《概略的流れ》

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文字資料の変遷映像資料の変遷

文字資料の変遷

 武侠小説の起源を一体何に求めるべきかと言う問題は、なかなか困難な問題である。単に武器の話しや武人の行動を記録したと言う点から言えば、『荘子』「説剣篇」『史記』「刺客列伝」及び「游侠列伝」にまで遡行出来るし、剣やそれに纏わる復讐話しと言えば、六朝志怪小説の『搜神記』や『幽明録』の中にも存在する。また武術に優れた個人の活躍と言う点から見れば、唐代伝奇小説の『聶陰娘』『崑崙奴』などがそれであり、更に複数の人物が強固な義侠心で結ばれて卓越した武術を示すと言う点から見れば、言うまでもなく明代の長編小説である『三國志演義』『水滸傳』と言う事になるが、主に武器や武術及び仇討ち等に関する話が多く、とても武侠小説と言える程の體を成してはいない。則ち、現在の如き武侠小説の素案と言う事になれば、やはり清朝末の武術や恋愛等の娯楽性よりも、儒教道徳を背景として「侠」や「義」に重点を置いた侠義小説により近い原形を見る事になる。清末侠義小説(公案小説を含む)の数は二〇〇種以上になるが、小説のレベルとして挙げ得るのは、僅かに文康『児女英雄伝』石玉混『三侠五義』の二点に過ぎず、中には当時の著名な文人である林雲銘・袁枚・王士禎・兪エツなどの名を作者として冠した物も有るが、果たして彼等が本当に作品を執筆したか否かは甚だ疑わしく、中には書肆の「売らんかな」に因る勝手な著名人名の無断借用的(清末に在っては経書においても多々見受けられる、況や大衆小説ともなれば、なおさらであろう)なものが多分に有り、内容的にも殆ど先の二点の亜流か単なる読み物に過ぎない。(尚、歴代の詳細については、清朝以前を参照)

 『清末の中国小説』を書いた阿英は、この分野に触れる事は殆ど無く、『中国小説史略』の著者魯迅も、その中で「清の侠義小説及公案」の一項目を建ててはいるが、やはり『児女英雄伝』『三侠五義』とを取り上げ、僅かに付随的に『三侠五義』の重編である『七侠五義』及びその続編である『小五義』『續小五義』に言及するに止まっているし、このジャンルだけを対象とした最近の『侠義公案小説史』(曹亦冰)等は別であるが、通史的且つ概説的な『清代小説史』(張俊)『晩清小説史』(欧陽健)でも、『七剣十三侠』『児女英雄伝』『三侠五義』『彭公案』等を論ずるに過ぎない。しかし逆にこの事は、この二点が小説乃至は文学作品として他の作品と隔絶したレベルを持っていた事を示唆しているのであり、更に言えばこの二点が、読者の視点に堪え得るだけの作品内容を持つものであった事は、これらがそれぞれTVドラマの原作として使用されている点からも十分に判断される。『児女英雄伝』は、女主人公が苦労して親の敵を討ち、目的を達した後は優しい賢婦人に変わり夫に従うと言う話しであるが、これはTV題「十三妹」として香港で放映され、また『三侠五義』は、包姓なる裁判官を三人の侠客と五人の義士が陰に陽に助けて活躍する話しであるが、これもTV題「包青天」として台湾で放映され、共に一世を風靡した作品である。ただレベル的にはこの二点に及ばないものの、裁判官が主人公として活躍すると言う点では、『三侠五義』の先行作品として『施公案』『彭公案』が挙げられるであろうし、侠客と女主人公の活躍と言う点では、『児女英雄伝』の先行作品として『緑牡丹全伝』が挙げられる。また現代の梁羽生・古龍等に影響を与えたとされる民国初期の作家李壽民の奇抜な世界に、何らかの影響をもたらしたであろうと思われる作品が唐芸洲『七剣十三侠』である。(尚、清朝時期の詳細については、清朝時代を参照)

