〜《伯泉齋的プ ロ フ ィ ー ル》〜

My(Hakusensai) Profile


中 林 史 朗 (NAKABAYASHI SHIROU)

室 號・・黄虎洞

雅 號・・伯泉齋

生誕年・・歳星在庚寅(五黄之寅)

家廟地・・島根県(安來市伯太町)

避塵地・・蜂大珈琲(臺北市西門町)

座右銘・・接人以春風律己以秋霜、在私有情在公無情


【専門分野】
漢文訓讀技術(本音・・讀み屋の現役職人でありたい、十代の手習い)
中國古代中世文化史(建前・・學者の末席を汚す關係上、二十代の手習い)
中國古代中世四川地方史(建前・・學者の末席を汚す關係上、二十代の手習い)
中國書誌學・版本史(趣味・・禄を食む立場上、三十代の手習い)
日本漢文學史(趣味・・禄を食む立場上三十代の手習い)
中國文化史陶磁器青銅器玉器(趣味・・禄を食む立場上、四十代の手習い)
中國武侠小説・映畫史(趣味・・禄を食む立場上、四十代の手習い)

【代表的業績】
諸葛孔明語録』(單著、明徳出版社)
華陽國志』(單著、明徳出版社)
後漢紀』(共著、明徳出版社)
三國志研究要覽』(共著、新人物往来社)
商卜文集聯』(共著、省心書房)
注定付之事の研究』(共著、東洋研究所)
高麗史、暦志の研究』(共著、東洋研究所)
藝文類聚訓讀付索引卷1〜16・80〜83』20冊(共著、東洋研究所)
近出殷周秦漢金文収録第一録』(共編著、人文科學研究所)
中國博物館〜100館の収蔵物に見る文化とその歴史〜DVD26枚、全102話・解説集一冊総監修ポニーキャニオン
など(詳細は「
拙書・拙文一覧」を)


履(從小學校至現在)歴

京都石清水八幡宮の別宮として、平安時代に出雲郷安田莊の鎮守たるべく設置された、出雲八舎二位安田八幡宮の神官の家に、三十五代目として生を受け、家學として六歳より漢文の訓讀や日本の古典を教わったが、嘗て先大父が中國で仕事をし、先考が臺湾で教鞭を執っていた關係上、所謂中國的世界には、何ら抵抗無く入っていった。大學入學後は漢文訓讀の大家故原田種成博士より二十年以上に亘って直接訓導を受け、現在に至っている。

大學に在っては、漢文訓讀の故原田種成博士は言うに及ばず、中國禮學を故影山誠一博士、中國古代宗教學を故池田末利博士、中國哲學を栗原圭介博士、金文學を進藤英幸教授、先秦諸子學を原孝治・岡田脩の両教授、四書を倉田信靖・萩庭勇の両教授、先秦文學を故小嶋政雄教授、古典文學を故竹田復教授、文言小説を内山知也博士、中國戯曲を故八木澤元博士、漢詩作法を故石川梅次郎先生、中國音韻學を故河野六郎博士、中國文字學を故中沢希男先生、中國現代文學を飯田吉郎先生、中國史を故中嶋敏教授、中國文物美術史を故杉村勇造教授、中國語を故井上隆一教授、日本漢學を故猪口篤志教授、日本文化史を故高橋梵仙博士、日中比較文學を故藤野岩友博士、日本中古文學を須田哲夫教授、日本近世文學を萩原恭男教授、國語學を故佐伯梅友博士、日本言語學を鈴木康之教授、文章表現法を市井外喜子教授等各々斯界を代表する先生方より懇切丁寧に御教授賜わり、色々學べども何一つ物に成らず、誠に役立たずの不肖の學徒である。將に「雖師賢也而弟子不必賢也」の具體的見本以外の何者でもない。

以來、畏友大橋修一氏(埼玉大教授)・鈴木晴彦氏(日大教授)・澤田雅弘氏(大東大教授)らに引っ張られ、興味の赴くままあれやこれやと首を突っ込み、「知一則飽二」と言う氣ままな放蕩三昧の遊學を繰り返し、「書」は書かざれども「書」を語ると言う、身の程を辨えぬ愚かさもなんのその、ひたすら輕薄雜多な知識といかがわしい古玩とを賣り物にして、口糊をしのぐえせ文人學徒に成り果て、世の白眼視を浴びつつも今や居直りと矜持だけを頼りに、こそこそと世渡りする昨今である。知識は有れども學才は無く、古書・古物は有れども鑑識眼は無く、「無學而有識且無眼而有物」をモットーに學者の末席を汚しながら、辛うじて何とか大學なる館に生息している。

しかし、最近は己の輕薄さ(平成9年10月日本テレビ放映「明石家さんまの世にも不思議な名前物語パート3・曹操の項」に、劉 備及び司 馬 師の二役で出演や、平成16年6月フジテレビ放映「トレビアの泉」・平成21年3月朝日テレビ放映「就活のムスメ(学内通行人役)」)が學生諸君に見抜かれたらしく、冷たい視線(バカ・みっともない・大學の恥さらし・テレビに出るより勉強しろ等)を浴びる日々で、肩身の狭い辛い昨今である。だが何如にいい加減であっても、筋目の通らぬ事は大嫌いである。

例え如何に無粋・野暮・武骨・浮浪・阿惚であっても、物事の筋目だけは、何時でも何處までも、通し續けて行こうと思っている。

高天の原に神留り坐す、皇親漏岐・神漏美の命以ちて、八百萬神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて、我が皇御孫命は、豐葦原水穂國を、安國と平けく知ろし食せと、事依さし奉りき、此く依さし奉りし國中に、荒振る神等をば、神問はしに問はし賜ひ、神掃ひに掃ひ賜ひて、天つ祝詞の太祝詞事を宣れ、此く宣らば、學徒惟増え惟榮へ、罪と言ふ罪は在らじと、祓へ給ひ清め給ふ事を、天つ神國つ神八百神等共に、聞こし食せと白す。

