書の締め括りとする。
 中央政府および一部州政府は手による屎尿処理を廃絶するまでに、1950年代以降いくつかの調査委員会を設立した。委員会により調査項目と勧告の内容に若干の相違はあるものの、これら諸委員会の勧告内容は屎尿処理人の雇用・労働条件の改善のみならず、乾式便所転換のための法制の整備と施行を促すものであった。さらに、80年代に入ると国際機関からの援助も強化され、都市部のみならず農村部においても低コスト衛生計画が推進された。地方自治体は乾式便所の転換数と残存数を記録していないために、低コスト衛生計画の実績を正確に評価できないが、少なからぬ州間格差をともないながらもインド全体では乾式便所の転換、屎尿処理人の清掃人としての雇用吸収が一定の進展をみせたことが確認されている(1)。
 1991年に提出されたバスー研究班の報告書は80年代までの成果を踏まえたうえで90年代に向けての指針を示すものであった。その要点は多数残存する乾式便所の廃絶と屎尿処理人の職業転換にあった。これを受け、福祉省( Ministry of Welfare)は同年、第8次5ヵ年計画期(1992-97年)における戦略を確定させるために「屎尿処理人およびその従属人口の解放・更生のための全国計画」(2)(以下、全国計画と略記)を作成した。全国計 画の目的は第8次5ヵ年計画期間内に乾式便所の廃絶と屎尿処理人およびその子弟のの職業転換を完了させることに置かれた。乾式便所の水洗式便所への転換は都市開発省(Ministryof Urban Development)、職業転換は福祉省の管轄のもと推進されることになった(3)。
 全国計画はバスー研究班の報告にしたがい、1989年時点の全インドの屎尿処理人の就業人口を都市部33.3万人、農村部6.7万人の計40.0万人と推定した。屎尿処理人口の約83%は都市部、約17%は農村部に分布しており、女子労働者の比率は農村部で20.6%、都市部で38.1%、全国では35.2%であった。以上は指定カーストに属する屎尿処理人の推定就業人口であり、これに非指定カーストの屎尿処理人口を加えると1991年時点では約50万人になると記されている(4)。全国計画における「屎尿処理人」は「屎尿や汚物を手で除去する不快かつ非人間的な職業に部分的あるいは全面的に従事する就業者」(5)と定義され、 乾式便所からの屎尿の引き抜きに従事しない通常の清掃労働者もこの範疇に含まれることになった。
 職業転換計画の対象は屎尿処理人とその従属人口とされ、非指定カーストの場合も計画の対象とされている。ただし、全国計画の受益者は私的契約による屎尿処理人およびその従属人口と地方自治体に雇用されている屎尿処理人の従属人口に限定され、地方自治体に雇用されている屎尿処理人の更生は自治体の責任とされている。職業転換計画は都市部および農村部双方の屎尿処理人とその従属人口に適用されるが、職業訓練の対象は15-50才 の年令層に限定されている(6)。
 全国計画は屎尿処理人およびその従属人口がどの程度、またどのような職業への転換を希望しているのかを把握するために、計画の潜在的受益者を対象とした簡易調査を緊急に組織し、1992年 6月30日までに調査を終了させるように指示している。基本的な調査項目として、世帯主の姓名と指定カーストかどうかの有無、世帯員の姓名・年令、婚姻の有無、学歴、屎尿処理労働の有無、年収、希望する職業、備考の8つを掲げている(7)。希望する職業についてはあらかじめリストが作成され、報告書に添付されている。そのリストは職業を農業関連セクター、小工業セクター、サーヴィス・セクター、ビジネス・セクターに4分類し、農業関連セクターにはミルク生産や養蚕など10職業、小工業セクターには製粉やパワー・ルームなど16職業、サーヴィス・セクターには自転車修理や裁縫など33職業、ビジネス・セクターには茶屋や家具製造など26職業が配置されている(8)。簡易調査は県を単位として遂行された。県レヴェルの指定カースト・指定部族公社(The Scheduled Castes and Scheduled Tribes Corporations)が結節機関となり潜在的受益者の割り出しを行ない、県事務官(District Officer)や県徴税官(District Collector)などの政府諸機関が協力して調査票への書き込みを行なった。 
 グジャラート州の簡易調査は2県を除き終了しているので、その結果を第1表に掲げる。簡易調査の対象となった屎尿処理人口2万7千人はバスー研究班による1989年時点の推定人口約3万人と近似しており、潜在的受益者割り出しの精度の高かったことを窺わせる。残念なことに、調査人口は性別のみならず、アムダーヴァード県を除き都市部・農村部にも分割されていない。さらに、職業別の訓練希望者数も屎尿処理人口と従属人口に分割されていない。また、訓練を希望しないと回答した人々の内、どの程度が訓練を必要としない職業への転換を希望し、どの程度が職業転換の意志をもたないのかが明示されていない。このように、不備の目立つ統計ではあるが、職業別の訓練希望者数は正確に把握することができる。簡易調査の対象となった 5万8115人のうち、職業訓練を希望するのが 1万5767人、職業訓練を希望しないと回答したのは 4万2348人で、各々調査対象人口の27.1%と72.9%を占めている。職業訓練を希望しないと回答した人々の比率の大きさがやはり気にかかる。職業転換には大きなリスクがともなうので、自治体清掃部門の常雇労働者が職業訓練を希望しない集団の核をなしているものと推測できる。自治体に雇用される清掃労働者の職業転換は自治体の管轄とされているが、自治体は必要数の清掃労働者を維持しなければならないので、これら常雇労働者の職業転換の可能性は小さい。