 民国時期に至ると、ジャンルの多様性や娯楽性が加わり、作家の個性がわりと表れやすくなる。十大作家(朱貞木・向ト然・鄭証因・煥亭・宮白羽・文公直・王度廬・姚民哀・李寿民・顧明道)を中心として多数の個性的作家が登場して多種多様な作品を制作するが、現代作家(梁羽生・古龍・金庸・温瑞安等)に絶大な影響を与えたと言う点では、『蜀山剣侠伝』の作者還珠樓主こと李壽民が第一人者であり、その後に続くのが、鄭証因・朱貞木・宮白羽等であろう。また中には張春帆の如き、清末に人情小説(『九尾龜』)作家として出発しながらも、民国に至ると武侠小説(『紫蘭女侠』等)作家に転向して活躍する者もいる。(尚、十大作家の詳細については、民国初期時代を参照)

 現代作家に関しては、義や侠の要素がやや薄れ、武功自体の競演に重点が置かれ、新たな武技の創出や濃厚な男女間の愛憎が加味されたため、内容がより視覚的且つ刺激的となる。また何と言っても忘れてならないのが、梁羽生・古龍・金庸の御三家の登場であり、まさにこの御三家を以て論じ尽くす感が有り、確かに一九五〇年代末から一九六〇年代にかけて台湾在住の臥龍生・上官鼎・伴霞樓主等が結構面白いものを書き、多数の作家が可なり意欲的に創作活動をしているにも拘らず、未だ彼等御三家を作質やスケールの大きさ及びシチュエイションの面白さ等において凌駕する作家が現れないのは、逆に御三家の凄さを物語るものでもある。現在御三家の中で、古龍金庸の作品は日本で翻訳されているが、梁羽生の作品だけは未だ翻訳されていない。また彼等に近いレベルの作家として温瑞安倪匡の二人が活躍しているが、倪匡の場合は、作家と言うより武侠小説批評家としての活動の方が目立っている。いみじくもこの事は、単なる娯楽の読み物であった武侠小説が、質的にも量的にも批評の対象となり得る一ジャンルを形成するに至った事を示唆していると言えよう。この他には、毛色の変わった作家として、純文学乃至は散文(『郷思井』)の方向に転換して米国に居を移した司馬中原がいるが、彼も台湾在住時代は武侠小説を書き、『郷野伝説』シリーズとして結構面白いものを発表しているし、蕭玉寒も風水を絡ませた風水武侠とでも言うべき独自な世界を展開している。またこの時期は、映像メデイアとの結合が顕著になり、多数の作品が映像化されてより娯楽性を強めている。小説作家でありながら映像作家(脚本家)を兼ねている代表的な例が、台湾で活躍していた古龍と現在も香港で活動中の倪匡とであり、新聞記者から作家に転じた代表者が金庸梁羽生とである。(尚、御三家の詳細については、1950年以後を参照)

 尚、大陸の作家に関しては、武侠小説の復活から僅か十年強に過ぎず、作者も作品も香港・台湾地区に比べて未だ量的に少なく、全体として論議の対象にするには、いま暫くの時間が必要であるように思われる。しかし、その復活の速さたるや極めて速く、あたかも塞き止められていた大衆娯楽への渇望が、一気に関を切って流れ出した感を与える。則ち、一作家に因る多量な制作こそ見られないものの、一九八〇年以後に出現した作家は百人以上、出版された作品数も百種以上にのぼり、武侠小説に対する論評や研究も五十点強が数えられる。その理由は、香港・台湾地区における武侠小説の流行発展、情報網の発達に伴う香港・台湾地区作品の大陸への逆流入、解放政策に伴う大陸社会自体の自由化等に起因する。彼等の活動は一九八〇年以後から活発化して来るが、それは単に作品数の増加と言う量的問題だけではなく、大学の紀要等に論文を発表し、徐々に学問研究の対象にし出すと言う質的変化が見られることである。大陸におけるこの様な傾向が、結果として論議を巻き起こしたものの、一九九四年に海南出版から出された北京大学教授等編『二十世紀中国文学大師文庫』シリーズの小説部門において、魯迅・沈従文・巴金に次ぐ第四位の序列(老舎・郁達夫・王蒙・張愛玲・賈平凹の前)と北京大学名誉教授の称号を金庸が獲得するに至ったものと思われる。必要以上に何かにつけて序列を重んじる現代中国に在って、金庸が獲得した第四位の意味は、今まで大衆娯楽作品としか見られてこなかった武侠小説を考える上で極めて重く、象徴的な出来事であったとも言えよう。ただこの事は、金庸がもともとジャーナリスト出身の作家であり、現在香港文化界の重鎮であると言う、彼の経歴とポジション及び北京大学教授等編の『文庫』で第四位の序列を獲得した点等々を勘案した時、純粋に金庸の武侠小説に対する文学的評価と判断すべきか、或いは一九九七年七月の香港返還と言う大政治的イベントを視野に入れた香港文化界に対するある種の工作、つまり中国文化界の政治的営為の一環と判断すべきか、文化大革命から天安門事件までをリアルタイムで垣間見た筆者には、軽々しく結論を下す事が出来ず、今少しの時間が必要である。(尚、大陸地区の詳細については、中国大陸の状況を参照)

