雑文 インドの紅茶 3/4

 紅茶の思い出は多い。初めてインドを訪ねたのは1979年のこと、約半年間貧乏旅行者としてインドの主だった都市を巡った。カルカッタから入国し、北インドは列車で移動、それから南インドを主にバスでみてまわり、最後はボンベイから出国した。カルカッタは雨期の真最中、雨に打たれた体を温めるため、日に何度も紅茶を飲んだ。当時は素焼きのカップもよく使われていた。飲み終えた後、投げ捨てるものとは知らず、はじめのうちはカップを茶屋に返していたが、すぐにインド人と同様にカップを路上に叩きつけるのがえもいわれぬ快感となった。数本の支柱に板や布をかけただけの茶屋には容赦なく雨が吹き込んでくる。雨滴の滴れ込むカップを片手に霞んでみえる人々の往来をぼんやりとながめることもしばしばであった。

 衣食住や移動などに限られてはいたが、庶民のやり方をできるだけ模倣してみようという欲求が強かった。金欠であったこともあるが、市内の移動は徒歩と路線バス、宿は最低料金のドミトリィー、食事は大衆食堂でとった。どうしてもリクシャーを使わざるをえない時など敗北感に似た感情さえ込み上げてきた。茶の飲み方にしても同様で、茶屋ではインド人と同様に、まず差し出される水を飲んでから茶に手を付けた。真偽のほどはわからないが、茶の後で水を飲むと歯を悪くするというようなことをたびたび耳にした。インドでは水事情が一般に悪いこともあり、飲料水はそれだけでご馳走である。とくに炎天下の労働にいそしむ人々にとって、茶屋は特別の重要性をもっている。喉をごくごくいわせながら飲料水を腹一杯に詰め、気分を新鮮にしてから、こってりとしたミルク・ティーを味わう。それから、仕事に戻るまでの間うまそうにビーディー(安タバコ)を燻らす。風体の異なる多様な人々と場を共有するのが楽しいこともあり、日に10回は茶屋に立ち寄ることとなった。その都度筆者も水を飲んでいたが、乾期のワーラーナシーで遂に痛い目にあうことになった。沐浴場を眼下に眺めおろせる茶屋で暫らく過ごした。飲料水は地面に半分ほど埋め込まれた瓶にたくわえられ淀んでいた。投宿先に戻ると突如腹が鳴り、下半身が熱くなった。何が起こっているのかを理解するのに数秒を要した。ほとばしり出る水便でパンツが膨らみ、それから、内股づたいに妙に生暖かいそれが垂れ落ちてきた。水便は初めての経験であった。制御不能の事態にショックを受け、暫らく虚脱感に捉われていた。病院では擬似赤痢と診断され、快復するまで1ヵ月近くを要した。それ以降、当たり前のことではあるが、茶屋の飲料水には随分と注意するようになった。

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