 全国計画は多種の職業を想定しているが、グジャラート州の簡易調査結果は職業訓練の希望者が特定の職業に集中する傾向を示している。縫製業と運転手(四輪・リキシャ)の2職業のみで職業訓練希望者数の73.3%を占めている。第1表には6職業のみを示したが、原表には18職業が掲載されている。ちなみに、紙幅の都合上掲載を省いたのは、ヴィデオ・写真屋(261人)、タイプ・速記(180人)、自動車修理(154人)、大工(121人)、家具製造(63人)、時計修理(51人)、溶接工(51人)、印刷工(33人)、玩具製造(28人)、ダイヤ加工(27人)、スクリーン印刷(18人)、複写屋(13人)の12職業である。職業訓練の目的は技術者の養成に限定されている。経営者・自営者の養成については後述する。上記職業のうち、女子の希望する職業は縫製業、刺繍業、職工、スクリーン印刷などに限定されているものとおもわれる。希望する職業の分布には少なからぬ地域格差がみられる。
 全国計画は簡易調査結果に基づき、職業訓練を希望する者に対して最寄りの政府・民間の訓練施設で1ヵ月から最大6ヵ月の期間、職業訓練を行なうよう規定している。職業訓練の経費は参加者への月額150ルピー以下の手当てを含め一人当たり月額500ルピーとされている(9)。第2表にみるように、第8次5ヵ年計画期における職業訓練の参加者総数は 35万人、総経費は10億5000万ルピーと見込まれている。総経費は参加者の平均訓練期間を2ヵ月間として算出されている。
 この他に職業訓練を必要としない自営希望者に対しては補助金・融資計画が準備されている。第3表にみるように、融資対象者は5年間で40万人、補助金・融資総額は80億ルピーが見込まれている。この計画は自営希望者に対して最大5万ルピーの補助金・融資を行なうもので、その内訳は事業経費の50%(ただし、最大1万ルピー)を補助金、同経費の15%を年利4%の低利金融(Margin Money)、残余の額を銀行融資で賄うものである。指定カースト開発公社は低利金融の主体となるほかに、事業資産を担保に銀行融資の保証を行なう。補助金・融資総額は平均事業経費を2万ルピーとして算出されている(10)。
 職業訓練と自営希望者に対する補助金は全額中央政府が負担する。低利金融の負担は中央政府が49%、州政府が51%の比率で行なわれる。結局、州政府の負担は 6億1200万ルピーに過ぎず、財源的にも中央政府が主体となる(11)。これまでのバンギー解放計画は州政府の財政負担比率を比較的大きく設定していたために、多くの州政府が計画の実施に消極的になった経緯を踏まえた措置であり、文字通り国家的事業として屎尿処理人の職業転換が推進されることとなった。
 全国計画は職業転換計画の実施機関を中央政府、州政府、県の3層にわたり以下のように規定している。中央政府のレヴェルでは福祉省が結節機関となり、全国における計画の実施に責任を負う。また、計画の実施状況を査定し必要な修正行動をとれるよう中央監視委員会(Central Monitoring Committee)を設立する。同委員会は福祉省書記を議長とし、都市開発、農村開発、労働、教育、銀行、小規模工業を担当する省庁・部局、計画委員会および州政府の代表者により構成され、3ヵ月に一度会合をもつ。さらに、全国指定カースト・指定部族金融開発公社(The National Scheduled Castes and Scheduled Tribes Finance and Development Corporation)は計画の日々の実施に責任をもつと同時に、州レヴェルの同組織と緊密な連携を保つ。州政府のレヴェルでは指定カースト福祉局が都市開発、工業開発、農村開発、労働、技術教育、制度的金融などの諸部局および中央政府と連携をとりつつ、計画の実施に責任を負う。指定カースト福祉局の第1書記を議長とする監視委員会は上記諸部局の他に地方自治体、小規模工業、教育、計画委員会の諸部局の代表者および屎尿処理人と有力銀行の代表各2名により構成される。州レヴェルの指定カースト開発金融公社が計画の主要な実施主体となり、訓練機関の活動を統括する。県レヴェルで計画の実施に責任を負うのは県徴税官である。監視委員会は関連諸部局の他に屎尿処理人代表2名により構成される。州指定カースト開発金融公社の県支配人が計画の日々の実施に責任をもつ。以上の3層の組織の他に、地方自治体あるいは小住区(Mohalla)の屎尿処理人口が 100名をこえる場合には、屎尿処理人代表をまじえて自治体レヴェルの小委員会あるいは小住区委員会が構成され、屎尿処理人の確認や公開討論の開催などの補助活動を行なう(12)。