 しかしながらいづれにしても、日本でもこの事を契機として、今まで一部の人々にしか知られていなかった武侠小説が、専門家の監修の下で陸續として翻訳出版され出して来たのである。だからと言って、現状のままの武侠小説が中国文学の一ジャンルとして学問研究の対象となり得るのかと言えば、答えは否である。何となれば社会文化乃至は大衆娯楽文化の研究対象とはなり得るであろうが、文学研究としては、あまりにも多様であり雑多であり、テキスト等々についても未整理の部分が多過ぎ、未だ読み物的世界或いは趣味的世界を脱しきれていないと言えよう。しかし、作品の質的且つ量的側面に於て武侠小説が現代中国文学の一分野を、更にそれを原作とする映像世界に於て大衆娯楽の一分野を、それぞれ形成している事は明白な現実でもある。尚、1998年5月28・29日の両日に渉って、台湾の国家図書館会議場で「中国武侠小説国際学術討論会」が開催され、日本からも早稲田大学の岡崎由美氏が参加され、活発な論議が行われたようであるが、その成果を公刊したものが、淡江大學主編『縦横武林』(学生書局)である。(尚、研究状況の詳細については、武侠小説に関する研究書等を参照)

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映像資料の変遷

この絵は1967年に香港で公開された「神剣

震江湖」(徐増宏監督)のビデオパッケージ

からの転用である。(台湾にて購入)

