雑文 インドの紅茶 2/4

 ポット・ティーは外国人や中産階級の一部にとって馴染みやすい紅茶の飲み方であるが、一般大衆に広く受け入れられているわけではない。庶民が日常的に愛飲するのは、茶葉をミルクや砂糖とともに煮込み、それにショウガやカルダモン、ティー・マサーラーなどの香辛料を加えた紅茶である。これがインドにおける代表的な紅茶の飲み方となっている。紅茶の習慣がインドに定着する過程で、庶民は煮込んで紅茶をつくるようになった。ポット・ティー用の茶葉と煮込み用の茶葉ははっきりと区別されている。煮込み用の茶葉は極端に短く、あるいは球形をしているといった方が正確かもしれない。みるからにくず茶然としている。植民地統治のもとで、品質の良いのはイギリス本国に送られ、くず茶が国内用に使用されたためであろうか。

 ポット・ティーはホテルや高級レストランに行かなければ飲めないが、庶民の紅茶の場合は茶屋に事欠かない。茶屋はタバコ屋とともにインドにおける代表的なインフォーマル部門をなしており、人の集まりそうなところには必ず茶屋がある。大都市であれば1〜2分も歩けば茶屋に出くわす。地域により料金は異なるが、茶一杯で1〜1.5ルピー(1ルピーは約3円)が現在の相場である。ホテルの紅茶はポット当たり20〜30ルピーはとられるので、それに比べると随分と安い。安いだけではない。ポット・ティーには紅茶とミルクと砂糖をムリヤリ混ぜ合わしたようなよそよそしさと冷たさを感じるのに対して、庶民の紅茶には煮込む過程でこれら3要素がしっかりと結合されているせいか、あたかも火神アグニーによりシヴァ、ヴィシュヌ、ブラーフマーの3神が一体化したかのような安定感・統一感を感じる。庶民の紅茶には神が宿っていると感じるのは筆者だけであろうか。

 庶民の紅茶に病み付きとなってしまうのには、もうひとつ理由がある。紅茶はコーヒー、酒、タバコ、諸種の麻薬とともに、代表的なイントキシカント(麻薬性があり常習効果をもつ物質)のひとつだと考えられている。常習効果は確かにあり、何らかの理由で一定時・一定量の紅茶がとれなくなるとイライラが極度に昂進したり、体調さえ崩してしまう場面を何度かみたことがある。ショウガや香辛料の添加は刺激性と常習性をさらに強めている。ジャイナ教徒やヒンドゥー教徒の一部には、麻薬性の物質を忌避する哲学があり、この関連で紅茶を飲まない人々がいる。インド独立の父と呼ばれるM.K.ガーンディーもそのひとりで、紅茶やタバコを飲まなかった。「タバコなしでは睡魔が襲い仕事ができない」との多忙なる商人からの相談に対して、「睡魔が襲ったら眠ればよい。起きてからまた仕事をしなさい」とガーンディーが回答した話は有名である。

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