 全国計画は中央政府、州政府、県レヴェルの3層の諸機関の役割と相互関係を規定し、福祉省を結節機関と位置付けた。しかし、福祉省には屎尿処理人の代表者や有識者が含まれておらず、政策の決定や修正および計画遂行の監視に障害のでることが予想された。既に指定カースト・指定部族に対する諸政策・計画の立案・監視のために「指定カースト・指定部族のための全国委員会」(National Commission for Scheduled Castes and Scheduled Tribes)が設立されていたが、清掃労働者にはこれらに属さない人々も少なからず 含まれているために、別個の法定全国委員会の設立が切望された(13)。この目的のために、1993年 4月22日に同委員会設立のための法案が採択され、「清掃労働者のための全国委員会立法」(The National Commission for Safai Karamcharis Act,1993)が発効した。同立法は清掃労働者を「手で屎尿を運搬する作業に従事する人々」(14)と定義した。狭義の屎尿処理人の他に清掃労働者の大多数は清掃担当地区内に散乱する野糞の処理に従事しており、事実上いかなる形であれ清掃作業に関与する労働者全てが「清掃労働者」の範疇に含まれることになった(15)。同立法は第8次5ヵ年計画期間内に清掃労働者の解放と更生を完了させることを目的として、全国委員会に対して以下の強力な権限を付与した。 (1)中央政府に対して特別行動計画の勧告を行なう権限 (2)計画実施状況の査定と中央・ 州政府に対する連携・実施面の改善を勧告する権限 (3)計画に関連する苦情の調査と計画不履行に対する警告を行なう権限 (4)政府・地方自治体・その他諸機関から計画に関連するいかなる情報をも入手できる権限(16)。また、全国委員会は中央政府と州政府に対して計画の実施状況や障害に関する報告を定期的に行なう義務を負った。
 全国委員会の構成は議長1名、副議長1名、委員5名の計7名で、中央政府が清掃労働者の社会経済発展や福祉に関わってきた有識者のなかから指名することとなった。構成員の少なくとも1名は女子の委員とされた(17)。この規定にしたがい、1994年 8月12日に全国委員会が発足した。7名の構成員のうち議長(Mangi Lal Arya)、副議長(I.P.D.Salappa)を含む5名は指定カーストの出自であり、うち4名は下院議員や州議員の経歴をもつ。全インド清掃労働者コングレス婦人部門代表のマーヤー・デーヴィー(Maya Devi) は唯一の女子委員で、清掃研究所のイーシュワルバーイ・パテールも指定カースト以外の委員のひとりに任命された(18)。
 全国委員会の発足により清掃労働者の解放と更生を第8次5ヵ年計画期間の時限プログラムとして推進する体制が整った。全国計画に盛り込まれたプログラムは、これまでのバンギー解放計画よりも中央政府の主導性の強いものとなっている。バンギー解放計画に対する州政府の対応に大きな州間格差がみられ、それが州や自治体における法制の整備、乾式便所の転換、清掃労働者の雇用・労働条件の改善における州間格差を形成する主要な要因となっていた。中央政府主導型の今回のプログラムは、これらの州間格差を確実に縮小させるものとおもわれる。また、職業転換への力点の推移は清掃労働者の社会経済発展にとってきわめて積極的な意義を有している。このように、全国計画から多大な成果が期待できる反面、計画の概要や実現可能性について疑問におもう点も少なくない。全国計画の展望に関わる主要な疑問点を以下で検討してみよう。
 第1に、記録の維持について。正確な記録の維持は過去のバンギー解放運動の実績評価のみならず、全国計画における目標設定にとっても不可欠である。しかし、乾式便所の転換数と残存数、屎尿処理人口や清掃労働人口などバンギー解放運動と密接に関わる情報の精度は低い。地方自治体はこれらの情報の収集と記録の維持に概して無関心である。このようななか、州政府の関連部局や一部民間団体による推計値が公式の記録として一人歩きしている(19)。国勢調査は指定カーストの屎尿処理人口を編纂しているが、これは狭義の屎尿処理人口と清掃労働人口を包摂するもので、両者の分割は行なわれていない。このため、初期のバンギー解放運動の対象とされた狭義の屎尿処理人の人口も正確に把握されることはなかった。全国計画は簡易調査に触れてはいるが、基本的な情報の収集と記録の維持・管理についてはなんのプランも示していない。地方自治体を末端の情報収集および記録主体として組織することが、全国計画の施行と監視の効率を高めるために必要とされている。


 「汲み取り用タンカーを牽引するトラクター」
 (アムダーヴァード市近郊農村、1991年)

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