 では小説から映像メデアに移った場合はどうか、つまり武侠小説を原作乃至は題材とした映画及びテレビドラマに関して、筆者が鑑賞した物の中から興味を引かれた部分に沿って些か述べて置きたい。武侠小説は、武闘部分にしろ恋愛部分にしろビジュアル的ドラマ性が高いため、極めて映像化し易い題材である。一九二〇年代の上海映画から始まって、五〇〜六〇年代の香港映画時代、そして世を挙げての電化時代である七〇〜八〇年代のテレビドラマ時代、更に八〇年代のリメイク版映画時代、更には九〇年代のワイヤーロープアクションとCG技術を駆使した映画へと変遷して行く。ただ映画とテレビドラマとでは、当然の事ながら時間や予算の関係上から大きな相違が生じて来る。原作を読んだ人からすれば、映画よりもむしろテレビドラマの方が親しみ易い。なぜならテレビドラマは連続ものであるため、わりと原作に忠実に話しが展開されて行く。これに対して映画は、上映時間の制約上原作の一部分から脚色してドラマを作り上げている。それでも古装劇と称される所謂時代劇ものの、「白髪魔女伝」「七剣十三侠」「神G侠侶」「書剣恩仇録」「雪花神剣」「仙鶴神針」「飛天龍」等、康毅・顧文宗・陳烈品・蕭笙等の監督が、曹達華・張英才・林家聲・ケ碧雲・羅艶卿・鄭君錦・陳寶珠・蕭芳芳・張瑛・林蛟・陳好逑・于素秋等の役者で作り上げた、四〇年代末〜六〇年代前半にかけての映画はわりと原作臭さが有り、六〇年代後半から七〇年代にかけては、張徹・汪平・胡金銓等の名監督に因り、王羽・白鷹・石雋・田鵬・田豊・谷峯・姜大衛・狄龍・徐楓(シュー・フオン)・楊群・陳曼玲・上官霊鳳等の役者を使って、武侠小説を題材とした「獨臂刀」「竜虎闘」「路客与刀客」「龍門客桟」「保ヒョウ」等のみならず、『聊斎志異』等を原作とした作品である「山中伝奇」「侠女」等が作られるが、八〇年代以後のリメイク版となると明らかに原作の時空間を超越した別作品(それが時代劇ではなく、古装劇・オールドコスチュームドラマの古装劇たる所以かもしれない)となっている。一方テレビドラマは、話しの筋こそ追い易いものの何と言っても目に付くのが、セットつまり大道具・小道具のチャチさ加減である。これは映画に比べてチャチと言うのではなく、日本のテレビの時代劇ものに比べての話しである。これは、キチッとした時代考証に因るドラマを見せると言うよりも、作品の主人公のキャラクター性、或いは主役人気で視聴者を引きつけようとしているように見受けられ、例えば当時既に人気を博していた周潤發(チョウ・ユンフア)を主人公に起用した「笑傲江湖」等がそれであり、作品制作も可なり早撮りのようである。しかし、このテレビドラマからスターダムにかけ登ったのが「書剣恩仇録」「楚留香」鄭少秋(アダム・チェン)であり、「鹿鼎記」で共演した劉徳華(アンデイ・ラウ)梁朝偉(トニー・レオン)らである。この傾向は最近も略同様で、テレビ(「孤星剣」の主役)での成功の余勢を駆って映画「中華英雄」の主役を獲得したのが鄭伊健であり、古龍の原作を袁和平が監督し、主人公の李尋歓・林詩音・龍嘯雲の三角関係を中心に、些か色恋沙汰が強すぎるきらいも有る最新版「小李飛刀」の主役を演じた焦恩俊「穆桂英」「刀」「花木蘭」等にも出演)も、ちょっとナイーブっぽいマスクと何処か現代的甘さが漂う雰囲気が、何故か映画に進出しそうな予感を与えてくれる。

この絵は1993年に香港で公開された、

「江湖伝説(赤脚小子)」(杜h峰監督)の

ビデオパッケージからの転用である。

(台湾にて購入)

 鄭少秋は、目元に一種独特な妖艶さを漂わせる役者で、古装のカツラが好く合うつまりズラの美しさにかけては天下一品で、七十年代後半以後陸続と映画やテレビの古装劇に出演しているが、最近の「笑八仙」でも相変わらずの柔らかい立ち回りと妖艶な目元を見せている。「鹿鼎記」での劉徳華はそれほどとは思わなかった(むしろ前年の「神G侠侶」の方が良かったように思われる)が、その後スクリーンで活躍し、「戦神傳説」「絶代雙驕」及び林青霞(ブリジット・リン)・徐錦江(チョイ・カムコン)等と共演した「刀・剣・笑」では、ひき締まった顔だちの華麗な演技を見せている。やや大きめの目と鼻に何とも言えない愛嬌が有り、二枚目から三枚目までシリアスからコメデーまで、幅広い役柄がこなせる梁朝偉は、役柄がはまったのか「鹿鼎記」の軽妙な演技は出色で、「新流星胡蝶剣」のオープニングの派手なアクション等と合わせて、あたかも彼自身の地ではないかと疑わせたが、侯孝賢監督の「悲情都市」では、主人公である陰を帯びた耳が聞こえず口のきけない現代青年と言うシリアスな役柄を見事に演じているし、王家衛監督の「東邪西毒」でも盲目の剣士を好演し、更に「新仙鶴神針」の軽妙な演技など、役柄ごとの変化を見るにつけ、何か彼自身が役者としての感性で役を選びながら出演しているのではないのか、との想像を掻きたたせる。しかし流行した点から言えば、何と言っても鄭少秋「楚留香」が第一であり、その人気の凄さはパロデー版の映画「笑侠楚留香」が作られた点からも伺える。ただ郭富城(アーロン・コク)主演のこの映画は内容的に見るものの無い三流娯楽作品に過ぎず、敢えて言えばコケテッシュな美女の邱淑貞(チンミー・ヤウ)張敏(チョン・マン)とが共演しているのが、ご愛嬌と言えばご愛嬌である。尚、郭富城は、張曼玉・狄龍・呉倩蓮と共演した杜h峰監督の「江湖伝説(赤脚小子)」で、単なる青春スターではなく、役者としての新たな一面(新境地)を見せてくれている。この他に男優ではリメイク版「白髪魔女伝」(尚、この作品の衣装は日本の和田エミ氏が担当している)で林青霞と共演した張國榮(レスリー・チョン)が渋く、彼は世の中をすねた様なチョット陰影の有る役柄を演ずると、その甘いニヒルさが何とも言えない雰囲気を醸し出し、「東邪西毒」の殺しや役も嵌まっている感じを与えるが、この傾向は現代劇でも同様で、張曼玉(マギー・チョン)・劉嘉玲(カリーナ・ラウ)等の女優陣、及び劉徳華・梁朝偉・張学友(ジャッキー・チョン)等の男優陣と共演したオールスターキャストの「阿飛正伝」でも、出生に秘密を抱えた青年役を演じている。またリメイク版「倚天屠龍記」張敏・邱淑貞の女優と共演した李連杰(ジェット・リー)も元気で、彼は時代劇(リメイク版「笑傲江湖・女神伝説の章」「方世玉」「黄飛鴻」)・現代劇(「ハイリスク」「冒険王」など)を問わず活躍している。ただこの映画は、群衆武闘の場面こそ迫力が有るが、始まりは絵コンテの早回しのプロローグで、終りはテレビドラマの連続物(さて、この続きは・・・)と言う風で、作品としての完結性が全く見られない。話しに因れば、本来三部作の予定の第二部目(但し、第一部と第三部は制作されていない)と言うことである。

