雑文 インドの都市交通機関 2/5
2.使用交通機関の階級差
(1)スクーター・乗用車
インドでは1970年代以降に中産階級の層が厚くなった。70年代における中産階級の夢はスクーターをもつことであった。当時、2輪車の主流は排気量150CCのスクーターであった。車体は日本の原付きスクーターよりもはるかに大きく、後部シートのほかに、前部シートとハンドルの間に子供を1〜2名立たせて運転することもできた(もちろん、法規違反であるが交通警官がとがめることはほとんどなかった)。スクーターは高価であり、公務員4級の初任給(月給)の半年分ほどの価格であった。スクーターを持てない人々は、排気量50CC以下の原付きを求めた。80年代に入ると、2輪車産業における合弁化が進み、ホンダ、ヤマハ、スズキなどのオートバイが市場に出るようになった(ただし、日本で発売されるモデルに比べるとずいぶんと旧式)。また、それまでのバジャージやウェスパなどの古典的モデルにかわって、軽量で操作性に優れた新しいモデルが多数出回るようになった。急増する女性運転者に標準を合わせた競走が激化した。新聞・雑誌に「女性とモ−ビリティー」の特集記事が載るようになった。「都市部におけるスクーター、農村部における自転車の普及が女性の移動性・機動性(モ−ビリティー)を高めている」云々。確かに、行きたいところに移動できる力の獲得は、物理的移動だけではなく、精神面での活力を増進させたであろう。この頃になると青少年の2輪車使用が急増し、数台のスクーター、オートバイを備える家庭が増えた。
自動車産業にも大きな変化が訪れた。日印合弁企業のマルティ・スズキの800CCモデルが80年代後半に市場に参入するやいなや、それまで数十年の間モデル・チェンジなしで市場を独占してきた国産車アンバサダ−を駆逐し、乗用車部門でのシュア−を大きく伸ばした。軽量で燃費の優れたマルティはシティー・カーとして都市中産階級に受け入れられることになった。こうして、90年代に入ると乗用車より具体的にいうとマルティをもつことが中産階級のステータス・シンボルとなった。この時点で、冷蔵庫、オーディオ一式(カラーテレビとビデオ)はすでに都市中産階級に不可欠な用品を構成していた。当初、乗用車は中産階級にとって高価であったが、90年代には自動車メーカー間での競走が激化するとともに公務員賃金の大幅な改訂がみられ、乗用車は中産階級の間で普及した。ダウリ−(女性側から男性側に支払われる結婚持参金)としてスクーターや乗用車の求められることもしばしば生じた。通勤・通学への乗用車や2輪車の使用は、中産階級の間ではかなり一般化している。
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