新世紀(21C)に入り、半生を前世紀(20C)に過ごした男の餘生は、哀しく且つ辛い。「人生五十年、下天のうちを・・」と言えば、殘年は將に夢幻の泡沫に過ぎず。後は何時・如何に散るかが問われているだけである。然らば縱令へ白眼を受くと雖も、己が信ずる道を棺桶担いで突き進むだけである。

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以下悲哀的寫真館

(人とはかくも變わるものである)

《六十路前、氣分は蒼き狼ならぬ灰色の駄馬。板橋校舎に於て》

落日の草原を疾駆し、馬頭琴の調べが風に乗って聞こえて來る、などと言うことは決して有りません。でも氣分だけは、「夕陽と拳銃」の世界でありまする。


《五十路後半、蟇に曳かれて。北京孔廟に於て》

腹が出た老年には、蟇にでも曳かれない限りは、こんな遠くまでやって来られない。これも孔子様のお導きであろうか、でも、こんな写真が撮れるんだから、結構孔廟も荒壊している。「萬世師表」が泣いている。


《悪友と、互いに語る、後何年と。某喫茶店に於て》

昔はよ、共に悪さもした、共に修羅場も潜った、共に矢彈も受けた、でも今じゃ、俺はデブった、お前は薄くなった、珈琲の渋味が腹に滲みるなんて、ヘッ、人生セピア色も捨てたもんじゃねえなー、オイ、二人の間はハートフル。


《寢る子は育つ、されど惰眠の中年は太る。廊下に於て》

詩聖曰く「春眠曉を覺へず處處啼鳥を聞く」と、愚謂へらく「春眠漏を覺へず處處始鈴を聞く」と。新學期開始、枕も布団も有るでよ−、眠いにゃあ−。


《五十路半、壺に嵌った悪徳骨董商に轉職か。新研究室に於て》

「色に出にけり」とは、この事であろうか、良からぬ事を考えている嫌らしさが、垂れ下がった目尻に漂っている。ムフフフフ・・・


《宮仕へ、引っ越しも、ゴミの整理も、ギャラの内。舊研究室廊下に於て》

真夏の肉體勞働で體重減を圖るが、勞多くして功少なしの典型である、かくもやる事は、常に思いつきのいい加減。


《學生も辛いが教師も辛い、雨滴櫻蘂春寂寥。東松山校舎に於て》

黒のスーツに赤ネクタイ、銜え煙草にビニール傘、痩せていれば様になる、デブではただの阿惚である。目指せ體重75Kg。


《五十路前半、體重再80kg時代。研究室に於て》

スリム化の成功も一瞬、体重は再増加、反比例で脳の回轉は減退、このアホ・間抜け面をご覧あれ、老いると言う事は、こういう事か・・・・・悲哉!哀哉!。


《五十路、體重77kg時代。大學の廊下に於て》

一應ダイエットに成功、一寸體重減、喜び遊び回って顰蹙を買う、氣分はすっかり楚留香、嗚呼、我が學問は既に終わりぬ・・・・・・・?。


《五十路目前、體重80kg強時代。ジョナサンに於て》

20世紀の終わりと共に五十路、ちょっと黄昏て疲れ果てたが所詮人生は夢現の五十年、後は「所詮前世紀の男よ」と好き勝手に己が道を生きるまで。


《四十代後半、體重80kg時代。舊研究室に於て》

十年前、洋服を着るのは諦めた、デブは所詮デブ、悟ったと言うべきか、殆ど居直った境地に達している。幼時に振り回し竹を斬って刃こぼれさせ、研いだため少し刀身が細くなった、名刀和泉守兼定(11代安政兼定、2尺2寸5分・反り6分)を手入れしながら。


《四十代中間、體重76kg時代。漢學會大會に於て》

十一年前は、既にズボンのホックもジャケットのボタンも止められず、上に中國服をはおり何とかごまかしている。


《四十代前半、體重73kg時代。臺湾故宮博物院に於て》

十五年前は、それでもまだまだ洋服なるものが一應着こなせた、故に何處かちょっぴりカメラを意識している。


《三十代後半、體重68kg時代。京都に於て》

二十年前は、まだジーパンがはけた、學生と混ざっていても、見分けは付けにくい、と本人だけが勝手に思っている。


《三十代中間、體重65kg時代。某レセプション會場に於て》

嘗てはこんな時代(黒服が似合う)も有ったが、既に遠い遠い夢物語と成り果て、タキシードには黴が生えている。樂しくもあり哀しくもあり。


《三十代前半、體重63kg時代。短大に於て》

昔から軟弱(事勿れ主義)であった譯では決してない、若い時は一應それなりに侠(男)氣をもって對應(実際行動)していた時代も有ったのだが・・・。


《二十代後半、體重60kg時代。臺灣の某所に於て》

先が何も見えない頃であったが、なぜか青春を謳歌して遊びまくり、不思議と樂天的生活に浸っていた。髪の長さとワイドカラーの衿が時代を感じさせる。


《二十代中間、體重57kg時代。下宿の四畳半部屋に於て》

都會慣れした自堕落な生活から這い上がり、ただ勉彊こそが一番と愚かにも思いこんでいた頃。生意氣にもワインなんぞを飲みながら版本を讀んでいる。


《十代後半、體重55kg時代。東京の寫真館に於て》

大學入學時、雲州の果てから純真無垢な青雲の志に燃えて上京、疑うことを知らぬ初出しの真面目な好青年であったが・・・。

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