この絵は1994年8月に香港で公開れ

た「刀剣笑」(黄泰来監督)のビデオパッ

ケージからの転用である。

(台湾にて購入)

この絵は1994年3月に香港で公開さ

れたリメイク版「天龍八部」(銭永強監

督)のビデオパッケージからの転用で

ある。(台湾にて購入)

 一方女優陣では、筆者の目から見れば、一人で十分主役を張れる力量が有るように見受けられるのだが、武侠映画と言えばやたらに顔を出す定番女優とでも言うべき張敏がいる。しかし彼女は何を演じてもどこか張敏であり、それが張敏張敏たる所以でもありまた彼女の最大の魅力でもあるように思われる。中国(鞏俐、コン・リー)・香港(張敏)・台湾(林青霞)三大美女の共演と銘打ったリメイク版「天龍八部」林青霞(二役を演じている)は、どことなくゾクッとする色気と凄味を漂はせており、「火曇伝奇」にしろ「笑傲江湖」にしろ、「刀・剣・笑」にしろ「白髪魔女伝」にしろ、「新龍門客桟」にしろ「東邪西毒」にしろ、演じるたびにそれぞれ異なった妖艶さを見せてくれる女優であり、男装の麗人役をやらせたら天下一品であるが、そのまさに林青霞を見せるための映画の感無きにしも非ずが、「東方不敗風雲再起」であるが、今や彼女も一児の母である。また「畫中仙」「倩女幽魂」「天地玄門」「追日」等で、弱々しくもあるが何となく冷たい色気を醸し出しているのが、王祖賢(ジョイ・ウヲン)である。更に最近中国で鞏俐の後を嗣ぐべく活躍しているのは、「臥虎蔵龍」「蜀山伝」「英雄」「十里埋伏」等に出演している章子怡と、鞏俐(コンリー)主演の映画「画魂」で銀幕デビューを果たして「決戦紫禁之巓」「天下無双」「玉観音」等に出ている趙薇(ビッキー・チャオ)とである。

この絵は1995年12月に香港で公開された

リメイク版獨臂刀「刀」(徐克監督)のビデオ

パッケージからの転用である。

(台湾にて購入)

 所で、テレビ界に於ける希有な存在とも言える、武侠俳優の雄が黄日華(フエリックス・ウオン)である。テレビで人気を博して映画界に登場したり、その逆に映画界での人気に翳りが見え出すとテレビに出演したりする役者は数多いが、テレビ役者としてのポリシーを感じさせる程一貫してテレビドラマにだけこだわり続け、八十年代初頭にテレビ界の五虎将(黄日華・苗僑偉・湯鎮業・劉徳華・梁朝偉)として、活躍し出してから現在に至るまで、ほぼ主役級を演じ続けている黄日華の作品は、「天龍八部」「射雕英雄傳」「碧血剣」「剣魔」「包青天」「南龍北鳳」「雪山飛狐」など枚挙に暇が無く、その演技力も高く評価される名優である。また二十八週にわたる八十七年度版テレビドラマ「書剣恩仇録」の主役を演じた彭文堅には、原作を読んで筆者が受けたイメージに比べると、何か最後までひ弱さ・女々しさが付いて回ったが、映画版 「清朝皇帝(書剣恩仇録)」の主役を張った張多福には、初々しさと凛々しさが感じられる。また「独臂刀」をリメイクした徐克監督の「刀」は、主役の趙文卓(チウ・マンチェク、「方世玉」の悪徳提督役や二代目「黄飛鴻」役としても活躍)の少しストイックがかった演技や、敵役の熊欣欣(ション・シンシン、少しアナクロ的な男臭い敵役を演じさせるとなかなかの者である)のこれみよがしの肉体美が鼻に付かない訳でもないが、何と言っても映像とカメラワークが良い。普通の武侠映画の映像とは些か異なり、カットバックを使用した陰影の濃い絵は、香港の現代アウトロー映画の映像に一脈通づるものを感じさせる。或いは武侠映画とは些か趣を異にするが、司馬中原『郷野伝説』を原作とする「郷野奇談」もシリーズ化されて何本か撮られている。もともと原作の『郷野伝説』自体が、形式として明の『剪燈新話』の如き一個づつの話しがそれぞれ完結した短編集であり、そのためわりとシリーズ化し易かったと思われる。この「郷野奇談」シリーズで活躍したお茶目な女の子役が、確かその後キョンシー映画でテンテンちゃんとして活躍した少女であったように記憶している。(尚、映像的資料状況の一斑については、劇場映画ビデオテープテレビドラマビデオテープを参照)

この絵は2000年1月に中国で公開された

「決戦紫禁之巓」(劉偉強監督)のビデオパッ

ケージからの転用である。(台湾にて購入)

 この様に武侠小説は、活字メデアからビジュアルな映像メデア(漫画・映画・テレビ・コンピューター)へと活躍の場を拡大している。だが一度映像化されたものは本質的に武侠小説ではなく、あくまで武侠小説を原作とした別作品に過ぎない。そのため、先に映像を見てから原作を読むと、原作を読んでから映像を見る以上に違和感を覚えさせられる。故に、筆者自身としては、先ず大衆小説として原作を味読しその後で娯楽として映像を見ると言う方が好きではあるが、いずれにしてもこのような点にこそ、原作者の意図と映像制作者の発想との相違も生じて来るのである。しかし共に大衆娯楽作品であると言う大局的視点に立脚すれば、それが現代社会(中国・台湾・香港)に於ける大衆娯楽分野の一部分を厳然と構築している事は、紛れもない事実である。大衆小説を原作とする映像メデアと言う点だけから考えれば、日本の時代劇ものもそうであり、『眠狂四郎』や池波正太郎氏の一連の作品も映像化を繰り返してはいるが、明白に異なるのはその受入れ層の幅の広さである。この相違は、単に娯楽性の強弱の差と言う以前に、何が「武」「侠」「義」更には「公」「私」であるのかと言う、概念形成の歴史過程(空間と時間)とその内容の、中国と日本との根本的な相違の差、つまり大衆文化の質(バックボーン)的差に多分に依拠しているように思われる。因って武侠小説を翻訳しよとした時、訳者が単に語学に堪能であることだけでなく、どちら(中国か日本か)の大衆文化のバックボーンにより多く依拠しているのか、或いは個人の文化形成の中でどちらをより多く体現したのか等に因って、読者に訴えかけるイメージが微妙に異なってくるのである。

この絵は2000年5月に中国で公開された「臥虎蔵龍」(李安監督)の

CDパッケージからの転用である。(台湾にて購入)

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